内政は大変
「まずは今回の乱では大変世話になった。感謝している」
江雪斎が去っていくと、徳川家康が感謝の言葉を述べた。
「いや、我らとしても単独で北条と戦うのは厳しかったので徳川殿の存在を頼りにしていた。何より、甲斐において三倍以上の北条相手に一歩も退かずの戦いぶりはお見事であった」
「それは甲斐の者たちが北条より我らを支持したためだな。武田を見限った北条と、長年武田と鎬を削った徳川。甲斐の者には後者が組むべき相手に思えたのだろう」
それだけ聞くといい話に思えるが、おそらくこれは家康の周到な根回しと調略の結果であると俺は思っている。
「とはいえ、今後のことを話し合うのに我らの目的はすり合わせておかねばならぬ。北条家は元の関東制圧に戻っていくから放っておいても大丈夫だろう。しかし新発田殿はどうされるのか? やはり奥州に向かわれるのか」
徳川家康が何を考えているのか掴みきれないところはある。少なくとも本能寺の変以降探らせた限りでは甲斐信濃の奪取に全力を尽くしているようであった。
それに家康がどんな野心を持っていようと羽柴秀吉にわざわざ味方することがあるとは思えない。俺は素直に目的を打ち明けることにした。
「実は織田家の清州会議体制は早くも不穏な空気になっていると聞く。俺は勝家殿には世話になったし、織田家には義理もある。そのため、体制が安定するまでは勝家殿を支えるつもりだ」
俺の言葉に家康は小さく驚いた。
「ほう。とはいえ、言われてみれば手を携えて上杉家と戦った仲であるな」
「その通りだ。徳川殿は織田家の同盟相手だったが、織田家には関わっていかれるのか」
「残念だが、今のところそのつもりはない。というのも、わしが駿河を得たのが半年ほど前の甲州征伐の折。そしてこのたび甲信の二国を得たが、残念ながら支配は盤石とは程遠い。その点羽柴殿が清州会議で得た摂津・山城は元々織田領国だから面倒も少ないだろう。うまくやったものだ」
家康は少しだけ悔しそうにする。実際、信濃では諏訪頼忠が家康に抗戦しているし、中信では俺を頼って来た小笠原貞種が一度深志城を落とすも失脚して家康を頼っていた貞慶が深志城に入るなどまだ情勢は流動的である。
また、東信濃の岩尾城では北条家に通じていた信濃衆の残党が集結していた。そしてそもそも真田が今回決めた領地割に従うのかという疑問もある。
そもそも甲斐や信濃は武田勝頼末期の財政難による重税で民も疲弊しており、それが河尻秀隆を殺した一揆に繋がった面もある。そういう意味でも内政には時間がかかるだろう。
「なるほど。では現状羽柴殿・信孝様・信雄様などが繰り広げている主導権争いには不介入ということか」
「そうだ。だが、わしも織田家の同盟相手。もし誰かがわしを頼ってくるようであれば手は差し伸べる」
確かに小牧長久手の戦いでは信雄を助けて秀吉と戦っていた。とはいえ、賤ケ岳の戦いの時に何も動きを見せなかったのは秀吉にも勝家にも義理がなかったという以外に領地の不安というのもあったのだろう。
何にせよ、家康に積極的に動くつもりがないことが分かったのは収穫だった。最悪、何か揉めた時は家康に仲介してもらうという手も打てる。
「ちなみに信濃の国割だが、現在支配している川中島四郡に小県郡の村上家の旧領のみをこちらがもらうということでよろしいだろうか」
深志は元々欲しかった地でもないので手放すことにした。
「現状のままということだな。それでいいだろう。わしはしばらく内政で忙しいが、何かあれば言ってくるが良い。わしも羽柴殿が織田家の支配者になって欲しい訳ではないからな」
社交辞令かもしれないとはいえ、家康が協力してくれるというのであればいざという時に心強い。
「分かった」
こうして家康との対談は終わった。その後真田は依田信蕃の説得もあり、表面上はこの和睦案を受け入れた。
信濃の統治については春日信達と曽根昌世に任せ、信達を海津城代に、昌世をその補佐とした。一応信達の名は周辺の睨みに使えるということと、武田時代の家格の都合で信達を上とした。
とはいえ、しばらく戦をするのは難しいだろう。二人にはそもそも越後で与えた所領の内政も追いつかないまま信濃に連れ出してしまった。家康と同じようにこちらも領地を急拡大したせいで仕置きが追いついていない。
春日山城に戻ると、留守居の信宗も上杉旧臣の扱いに苦労していたようで、俺が戻ってくるとほっとした様子を見せる。
「今回もご無事でよかったです」
「いつも面倒なことを任せてしまいすまぬな。家臣は増えはしたものの、最近登用したばかりの者にはいかに能力があっても任せられないことがある」
「しかし重要なことを知る者が誰もいないため、結局細かいところはそれがしの独断で決めることになってしまいました」
一応斎藤景信・千坂景親・竹俣慶綱といった面々はいるが、景信はずっと赤田城にいたし景親や慶綱も上杉景長が入城して混乱した時期にはすでに俺に降伏していたため、その時期のことが分かる者がほぼいないのだ。
「誰もを納得させることは不可能だし、最悪反乱が起こっても周辺とは和睦したから鎮圧することは出来る。そう思って開き直るしかない」
「兄上、その言い方だと今後もそれがしが春日山城の仕置を続けるということでしょうか」
信宗は俺の言葉に不穏なものを感じ取ったらしい。非常に申し訳ないが、信濃と違って武田の旧臣に任せる訳にもいかない。
「俺はこれから柴田勝家殿にお礼と今後の相談をしに上洛するつもりだ」
「何と……」
信宗は絶句した。
だが、残念ながら俺が越後を離れるのは先になる。俺が城に帰って来たのとほぼ同時に佐竹家からの北条家との和睦を責める使者が訪れた。利用するだけして切り捨てた形になるので罪悪感はあるがこればかりは仕方がない。長尾家は和睦には関わっていないので引き続き結んではどうかと書状を返す。
「重家様、次は羽柴家からの使者の石田三成殿という方がいらしていますが」
佐竹家の同盟相手
上杉→謙信「関東遠征するぞー!」と言って倒れ、内乱で動けなくなる
武田→急に滅びる
新発田→急に和睦する
かなり可哀想




