新潟商人組合Ⅰ
春日山城から帰還した俺は領地に帰る前に新潟港に立ち寄った。前に来たとき、俺は海運貿易用に使う倉庫を建設させていたが、沿岸部には新築の倉庫が立ち並んでいた。元々は守備兵兼人夫ぐらいのつもりで残した人員だったが、景虎方の退潮により警戒の必要がなくなったためか、すっかり建設の方に専念している。彼らとしても命の危険がある戦場に出るよりも倉庫建設の手伝いの方がいいだろう。
そんな建設したての倉庫には阿賀野川からは小舟で次々と収穫された米が運び込まれてくる。そう言えばちょうど収穫の時期である。ある程度倉庫の建設が間に合って良かった。俺はそんなことを思いつつ一人で倉庫や港周辺をぶらぶらする。
「もしかしてあなたは領主様ではないですか?」
不意に一人の男に声をかけられた。声を掛けてきたのは四十ほどの商人風の風体の男だ。そう言えばこの人物も倉庫に米が運び込まれていく様子を眺めていたような気がする。
「何で分かった」
供回りもつけていないので一般町人の振りをして歩いていたのだが。
「五十公野の領主様はしばしば一人で視察に来ると酒井の息女さんがよく言ってらっしゃるので。それに倉庫を見る目つきが好奇という感じではなかったので。もしかしたら同業者かもと思いましたが、同業者なら大体顔は知ってますし」
俺が一人でふらふらしてることを言いふらされるのは危険だから今度言っておこう。戦国武将は誰しも色々な利害関係を抱えている。それでなくても領地の広さは有限である以上、誰かが死ねば誰かの領地が増えるという単純な事実がある。
とりあえず俺が領主様であることは観念して認めることにする。何か用がありそうな雰囲気だからな。
「そうだ、いかにも俺が五十公野治長だ」
すると男はぱっと顔を輝かせた。
「おお、本当に領主様でしたか! 申し遅れましたが私は磯部家の弥右衛門と申します。あつかましいことですが、一つお願いがあります! 現在この倉庫は酒井家が独占しておりますが、我らにも使わせていただけないでしょうか」
「なるほど」
確かにこの倉庫については酒井家が出資した金で五十公野家が建設し、酒井家に貸し出すという形をとっている。
「港沿いに大きな倉庫があればそこに米を貯めておくことが出来ます。そうすれば値段が高い時に売り、安い時は貯めておくということが出来ます」
磯部という人物は経済の基本を述べた。確かに倉庫がある以上誰でも使いたいと思うだろう。とはいえ、酒井家が全額建設費を出資したからこそ倉庫が建てられたという事実がある。だから他の商人に貸し出すのは悪い。
「分かった。それなら酒井家の方にも話に行ってみよう。確かに酒井家の出資により倉庫が建てられているというところはあるが、一家だけが大きな力を持つのは良くないからな」
俺が何気なくつぶやいた一言に磯部という商人の表情が変わる。
「ん? 何か変なことを言ったか」
「いえ……どの領主様も御用商人のみを重用していて。もちろん多額の金を献上させているので当然とは思いますが、なのでそのようにおっしゃる方は珍しいなと」
「そうか? 経済においてはある程度競争がある状態が望ましいからな。一家が市場を独占していると経営努力よりは他家を排除する努力ばかりするようになってしまう」
俺は自由競争の一般的な感想を述べただけだが、磯部弥右衛門は感銘を受けたような顔つきになった。
「さすが領主様! 我ら中小商人はこれまで大規模商家の邪魔にならないよう、隅でこそこそ商売をしておりました。なのでそのお言葉に感激しております!」
「そうか。とはいえまだ具体的にどうするか決まった訳ではないから感激は後にとっておいてくれ」
「はい、気長にお待ちしております!」
弥右衛門という男は何度も頭を下げて感激した。その様子にこちらがかえって恐縮してしまう。
さて、俺はその場で少しどうしたらいいものか方針を考える。そしてそのまま酒井家の方へ向かった。俺が間借りしている代官の館に勝るとも劣らない広い邸宅だ。
酒井家も米を商う一家として収穫のこの時期はばたばたしているようであった。町人の風体をした俺が近くをうろうろしていても気づかれない。俺は適当な小者を見つけて声をかける。
「すまないが那由はいるか?」
俺の言葉に小者は訝し気な表情になる。
「本日は面会の方がいるとは伺ってませんが……どちら様でいらっしゃいますか?」
「五十公野治長だ」
ひっ、と声を上げて小者はその場に座り込んでしまう。
「すみませんすみません、今すぐ案内いたします」
そう言って彼は逃げるように中へ消えていった。
「ごめんごめん、でも治長様もお一人でうろうろされるのはやめた方がいいよ」
慌てた様子で出てきた那由は俺を部屋に通すとばつが悪そうに言った。そしてお茶を淹れてお茶菓子を出してくれる。
「そうだそれで思い出した、俺が一人でうろうろしてるって言いふらすのはやめてくれないか。そんな噂が広まったら俺はもう一人で出歩けない」
「いや、出歩かない方がいいわ」
俺の抗議は即座に却下された。やはり現代人の俺にはいちいち供回りをつけて行動するというのは慣れないんだよな。そんな不満が顔に出ていたのか、
「気さくなのはいいけど、最近は越後の他の地域に行っても新発田家や治長様の武勇は耳に入るわ。有名になったことを自覚してもらわないと」
那由がお説教する母親のような調子で言う。領主に転生してもお説教されないといけないのか。面倒くさいな。
「分かった分かった、そのうち考える」
「誰かに暗殺される前に考えて欲しいのだけど……まあいいわ、それよりも今日は用があったから来たのよね?」
那由の顔つきが変わる。俺も口に入れていたお菓子を飲み込むと居住まいを正した。
内政編はある程度ファンタジーだと思ってご覧くださると幸いです
(それはそれとして「史実の経済はこんな感じです」的な突っ込みは歓迎です)