本能寺の変当時の織田家の情勢
中国地方遠征軍
羽柴秀吉
備中高松城を水攻め中。救援に来た毛利輝元の軍勢と対峙していた。
本能寺の変後、四国遠征軍や中川清秀・高山右近らを加えて”中国大返し”を行い山崎で明智光秀と戦う。
四国遠征軍
大坂
織田(神戸)信孝
信長の三男。津田信澄を討つものの、兵士が動揺して単独で光秀討伐には動けなかった。
そのため秀吉に合流して山崎の合戦に参加する。
史実では後に勝家とともに秀吉と戦うが、この時点では秀吉方だった。
丹羽長秀
若狭・近江などに領地を持つ。
津田信澄
信長の弟・信行の子。光秀の娘を妻にしていたため、信孝と長秀に殺される。
畿内
織田信長
少数の供回りとともに本能寺に宿泊。
織田信忠(美濃・尾張・南信濃の一部)
一千ほどの軍勢(信長の馬廻衆など)とともに妙覚寺に宿泊。
徳川家康(三河・遠江・駿河)
少数の家臣とともに堺観光中。
”神君伊賀越え”については諸説ある。
穴山信君(甲斐一郡)
家康とともに観光中。
帰りに一揆に殺されたとされる(異説あり)
細川藤孝(丹後)
息子忠興の妻の光秀娘を幽閉し、明智方につかないことを示す。
筒井順慶(大和)
光秀の寄騎だったが、旗幟を鮮明にしなかった。
織田(北畠)信雄
信長次男。
自分の軍勢を信孝への援軍に出しており、自身は伊勢にいたらしい。
伊勢北畠家の養子に入ったが、前当主具教を襲撃して乗っ取る形となった。
北陸
上杉征伐が終わり、内政中
柴田勝家 越前
佐久間盛政 加賀
前田利家 能登
佐々成政 越中、越後の一部
越後
新発田重家
佐渡遠征、内政など
上杉景長、斎藤利治、毛利秀頼など
上杉家の掌握を試みるが、直江兼続刺殺事件が起こるなどうまくいかない。
信濃・甲斐・上野
森長可
海津城他北信濃四郡を治める。
木曽義昌
木曽の安堵、筑摩・安曇郡を加増
河尻秀隆
甲斐・諏訪を治める。武田の残党狩りを行う。
穴山信君
甲斐の本領のみ安堵
滝川一益
上野と信濃の小県・佐久を与えられる。
関東の諸将への指揮権を与えられる。
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