依田城の戦い
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布陣している新発田軍の目の前に現れた真田軍は、こちらが迎撃準備を整えていることに気づくと鉄砲の射程距離で進軍を止めた。千坂景親は彼らの兵力が三千ぐらいと言っていたが、こちらとそんなに変わらない以上、おそらく合っている。
「不気味だな……景親、今度は近隣の山に真田勢が潜んでいないか探ってくれ」
「かしこまりました」
俺は再び千坂景親を物見に出す。俺の印象だと真田は少数の兵力を機動的に運用してのゲリラ戦に長けている。こうして全軍で睨み合っていると見せかけて山間からの奇襲を掛けてきてもおかしくはない。景親も先ほどのことがあるせいか、緊張した面持ちで頷く。俺は再び景親に三百の兵を与えて送り出した。
景親の部隊が出ていくのと入れ替わりに、依田城に備えていた竹俣慶綱からの使者が現れる。
「依田城の依田信幸、城を開城するとのことです」
一瞬、真田軍が来ているのに開城するのか、と思ったが日没に期限を設定したのは俺だ。もしここで真田軍の勝利に期待して降伏を遅らせたとしても、その後後続の織田軍が現れれば降伏せざるを得なくなるかもしれない。そうなれば一度期限を破っただけ印象が悪くなる。
「分かった。ただし罠でないか警戒を怠らないように」
「かしこまりました」
使者は頭を下げて戻っていく。相変わらず目の前の真田軍に動きは見られない。依田城が無事開城したなら戦果は上々だし、日も傾いてきているので城に入ればいい。真田軍は利家の部隊を襲うかもしれないが、存在は知らせた以上、奇襲を受けることはないだろう。
その後も奇妙な睨み合いは一時間ほど続き、日が沈む。
突然、右手の依田城の方から喚声が上がった。最初は散発的なものだったが、次第に喚声は増えていく。どうも戦いが始まったようだ。
真田勢の奇襲か、依田勢が討って出たか。物見に出た景親はまだ戻らない。ここは依田城に向かうか? だが、それでは目の前の真田軍に隙を見せることになる。おそらく目の前の軍勢は俺が背中を見せるのを待っているのだろう。
「よし、軍を進めて鉄砲を撃ちかけよ!」
俺はあえて大げさに陣太鼓を叩かせてほら貝を吹き鳴らし、軍勢を前に進める。まさかこちらから仕掛けてくるとは思わなかったのだろう、慌てたように真田軍から矢がぱらぱらと飛んでくるが、真田軍の目の前で鉄砲が一斉に火を噴く。耳をつんざくような火薬の炸裂音が響き渡り、目の前の真田軍の兵士がばたばたと倒れていく。最初は矢や鉄砲による応戦はあったが、鉄砲の量はこちらが圧倒的に多い上に、矢とは殺傷力が比較にならず、倒れていく兵士は相手の方が多い。
不利を悟ったのだろう、真田軍は付近の山へと引き上げていった。
「追うな、我らは依田城に向かう」
山の中に逃げ込まれては鉄砲も使えない。地の利がある真田軍に勝つのは難しいだろう。むしろ心配なのは依田城の方である。
俺が軍を率いて城に向かうと、そこではすでに戦いが終わっていた。しかしただの戦いではなく、かなりの激戦があったことを物語るように両軍の兵士が倒れている。
やがて俺は戦場の隅に十人ほどの兵士が退避しているのを見つける。よく見るとそれが竹俣慶綱の本陣であった。そして、その中にはなぜかこの場には場違いな十歳にも満たない男児がいる。
「一体何があった? 城に入る際は警戒しろと伝えたはずだが」
慶綱自身も腕から血を流しており、負傷している。
「はい、我らはだまし討ちに備えて依田信幸から人質として、当主信蕃の嫡子をとり、それから入城したのです」
そう言って彼は男児を指さす。なるほど、彼は人質だったのか。
「しかしそこで突然山から敵兵が現れ、我らを奇襲したのです。ちょうど城に入る途中だったこともあり、軍勢は混乱に陥りました。もし千坂殿が現れなければ壊滅していたでしょう」
なるほど、真田軍は俺ではなく依田城を攻める軍勢を奇襲しようとしていたのか。おそらく、依田城は本気で開城しようとしていて、慶綱もそれで安心したのだがそこに真田勢が現れてこうなったのだろう。
依田城の開城と真田勢の来襲が重なった偶然により起こった惨劇……いや、本当にそうなのか? そこで俺はふとその可能性に思い至る。真田軍は開城の時期を見計らって奇襲をかけたのではないか?
とはいえ、景親を物見に出していたおかげで被害が最小限で済んだのは良かった。
「結局、奇襲軍には勝ったのか?」
「いえ、混戦の中、重家様の本隊が現れたのを見て退いていきました」
「城兵はどうしている?」
「真田勢の奇襲の際には誤解による斬り合いが発生したものの、今は静観しております」
真田勢との戦いの余波で降伏するはずの城兵とまで斬り合いになっていたらまずいところだったので、ひとまず安堵する。
「よし、とりあえず城に入るぞ」
真田本隊を鉄砲で追い払ったのを含めれば一勝一敗といったところだろうか。それに依田城自体は無事確保出来ている。
すでに日は落ちており、これ以上戦うのは難しい。俺は景親とも合流し、兵を率いて城に入った。城主の依田信幸はかなり気まずそうな顔をしていたが、きちんと人質を出して開城した以上責める訳にもいかない。
が、俺たちが城に入ったころ、千曲川沿いから喚声と鉄砲の音が聞こえてくる。
「何だ?」
昼間だったら兵を率いて確かめにいっても良かったのだが、すでに夜も更けている。俺の軍勢は全て依田城に入っているはずだし、また奇襲を受けても困るので、仕方なく物見を派遣した。
物見はすぐに戻ってくる。
「申し上げます、織田軍の前田利家様から派遣された援軍二千が真田軍に敗れたようです」
「何だと? 前田殿も援軍を送るなら一言伝えてくれれば、いやそうか」
おそらく使者は派遣したのだが、真田の諜報網に引っかかってたどり着けなかったのだろう。真田昌幸、恐ろしい相手だと改めて思う。
「重家様、真田昌幸の家臣、唐沢玄蕃を名乗る家臣が来ております」
そこへその昌幸からの使者がやってきた。ここまでの流れを見る限り徹底的に抗戦するつもりなのかと思っていたが、そういう訳でもないようである。
「通せ」