1日目:もうお嫁にいけない(泣)
九月十四日火曜日
あたしは阿足。「あたし」って読むんだ。平々凡々な経営学オタクだよ。大学の友達はカービィな美人だって言ってくれるんだ。常識的に見ても少し太っているけど、あたしはこの容姿が気に入っている。
まあ、これから書くのはよくある日記なんだけど、ただの日記じゃない。
いずれは本にして出版しようと思っているんだ。だから、普通の日記にはないところがいっぱいあると自負している。だからこそ面白いんだけどね。
もともとあたしの家は代々小さな不動産会社を経営していたけど、ほとんど家族経営みたいなものだった。当然ながら今年で十九歳になるあたしは家族兼社員なわけで……。
学校でロクに勉強せず、経営学の専門書を読み耽る毎日を送っていたら、あの社長をやっているお父さんに「いい意味でも悪い意味でもいい度胸じゃねえか。俺の会社にぶち込んでやるから感謝しやがれ!」なんて告げられ、社長令嬢という肩書を持つあたしは強制入社させられたのだ。
あのシャンシャン入社式での飲み会で聞いたテンプルにカチンとくるあの笑い声は、多分一生忘れられないだろう。演じる気は全くないが、『ヘンなオジサンの高笑い』という宴会芸として再現すら出来るほどだ。
「ここが、あたしの新しい出向先、か。へえ、中々おしゃれじゃない」
洋館風の品のいい豪邸が、今まさにあたしの前にデンッ、と鎮座していた。
あたしは、社長に居候されても困るという事で入社早々左遷を食らってしまった。その窓際がここなのだけど、どうしてもそうは思えない。
「お父さんもあたしには甘いなぁ……。えへへ、それじゃ」
早速、インターフォンを押してみた。ピンポーン。
『はーい、って』
すぐに中から可愛らしい女性の声が聞こえてきた。へえ、なかなか足が速いんだなぁ。そんなに急いで……。
すると突然「わわわわわぁぁぁっ!!」と突拍子もない叫び声が聞こえてきたかと思うと、扉がびっくり箱みたいに開いて玄関からお嬢様が飛び出してきた。そのまま地面へつんのめり、バースデイケーキを間違って落とした時の様な痛々しい着地音と共にその女の人はのびてしまった。
あたしはしばらく呆然と立ち尽くしていたけど、ハッと気を持ち直して盛大にスッ転んだお嬢様の下へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?起きてください」
呼びかけても反応はなく、指先一本すら動かない。あたしは途端に全身から血の気が引いた。もしかして死んでいるじゃないのか。
確かめるため、その人を前庭の芝生に怪我しないよう優しく引き摺り仰向けにする。
「確か、頭を強く打ったはずだよね」
そして恐る恐る顔を覗き込むと……。
その可憐なお嬢様は白目を剥いたまま半笑いを浮かべ、鼻血を垂らしていた。
しかも残念なことに、変顔をした西洋のお人形さんみたいにとっても可憐でおまぬけだった。
「……、ブッ」
吹いた。吹いたわ、コレ。あたしはこみ上げるものを抑えながら鞄からそそくさとスマートフォンを取り出し、激写した。お宝画像を覗き込む。
「ブフッ。ギャハハハハッ!!あひゃっ、あひゃっ、アヒヒヒィ!!な、ナニコレ、ナニコレっ?!あはははははははっっ。お、おなか痛いよぉ。あはははははははっ」
芝生の上で転げまわっているとどたどたと大勢の足音が聞こえてきた。
「な、何事だ、これは?!……って、またか。オイ皆、このバカ女どもを家に上げてやれ!話を聞く必要があるが、当の本人たちは足腰が立たないみたいだ」
転げまわっている間にちらちら玄関に立っている人の様子が見える。すっごくかっこいい素敵な男の人がほかの仲間たちに指示を飛ばしている。
「ええ~、めんどくさいっスよ、セクハラ先輩。ふぁぁぁ……」
ふわふわ栗毛の十八歳くらいの男の子が、昼間なのに上等な仕立てのパジャマを着たまま枕を抱えてあくびをしながら混ぜっ返した。
「誰がセクハラ先輩だ?!なぜそうなる!?」
アゴーン、という効果音が似合いそうなツッコミ顔で素敵な男の人が素早く切り返す。
「だってまたあんた、気絶ちゃんが気を失っている隙におっぱいとかお尻触ろうとしていたでショ?指がワキワキしているヨ」
さっきから流れるような手さばきで、見たこともないトランプっぽいカードをシャッフルしているお姉さんが、手厳しい指摘を加えた。
「ぐぬぅ、そ、それは」
「あリャ?もう、ケーニッヒのカード折れちったカ。このスイスパック、6500円くらいしたんだけどナ。あーあ、買うのめんどくセェ」
「無視?!俺は相手にする価値も無いほど下劣なことをしようとしていたのか?!いつも彼女たちは喜んでいるのに。そんな、馬鹿な……」
「だからそうだっていつも言っているじゃないっスか。うぅ、寝すぎて頭痛い」
個性的な住人さんの会話に興味を惹かれ、よろめきながらようやく立ち上がった。
「あひっ、あ、あの、ちょっといいで、ひぃ、すか」
三人の視線が一気に集まる。
「ああ、話は聞いているぜ。今度住み込みできた管理人さんだろ?」
「そ、そうでふ」
良かった、色んな女の人にセクハラ喜ばれているみたいだけど、ちゃんと話が通じる人みたいだ。
「そうか、うちの気絶ちゃんが迷惑かけたな」
「い、いへいへ」
「まあ、まずは中に入ってくれ」
セクハラ先輩さんはそういうとあたしを支えようとして方から腰までをさらりと撫でた。
「ひゃぁ」
色んな意味でゾクッっとして。
「お、おもらししちゃったじゃないでふか……」
「す、スマン」
もうお嫁にいけないよぉ。災難な一日が始まりそうだ、なんて予感がした。