僕と彼女
短いので暇なときにどうぞ
彼女を口説きたくなるようないい夜だった。
メールを送った理由なんてそれだけだったのだ。少しだけ、寂しかったというものある。
迷いに迷って、やっと絞り出した一文だけのしょうもないメールは予想以上の効果を生み出したらしい。五分後には彼女から電話がかかってきた。僕のもしもしの二回目の「も」が終わる前に彼女は切り出した。
「なんで疑問系なの」
「なんとなくだよ。君が見てる月と僕が見ている月は同じか分からないし」
少しすねたような言い方になってしまっただろうか。この遠距離恋愛に文句を言うような真似をしたら、この距離のままふられかねない。
「同じに決まってるでしょ。地球に衛星は一つしかないんだから」
よかった、気がついてない。
「月が二つもないのは知ってる。見え方の問題だよ」
あの有名な小説家のエピソードをもじったのは伝わっているらしい。子機を肩と頭で支えながら、携帯を取り出して送信済みのメールを確認する。
『月はきれいですか』
きれいよりも綺麗の方がよかっただろうか、という小さな後悔は頬を叩いて追い出した。こんな細かいことを気にしていたら彼女に笑われてしまう。子機を持ち直して、窓辺へ移動する。雲一つ無い夜空に大きな月が浮かんでいる。
「そんなに変わらないと思うんだけど」
「スカイツリーとシャチホコより離れてるのに?」
おどけた僕を彼女が笑う。見えないはずなのに、彼女がどう笑っているか容易に想像できた。前に僕がハンバーガーを囓ろうとしてパテを落とした時と同じ笑顔に違いない。
「独特だけどそういうの大好き。今度私も使おうかな」
「こんなのでよければ」
彼女はひとしきり笑った後、ぽつりと言った。
「月がどう見えてるか、知りたい?」
「うん、勿論」
そう言ってしまってから、後悔した。
さっきの文章への返事ということは、僕をどう思っているかという事ではないか。じわりと嫌な汗をかいたのが分かる。汚く見える、または見えないなんていわれたらどうしよう。
「寒そうに見える」
「・・・・・・寒そう?」
予想を超えてきた。いや、超えたというより変化球が飛んできたと言うべきか。彼女の言葉を聞いてから、月を見つめてみた。銀とも青とも言えるあの色合いは、凍っているように感じられなくもない。
「南極とか北極とかよりもずっと。見てるだけで、凍えそう」
声が少し震えていた。どうやら、寂しいのは僕だけではなかったらしい。
「そうだね、少し寒いかも。温かい飲み物でも持って行こうか」
「え?」
「あと膝掛け。あとは、たき火がしたいな。一回やってみたいんだ、マシュマロ焼くやつ」
映画でしか見たことなくて、と言ったところで彼女が声を上げて笑った。もしかしたら、つきあい始めて一番の大笑いかもしれない。
「たしかに、それは、あったかくなりそう!」
笑いで途切れ途切れになりながら返事を返してくれた。
「用意は全部僕がするよ。君は月で待っててくれ」
「場所取りなら任せて!」
「なんかそれ、花見みたい」
急なスケールの収縮に、また二人で笑った。
「そろそろ寝るよ。おやすみ」
「おやすみ。あと、最後に二つ言わせて」
「どうぞ」
「一つ、私は確かにそっちより月に近いけど、大きく見えるほどじゃないから」
「もう一つは?」
「明日の朝一番にメールチェックをすること。おやすみなさい!」
通話が切れてしまった。そういえば、電話切るのはいつも彼女だ。いつまでもまごまごとして通話が切れない僕と対照的なのだから、当たり前なのだけれど。
次の日、メールボックスに彼女からのメールが届いていた。メルマガや仕事のメールに紛れてしまっても、件名のおかげで一目で分かった。
『宇宙ステーションから愛を込めて』




