四章 仮婚約者業の憂鬱12
「いいや。私の方こそ、きみに自分の意見を押しつけた。きみが、贅沢を好まないのを知っているのに」
フレンは爵位を持っていない。祖父も父も誇りを持って商売を拡大してきた。フレンもそれに倣ってきた。爵位を持っていなくても、そんなもの金で買わなくても自分たちにはこれまで培った矜持がある。
なのに。
彼女がほしい。彼女を手に入れようと思うと、そこの部分に負い目ができてしまう。彼女にふさわしい人間なんて沢山いるだろう。それこそ貴族の連中だって。
「……わたし、フレンの邪魔になりたくない。フレンに余計なお金を使ってほしくない。だけど、その……あの言い方は可愛くなかったと思う。嬉しくないわけじゃないの。このブローチだって、とても嬉しかった。だから……その……」
「それ、気に入ってくれたんだ」
「もちろん! あなたが贈ってくれたものだから」
オルフェリアははじけたようにフレンの方を見た。
必死な様子が伝わってきて、フレンは自分の心がほぐされていくのを感じる。彼女に嫌われたわけではなかったようでほっとした。
「あと……もうひとつ。この間は、あなたに触れられるのが嫌だなんて言ってごめんなさい」
「……いや、こっちこそ」
なんとなく微妙な問題で、フレンのほうも言葉を濁した。
「嫌というか、ただ慣れないだけで。きっともっと男性経験が豊富になったら気にならないと思うの! だから、ええと」
オルフェリアは自分でも何を言っているのか分からなくなったようで、首をかしげている。
そもそも男性経験が豊富になるとか、そういうことはフレン以外の前で絶対に言わないでほしい。彼女に他意はない。大真面目なのは分かっている。
「わかったから。きみは相変わらず面白いね。男性経験豊富なんて、そんな経験値あげなくていいから」
フレンは相好を崩した。
オルフェリアは少し遅れて自分の発言があまりよくなかったことに気付いたようで顔を赤くしている。
そういう無頓着なところも可愛い。今すぐにこちらに引き寄せて、自分以外の男とは仲良くならないようにと言い含めたくなる。
お互い心のしこりを失くすように話せばこれまで場を支配していた緊張感も薄れてきた。
「よかった。きみに嫌われたら生きていけなくなる。ほら、冷めないうちに食べて。インファンテ夫人にも言われているんだ。もっとオルフェリアに食べさすようにって」
「なあに、それ。食べ過ぎると太るのよ」
「きみはもうすこし食を太くした方がいいよ」
極端な小食というわけでもないが彼女は細いのでヴィルディーとしては少し心配なのだろう。
二人して謝罪をして、笑いあってオルフェリアは素直に運ばれてきた料理に舌鼓をうった。
「改めてお願いするよ。今度の舞踏会、私のパートナーになってほしい」
「こちらこそ。……よろしくお願いします」
「よかった。まあ、他の誰が名乗りを上げてもきみのパートナーを譲る気はないし、そもそも婚約者同士なわけだし」
舞踏会は二週間後だ。三月も中旬に差し掛かる頃に催される。この舞踏会が終わるとメイナはファティウスと一緒にデイゲルンに赴くと聞いている。本格的に花嫁教育がはじまるのだ。
「ミネーレからドレスについて注文を受けていてね。ルーヴェから仕立屋を呼んでほしいって」
ドレスのこととなると一段とやる気を見せるのがミネーレである。彼女はアルノーを通じてさっそくフレンにいくつか注文を付けてきた。
「そんなことわたし一言も聞いていないわよ」
「だろうね。彼女はドレスのこととなると一人で暴走するから。久しぶりの王家主催の舞踏会だから気合を入れている女性陣が多いらしくって、ミュシャレンの仕立屋はどこも忙しいらしい。だったらいっそのことルーヴェから懇意にしている仕立屋を呼んだ方が効率がいいというのが彼女の主張だ。確かにそれもそうかなって思って手配した」
「あ、あの。ちょっと予算が掛かり過ぎだとは思うけれど……、その……。気を使ってくれて、あ、ありがとう……」
そこで一言ありがとうで済ませられないのがオルフェリアである。
「こういうときは一言ありがとうっていうんだよ」
フレンは苦笑した。
オルフェリアらしいといえばらしい台詞だ。いつだって彼女は言葉を飾らない。
フレンはルーエン邸での彼女の言葉を思い出す。すみれが好き、そう彼女は言った。少しはフレンの贈り物を気に入ってくれているということだろうか。
「そうだわ、フレン。あのね……」
フレンがつらつらと考えていると、彼女の方は舞踏会の話題はこれで終了だと思ったらしい。喧嘩をしている最中のことを色々と話してきた。
レカルディーナのお茶会のことや、その後王太子ベルナルドと面会したことである。
リュオンを正式な伯爵家の跡取りにするべくバステライドの署名が必要なこと。彼を見つけ出さないといけないことを説明された。
「これ以上当主不在だと、フレンのせっかくの申し出だって進まなくなるわ。だから、フレンにもお父様を探す手伝いをしてほしいの。あなた、顔がとても広いでしょう」
土地の有効活用にも当主の署名が必要な場合が発生する。その一つがトルデイリャス領のすぐ近くまで通っているという列車を自領まで延伸するというフレンの提案だ。ルーヴェまでの直通運転の列車がトルデイリャス領に走ることになれば。その恩恵は計り知れない。自領を流れる河や、代々の伯爵が整備した運河とを合わせれば従来の物流に相互効果を生むことだって可能である。
「たやすい御用だよ。きみからの頼みごとは最優先だ」
「迷惑をかけてごめんなさい。ただの偽装婚約者なのに……」
オルフェリアは恐縮そうにそう続けた。
フレンは偽装婚約者という単語に胸がちくんとなったけれど、顔には出さないでやわらかな口調で続けた。
「こういうときは、ありがとうだけでいいんだって」
彼女はまだ誰かに素直に甘えるということが苦手なのだ。
いつかフレンに対してなんの気負いもなく甘えてくれるようになってくれたらと思う。
「……ありがとう」
「どういたしまして。実は私の方でもね、仕事があって舞踏会が終わったらルーヴェに戻って、場合によってはロルテームに行くことになるかもしれない」
「だったら、わたしも! 今度はわたしも連れて行って」
フレンの言葉にオルフェリアが威勢よく食いついた。
「ルーエン侯爵の話でもあったもの! もしかしたらロームのオークションにダヴィルドが首飾りを持ちこむ可能性だってあるわ」
「だけど。あの街は正直きみにとってあまり良い場所ではない」
フレンは眉を寄せた。人の流入が激しい分治安もミュシャレンに比べると良くはない。
「わたしだって家のために何かしたいの。お願い。それに……わたし……フレンの側にいたい……」
今日一番の彼女の可愛い言葉にフレンは次の言葉を継げずにしばし絶句した。
四章長くなりましたが、次から五章です
長くなったのはひとえにわたしの計画力のなさです




