四章 仮婚約者業の憂鬱11
(ちょ、ちょっと。それ今ここで聞く?)
喧嘩中ということを知らないカリナはどこまでも無邪気だ。けれどオルフェリアとしては気が気ではない。もちろん件の招待状はオルフェリアの元にも届いている。
ヴィルディーらは当然オルフェリアはフレンと一緒に出席するものだと思っているようだが、オルフェリアにとってはとても繊細な問題だ。どうやって切り出そうと、機会をうかがっていたのに。
「もちろん。彼女は私と出席するよ」
フレンは迷いなく言いきった。
その言葉にオルフェリアは安堵した。
(でも、そうよね。演技しているんだもの、当たり前よね……)
すぐにそう思い直して、落胆した。この言葉はきっと対外的なもので、彼の本心かどうかは分からない。義務だから仕方ないと思っているかもしれないからだ。
「実は僕からもアルンレイヒ側に是非先輩を招待してくださいってお願いしておいたんですよ。先輩のところにも招待状行ってますよね?」
「……ああ、きたよ」
ファティウスはフレンを前に始終笑顔だ。
対するフレンはなんとなく、面倒くさそうに彼をあしらっている。二人はどんな学生生活を送ってきたのだろう、とオルフェリアがなにとはなしに考えていると、ルーエン侯爵がお出ましになった。ホルディも一緒である。
「申し訳ございません殿下。ちょいと前の用事が押していましてな。ええと、こちらが……」
ホルディと同じ紅茶に牛乳を溶かしたような薄い茶色の髪をした老年の侯爵がファティウスに挨拶をした。
「ええ。僕の大学時代の偉大な先輩であらせられるディートフレン・ファレンスト氏です」
ファティウスのいささか芝居がかった紹介にフレンが苦笑しつつ、にこやかに立ち上がった。
老侯爵自らが案内してくれた部屋にはいくつかの骨董宝石が用意されていた。
客間なのだろう、舶来の陶磁器の壺や焼き物が飾り棚や花台の上に飾られている。床に敷かれた絨毯もおそらくは砂漠の国からの輸入品だろう。
「父は最近外国の珍しい品にはまっているんですよ」
ホルディが苦笑しつつ補足をする。
オルフェリアはいくつか古い時代の宝石類を解説してもらった。どれもがいまからおよそ三百年ほど前のものである。
「メンブラート伯爵家にもたくさん所蔵されておりますでしょう。なにせとても古い家柄だ」
たしかに色々とあるけれど普段はヴェルニ館の奥底にしまわれていて、オルフェリアだってそう簡単に見せてはもらえない。
そういうことをやんわりと伝えつつ、オルフェリアは言葉を続ける。
「ええでも、屋敷にある物はどれも似たり寄ったりで。色々な国の意匠に興味があるんです」
「なるほど。最近だと、リューベルンの品がよく出回りますな」
「リューベルンですか?」
オルフェリアは侯爵の言葉を繰り返した。
「ええ。あそこは政治が不安定ですから。代々の品をお金に換えて、他国に移住する連中が多いんですよ。そういったものはええと、」
「ロームに集まってきますね」
老侯爵の言葉を息子のホルディが引き取った。
「そうじゃった。ロームじゃ」
「私もルーヴェで同じようなことを窺いました」
フレンが同調した。
「アルメート大陸へ渡るのに資金が必要な場合、船の出るロームで換金する必要があるのか、リューベルン産の品はあそこに集まるんじゃ。最近ではオークションも頻繁に行われているようでな。この春にも大きな競りが行われるようで、私も一度顔を出したいと思っておりましてな」
「そうですか」
オルフェリアは相槌をうった。
メイナとカリナは会話には参加せずに物珍しげにテーブルの上に出されている骨董品をしげしげと眺めている。大きな碧玉のブローチは台座が動物の形になっている。異国の動物は、オルフェリアがこれまで見たこともない種類のものだった。なんでも、ラクダというらしい。
「近年では西大陸中からそれこそ色々な宝石が集まってくるらしい。ここ最近のことじゃ。どうやら主催団体のうちの一つに、キレ者がおるらしい」
「へえ。それは興味深いですね」
ファティウスが会話に加わった。
老侯爵の言った色々な宝石という部分に食い付いたのだ。
オルフェリアは隣に座るフレンにそっと目をやった。彼も難しい顔をしてなにやら考え込んでいるようだ。
「お嬢さんは、どんな宝石がお好みかな?」
「それは私も興味ありますね」
父の言葉に息子のホルディも乗っかる。
突然話を振られてオルフェリアは面食らった。骨董宝石に興味があると伝えているから物の流れとして聞いてきたのだろう。
オルフェリアは少しだけ逡巡して小さな声を出した
「ええと……。最近は、その……すみれの花が好き、です」
オルフェリアはドレスに付けてきたブローチをそっと撫でながら答えた。
◇◇◇
ルーエン侯爵邸を辞した後、夕食でも一緒に、とやたらとしっぽを振ってくるファティウスを振り切ってフレンはオルフェリアをいつもの会員制のクラブへと連れてきた。
昔からファティウスはやたらとフレンに懐いてきたが、ファレンスト商会の持つ商流に興味あるだけなのだ、とフレンは踏んでいる。
フレンにはそれよりも今は大事なことがある。フレンにとって現在の最重要事項はオルフェリアと仲直りをすることだ。
行きの馬車の中で話を振らなかったのは、短い時間で急いで話をして、再度話がこじれるのが嫌だったからだ。
目の前に座るオルフェリアは相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。注文した食事が運ばれてきて、机の上にぎやかになった頃、フレンは素直に謝罪の言葉を口にした。
「オルフェリア、この間はすまなかった。つまらないことを言ったのはわかっている。機嫌を直してほしい」
パニアグア侯爵邸でオルフェリアを怒らせてしまい、フレンはすぐに後悔した。
あのときはフレンも頭に血が上っていたから冷却期間が必要だと思った。ぱたんと扉が閉まった音を聞いてすぐに我に返った。
まずい、やってしまったと。
惚れた弱みというやつで、フレンはめっぽう彼女の怒り顔に弱くなった。
自分の都合を押しつけてむきになってしまったという自覚はある。オルフェリアは贅沢ではない。それどころか偽装婚約なのだからと遠慮をする。
それがフレンにとってはもどかしい。ファレンスト商会の跡取りだと知ると、女性は皆おねだりをしてきた。あれがほしい、これがほしい、と。
なのに、彼女は何もねだらない。だったら、フレンは彼女に何を与えればいいのか。
オルフェリアは相変わらず黙ったままだ。
まだ怒っているのだろうか。彼女のどんな顔も好きだし可愛いと思うけれど、嫌われたくはない。
「……フレンこそ……」
オルフェリアはか細い声を出した。
「なに?」
「フレンこそ……、怒っていない? わたしのこと。わたし、とても嫌な言い方をしたと思うから」
オルフェリアは叱られた子供が沙汰を待つような所在なさげに肩を震わせた。




