四章 仮婚約者業の憂鬱6
ミュシャレンの王都にあるアルムデイ宮殿。ご存じ国王、王太子一家も住まう宮殿だ。
昼下がり、宮殿にある日当たりのよいサロンではお茶会が開かれていた。王太子妃レカルディーナが主催する茶会の主賓はレーンメイナ・ハプニディルカ伯爵令嬢である。
いくつかのテーブルを囲むように置かれた長椅子。色とりどりのドレスを着た独身、既婚を問わず集められた妙齢の貴族令嬢たち。その中でもメイナは今日の主役である。
王太子妃レカルディーナが隣国の王室へ嫁ぐメイナのために懇親を兼ねて開いてくれた会だ。
(これが王子妃になるということ……)
メイナは心の中でゆっくりと反芻した。年明けに結婚を約束して慌ただしい日程の中ファティウスの故郷デイゲルンへ帰り国王に結婚の許可を貰いうけた。古いしきたりが幅を聞かせるデイゲルン王室があまり好きではないファティウスはすぐさまアルンレイヒへと戻った。メイナももう少し故郷でゆっくりしたいだろう、なんて言うけれど、本当は彼が国に帰りたくないだけのことだ。彼は許されるぎりぎりまで帰国しないだろう。
「レーンメイナ様はいつまでミュシャレンにいられるのかしら」
レカルディーナは手はずからメイナにお茶を注いでくれた。
「もうしばらくはミュシャレンに滞在をすることになると思います。そのあと、一度殿下の所有している商会の視察を兼ねて南の飛び地へ赴くことになるかもしれません」
「ファティウス殿下は商会を持っていらしたのだったわね」
レカルディーナが得心したように頷いた。メイナはにっこりと笑った。
「はい。殿下自身旅がお好きなようで、様々な国のお話をしてくださいます。とても興味深いですわ」
「たしかフラデニアに留学していたことがあるのだったわね」
「はい。自由な気質のルーヴェの空気がとても性に合っていたとおっしゃっておいででしたわ」
「そうなの。きっとよい思い出がたくさんおありなのね」
自身も青春時代を隣国の寄宿学校で過ごしたレカルディーナは懐かしそうに瞳を細めた。
「わたしもいつかファティウス殿下と一緒にルーヴェへ行ってみたいです。その前に花嫁修業が始まりますので、いつになるのかはわかりませんが」
メイナはお茶に口をつけた。
「あなた、ミュシャレンではデイゲルンの大使館に滞在しているのでしょう。緊張することもあるかと思うの。わたしも、婚約したばかりのころからこちらの宮殿に滞在することになって当時は慣れないこと続きだった覚えがあるわ。なにか不安なことがあればいつでも相談に乗るから、気兼ねしないで頼ってね」
「まあ、もったいないお言葉ですわ。レカルディーナ様」
メイナはおっとりと微笑んだ。
心の中では、これまで雲の上の存在であったレカルディーナから親し気に話しかけられた喜びでいっぱいである。
アルンレイヒの貴族が隣国の王子へ嫁ぐことになったからか、王家はこの時期にしては珍しく夜会を開くことにした。もちろん主賓はファティウスとメイナである。二人の婚約を祝っての舞踏会なのだ。
王室主催の舞踏会はそれこそ、久しぶりのことで貴族の間でもこの話題で持ちきりだ。
レカルディーナが自分に優しくしてくれる。特別に目を掛けてくれる。そのことが純粋に嬉しい。レカルディーナは若い貴族女性の間で人気だからだ。一見するとハッとする美貌の持ち主で、肩口にそろえた短い髪の印象から、近寄りがたい印象を持つレカルディーナだが、口を開けば明るく気さくだ。にっこり笑えばえくぼができて途端に親しみが沸く。普段は取り巻きのお姉様世代の女性たちががっちりと周囲を固めているけれど、その一角を成すイグレシア侯爵夫人は現在家の都合で領地へと帰っている。
「わたしと違って他国の王室に嫁ぐんですもの。文化の違いなどもあるだろうし、デイゲルンはアルンレイヒより閉鎖的だというし。本当に、気兼ねしないでね」
「ありがとうございます。でしたら、お言葉に甘えてまた一緒にお茶をしていただければ嬉しいです」
「わたしでよければいつでも。そうだわ、一度子供たちとも一緒に遊んであげてね」
「是非ご一緒したいです」
「約束よ」
同じテーブルを囲む女性はもう何人かいるけれど、現在レカルディーナを独占しているのはメイナだけだ。そのことがとても嬉しい。
だって、これからは同じ王族同士だもの。同じ立場同士分かりあえることだってある。まあ、こっちは気楽な三男坊のお嫁さんだけれど。それでもファティウスの父王が王位を退くまではメイナだって王子妃だ。王室の、王子の妃なのだ。
「そうだわ。オルフェリア、あなた最近花嫁修業と称して母に色々と連れ回されているんですって? 大丈夫? あの人、ちょっとふわふわしたところがあるから、嫌なら嫌って言った方がいいわよ」
残念。どうやらレカルディーナの独占時間は終わったらしい。レカルディーナは同じテーブルを囲んでいるオルフェリアに話しかけた。彼女の婚約者はレカルディーナの母方の従兄である。普段ディートフレン・ファレンストは自身が王太子妃の身内だと誇示しない。しかし、上流階級では皆が知っている。ただし、普段は忘れているが。たまに、こういうときに思い出す。
「大丈夫です。わたしずっと領地に籠って暮らしていたので、とてもいい勉強になっています。社交も慈善活動も立派にこなせるよう努力します」
まじめなオルフェリアはレカルディーナの言葉にお堅い女学生の見本のような返事を返した。普段よりも赤い顔が、彼女の緊張を如実に表している。
「ロルテーム語の勉強もしているのですって」
「はい。小さい頃は主にリューベルン語を勉強していたのでロルテーム語は苦手なんです。ロルテーム語を流暢に操れるようになってみせます」
「まあ頼もしい。ロルテーム語はわたしもずっと寄宿学校時代に勉強していたのよ。逆にリューベルン語が苦手でね。殿下と婚約している時に必死に習ったの。懐かしい」
「わたくしもリューベルン語は苦手ですわ」
「王太子様はロルテーム語をとても流暢に操って羨ましいですわ」
「本当、今度発音のコツを教えていただきたいですわ」
レカルディーナの言葉に、何人かの女性らが追従した。以前のメイナだったら、同じく最後にやっと「わたくしもですわ」と言うのが精いっぱいだっただろう。
「オルフェリア、わたしでよければ今度ロルテーム語教えてあげるわ」
レカルディーナはオルフェリアに親しげに笑いかけた。余所行きの笑顔ではない、本物の笑顔。メイナは少し面白くなかった。オルフェリアはいつの間にあんなにも王太子妃と親密な間柄になったのだろう。
しかし、それと同時に納得する部分もある。彼女の婚約者は王太子妃の従兄なのだから。
「ありがとうございます」
オルフェリアがはにかんだ。人形のような精緻な美貌を持つオルフェリアが笑うと、少しだけホッとする。あまり表情が変わらないので、たまに彼女は本当に生きているのかと疑うことがあるから。
メイナはオルフェリアのことが嫌いではない。
最初に話をしたときは呆気にとられた。彼女は、とても正直だ。というか率直で言葉を飾らない。飾ることを知らないし、そのせいできつい単語を選ぶことがある。
メイナはオルフェリアと話した時に、馬鹿な子だと思った。そんなに素直だと、すぐに潰されるのに、と。もっと賢く立ち回らないと生きていけないし美味しいところは全部誰かに持っていかれちゃうわよ、と。美味しいところを持っていくのはメイナやカリナ、ミリアムだったこともあるし、別の令嬢だったりもした。
元は公国だった由緒ある名門貴族の令嬢。この肩書を持った人形のような美貌の令嬢。そんな脅威はさっさと潰すに限る。思ったことはみんな同じだったようで、普段は牽制し合う令嬢たちが対オルフェリアでは共闘した。
そうこうしているうちにオルフェリアは奇行に走った。突然フラデニアの商人と婚約したのだ。六百年もの歴史を誇る、名門貴族の令嬢がたかだか三代もさかのぼれないような商売人の人間と婚約。まさかでしょう、と思った。
けれど、相手はあのファレンスト商会で、この手の話題はタブーだった。なにしろ王太子妃の母親の実家がファレンスト商会だからだ。母親の実家が爵位なしだろうと、父親は伝統ある侯爵家なのだからレカルディーナだってれっきとした侯爵令嬢である。しかし、微妙な問題には変わりない。
「では、ゆっくり楽しんでいってね。わたしはあちらに挨拶をしてくるわ」
レカルディーナはそう言って別のテーブルの方へ離れて行った。
王太子妃が席を離れて、妙な緊張感から解放された面々はどこからともなく息を吐いた。同じテーブルにいるのはメイナと同じ年頃の令嬢ばかりで、レカルディーナと話してみたくても外野を取り囲むくらいかできない。
それぞれがお茶やコーヒーなどで口をうるおしお菓子をつまんで、ようやく人心地がついてきた。それぞれが銘々に話し始めた。
「緊張したわ」
「ほんとう。王太子妃様やっぱりお綺麗ね」
「それにしても、オルフェリアはいつの間に王太子妃様とあんなにも仲良くなったのよ」
「あんなにも王太子妃様に気にかけてもらってうらやましいわ」
同じテーブルの少女たちは羨望のまなざしをオルフェリアに送った。
「婚約者がファレンスト氏だものね。いくらでもコネがあるわよね」
と、最後のこれはミリアムだ。その声はメイナが聞いても冷ややかに感じ取れた。
ファティウスとメイナのお披露目のための夜会に合わせてミリアムは寄宿舎に休学願を提出したと言っていた。今度の舞踏会に賭けているようで、呆れ半分彼女の場合は仕方ないか、と納得半分なメイナだ。彼女の言い分は寄宿学校時代から嫌というほど聞かされている。
オルフェリアが婚約して婚活市場から降りたにもかかわらずミリアムは相変わらずオルフェリアに冷たい。




