四章 仮婚約者業の憂鬱2
「オルフェリア、彼はね、デイゲルンが陰気臭いと嫌っていてしょっちゅう外国に飛び回って外交官のまねごとをしているんだ。自身で商会も立ち上げていてね。うちとはライバルかな」
「またまた。先輩のところには敵いませんよ。もっと仲良くしてください」
「仲良くしていると、うまい話を横取りされるだけでこっちには何の益もない」
「そんなことないですよ。可愛い後輩じゃないですか」
「自分で可愛いっていうか。憎たらしい後輩の間違いじゃないか」
ファティウスがああいえば、フレンも負けじと応酬する。二人の間にはオルフェリアには入っていけない気安い空気が漂っている。
「フレン先輩たら相変わらずだなあ。大学時代は一緒に色々と冒険したのに。主にルーヴェの色街で」
「それで、私たちを呼び出した理由を聞かせてもらうかな。まさか、昔のくだらない話をするために忙しい私を呼びつけたわけでもないだろう?」
色街、という単語が出た瞬間にフレンは大きな声でファティウスの言葉を遮った。
色街とはどんな街だろう。知らない単語である。聞いてみたい半分、聞いたらまずいような気がする。
「別に先輩を呼んだつもりはなかったんですけどね。僕が用があったのはメンブラート伯爵令嬢の方だったのに。無理やり入りこんだのは先輩の方じゃないですか」
そこでようやくファティウスは落ち着つくように長椅子に腰を下ろした。オルフェリアとフレンも腰をおろし、使用人がコーヒーを運んできた。
使用人が立ち去るのと入れ替わるように、ファティウスの側付きが入室し、小さな布製の袋を手渡した。
側付きの男性はそのまま部屋の隅の方に控え佇む。
「僕の用というのはこれなんです」
ファティウスは布袋を手に持って、中身を取り出した。
「これって」
中から姿を現したのは直径三センチほどの丸い大粒のサファイアである。金の台座に乗せられたサファイアを取り囲むように小粒の宝石が散りばめられている。
深い蒼色をした宝石にはメンブラート家の紋章と「我が臣下へ」という文字が彫られている。
「メンブラート家家宝で間違いないかな?」
ファティウスからサファイアを受け取ったオルフェリアはまじまじと掌の中にある宝石を見つめた。昔見せてもらったものと違わない。掘られた紋章の隅々を丹念に検証したオルフェリアは厳かに頷いた。
「確かに、我が家の家宝だと思います。その、断言するのは早計だけれど」
「で、きみはこれをどこで手に入れたんだ?」
オルフェリアの手元を覗きこんでいたフレンが質問をした。
「実は晩秋の頃に僕の商会とひと悶着あったアルメート大陸の男が持ってましてね。彼はこのご時世に奴隷商売をやっているような奴だったので、まあそれでちょっと色々とありまして。で、彼がなにやら身の丈に合わない宝石を後生大事に守っていたものでつい奪い取った次第で」
ファティウスはひょいと肩をすくめた。
オルフェリアは首をかしげた。商売でひと悶着あって、それでどうして宝石を奪うことになるのだろう。分からない。
「ファティウス。ちゃんと分かるように説明をしてほしい。オルフェリアが吃驚しているだろう」
「はいはい。あんまりこちらの手の内は明かしたくないんだけどなあ」
おどけたように含み笑いをするファティウスはそれでも、順を追って話してくれた。
彼の母国デイゲルンはアルンレイヒの東隣の国である。南の海沿いに飛び地として領地を持つデイゲルンの立地を生かしファティウスはいささか内向的な本国に嫌気がさし、気楽な王家の三男坊という立場を最大限に利用して自身の商会を立ち上げた。
船を介した外国との貿易で財をなし、アルメート大陸や東沿岸国、果ては遠く離れた南の諸島などから品物を仕入れる商会を築いた。もちろん、実際に商会を取り仕切るのは別に雇った人間である。ファティウスは上がってくる書類に目を通し、兄王子らからの要請に従ってそれらの取引諸国の内情を報告するなどしている。元来外歩きが好きなファティウスは自分自身も船に乗り取引現場に赴くこともある。
「ま、そうした折に例の男と知り合いまして。彼はアルメート大陸で財をなした商人でね。生粋のアルメート生まれのアルメート人だから西大陸のやり方を軽視していて。で、しかも奴隷商人だったんだ。裏でこちらの大陸の孤児たちを攫ってきてアルメート大陸で売り払っていたんですよ。最近はリューベルン連邦から逃げ出した貴族なんかも彼の毒牙にかかっていてね。で、デイゲルンとしても放っておけなかったし、乗りかかった船でやつを懲らしめようとしたんだけど、ちょっとした隙に逃げられてしまったという次第です」
ファティウスはなんのこともないとばかりに淡々と話した。
フレンは黙って彼の言葉を聞いている。
オルフェリアは話についていけずにフレンの袖をちょんちょんと引いた。小さな動作だったけれど、フレンはすぐに気がついた。それまでの険しい顔つきを一転させて、オルフェリアの方に顔を向ける。
「奴隷がアルメート大陸の主要な国で禁止されたのは知っているよね。もちろんこちらでも」
オルフェリアは曖昧に頷いた。
オルフェリアにとって大洋を隔てた新大陸の政治にまつわる話など、本の中の読み物と同じくらい遠い世界だ。とくに温室で大事に育てられた貴族の令嬢は世情よりも淑女としての嗜みを重点にしつけられる。
「とはいっても今までの因習をすぐに変えられるはずもなくてね。何より金が絡むとややこしいんだ。もっと南から人を連れてくるわけでもなく、同じ肌の色をした西大陸人をこのんで買おうとするアルメート人も少なからずいるし。もともと彼らはこちらからの移民だからね」
「デイゲルンの領内でも海に面した辺りで水面下で孤児を攫っていた男、名前はヴァスナーっていうんだけど、彼のことを兄たちからもどうにかしろって言われていたし。捕まえたら興味深いことを喚いていてね。なんでも、自分はメンブラート伯爵を継ぐ資格がある。証拠の宝石も持っているからこんな扱いをしてただで済むと思うな云々。眉唾だと思ったけど一応証拠とやらを確かめさせてもらって」
そこまで話してファティウスは目線をオルフェリアの手の中にやった。
「これが出てきたということですか」
「そういうこと。きみの家の紋章は僕も見たことがあったし。ちょっと強引に聞きだしたらとある商人から買ったと白状した」
「とある商人って誰ですか?」
オルフェリアはたまらずに質問した。一番知りたいのはそこである。
家を出たバステライドの消息を知る手掛かりになるかもしれない。
「そこまでは彼も知らないようでね。どうやら羽振りのいい物腰の優雅な男らしい。一年半ほど前にダガスランドのとある屋敷で買ったと言っていた」
「ダガスランド?」
「アルメート大陸の玄関口の都市の名前だよ。アルメート共和国にある」
「そんなところに……」
ということは大陸冒険旅行をしに行った父が資金に困って売り払ったのだろうか。十分に考えられる筋書きだ。
「ヴァスナーの寝言はさておき、曰くのある宝石を彼の手元に置いておくのもあれだったし、出どころも不審な点が多かったし。とりえあず取り上げさせてもらったんだ。元よりどうせ汚い金で手に入れたものだ。奴の手元に置いておく道理はない。そうこうしている間に実はヴァスナーに逃げられてね。宝石を取り戻そうとするはずだからおそらく西大陸をうろちょろするだろうと、行方を追っていたら彼は何を思ったかミュシャレン入りをしたという情報を貰ってね」




