四章 仮婚約者業の憂鬱
日を改めて後日のことである。
オルフェリアはフレンとともにデイゲルン王国の大使館へと赴いた。アルムデイ宮殿にほど近い区画に各国の大使館が軒を連ねる一角がある。大使館といってもその建物は大貴族の邸宅と変わらないくらい華美で優雅な建物である。大使一家が奥で生活をしており、季節によっては親睦を兼ねた夜会が開かれることもある。
そこに現在とある男性が滞在している。
オルフェリアが紹介されたのはデイゲルンの第三王子ファティウス・ホーエルヴァルト・デイゲルンという青年だった。
メンブラート家姉弟の窮地を救ってくれた青年その人こそがデイゲルンの第三王子殿下だったのだ。
そして、驚くことはもう一つあった。
「まさか殿下がフレンの大学時代の後輩だとは。あなた、無駄に顔が広いわよね」
オルフェリアはまじまじとフレンのことを眺めた。
「といっても実際に私の後輩だったのは彼がルーヴェに留学していた二年間だけで。金払いがよかった私はすっかり殿下に気に入られてね。おかげで色々とおごらされたよ。酒とか」
「おごる……?」
オルフェリアは眉をひそめた。フレンは時々下町言葉を使うのだ。
「ええと。酒とかご飯をごちそうしてたってこと」
「嘘でしょう。殿下、お金持ちじゃない」
「そこがファティウスのちゃっかりしていたところだよね。普通向こうがごちそうする側だと思うんだけど」
フレンは苦笑する。
オルフェリアはフレンの顔をまじまじと見た。過去を懐かしむように彼は眦をさげている。なんだかんだ言いつつファティウスのことが嫌いではないのだ。
オルフェリアはまた一つフレンの意外な過去を知った。
「それよりも、きみがまだ私に隠し事をしているとは思わなかった」
今度はフレンがオルフェリアに尋ねる番だった。
「……」
オルフェリアは黙秘をした。
心当たりは十分にある。
「オルフェリア」
「何よ。わたし以前に言ったわ。父は家出をするときに色々なものを持ちだしたって」
「そうだっけ? 借金を返すために色々と大変だったことは聞いたけど」
「似たようなものじゃない」
「全然違うよ」
フレンはオルフェリアの手を取り、おもむろに自身の方へ引き寄せた。そうした何気ないしぐさ一つでオルフェリアの心が跳ね上がるのを彼は知っているのだろうか。
「オルフェリア、私はきみの婚約者だ。きみのことを助けたい。だから、全部包み隠さずに教えてほしいんだ。きみに隠し事をされると辛くなる」
ファティウスを待っている最中である。
真摯な声色を聞かされるとオルフェリアはぐっと詰まった。彼の声が本物だと分かるから、余計に心が騒いだ。
「あの……。伯爵家には元々ふたつの家宝があって。一つは昔王女様が降嫁してきたときに持参したダイヤモンドの首飾りで。耳飾りもあるけれど、一番なのは首飾りの方で。そしてもう一つが、これも現在のローダ王家から下賜された剣で。というよりかは剣の鍔に付けられた『蒼い流れ星』という大粒のサファイアの方が価値が高いのかしら。もちろん、剣と一体になっていることに意味があるんだけれど」
「それをきみのお父さんは持ちだした、と。そういうわけなんだね」
オルフェリアはこくりと頷いた。
「冒険家になるために家出をしたときに持ちだしたのよ。たぶん、売り払うために」
メンブラート家の最重要機密事項だった。
バステライドは借金をするだけでは飽き足らずあろうことか家宝を持ちだした。さすがにダイヤモンドを持ちだすのは気が引けたのか、もしくは一度に持ち逃げするとまずいと踏んだのか。どちらにせよカリストは怒気を露わにして、カリティーファは寝込んだ。リシィルとエシィルはお互いに顔を見合わせて呆れて、オルフェリアもさすがに父のことは庇えなかった。
「それを昨日のあの男が買ったってわけだね。で、きみたちに因縁をつけてきた。せっかく買った宝石を盗まれたから」
「そうみたい」
「そういう話はもっと前に聞いておきたかった」
「あなたには関係ないと思ったから」
「オルフェリア」
関係ないと言ったらフレンの顔が曇った。
「ごめんなさい……。でもだって、伯爵家の機密事項よ。婚約者といえどおいそれとは話せないわ。今だって対外的にはメンブラート伯爵家の宝物庫に眠っていることになっているのに」
オルフェリアは必死になって言い訳をした。
今回結果的に知られることにはなったけど、カリストは絶対に立腹するだろう。リュオンだって苦々しい顔をしていた。
「いいよ。きみが謝ることじゃない……。ただちょっと、ほんの少しさみしかっただけだ。きみに隠し事をされると、私は悲しくなる」
フレンはオルフェリアの頬を撫でた。
心の奥を撫でられるような気分になる。けれど、こうしてフレンが自分の頬に触れるのを心地よく感じている。触れてもらうと安心する。目の前にフレンがいて、自分のことに親身になってくれて。
なのに、すぐに悲しくなる。
これはオルフェリアに対してしているのではない、彼は演技をしているだけだと自分を戒める。幸せな気分に浸り過ぎるのは良くない。
「フ、フレン。触りすぎよ。二人きりの時まで演技をする必要はないわ」
「きみがいつまでたっても恋人設定に慣れてくれないから。私に触れられるのは嫌?」
嫌ではない。もちろん今だって心が震えるほど嬉しい。このまま彼の本物になりたい。なれたらいいのに。
けれど、嫌ではないなんて言ったらオルフェリアの心の奥まで見透かされそうで、そうなると色々と困る。
「嫌」
気付くとオルフェリアは簡潔に言っていた。言ってすぐに後悔した。
「分かったよ」
フレンは固い声を出して、オルフェリアから離れた。
(もっと、違う言い方ができたはずなのに)
どうして自分はいつも間違ってしまうのだろう。フレンの声の低さが、彼と自分との距離のように感じてオルフェリアは唇を噛みしめた。
二人の間に気まずい空気が漂い始めた時、ファティウスが姿を現した。
オルフェリアとフレンは立ち上がって彼を迎えた。
「お久しぶりです、先輩。先輩たらこんな綺麗なお嫁さんを貰うなんて。今まで独身を貫いた甲斐がありましたね」
フレンの大学時代の後輩だったという王子殿下はほがらかな笑顔を二人に披露した。
「きみだって婚約したんだろう。聞いているよ、ええと、ハプニディルカ伯爵令嬢だっけ?」
フレンの言葉でオルフェリアはぴんときた。
そういえばレーンメイナは隣国の王子を射止めたとかなんとか、カリナが言っていた気がする。目の前の男が噂の王子とのことか。
フレンは先ほどの気まずい空気をまるで感じさせないくらい明るい口調で受け答えをして、オルフェリアを自身へ引き寄せた。オルフェリアはされるがままになる。
彼の胸に頬が当たって、無意識に紅潮した顔で彼を見上げる。
「ええ。この冬に電撃的婚約をしましてね。ついこの間まで実家に帰っていたんですけど、相変わらず陰気臭いのでまた逃げてきました」
「相変わらずあちこち飛び回っているのか」
「ええ。面白いですよ世界は」
ファティウスは両腕を広げてみせた。




