三章 自覚した恋心5
リュオンはそっけなく返した。自分の将来の相手なんてどうせ政略結婚でカリストが身繕ってきた相手に決まっている。
「それよりも、男性一人でふらりとやってくる輩もけっこういるんだな」
「みんなそこそこ身なりはいいよね。侯爵夫人に取り入ろうとする人もいるんじゃない。夫人たちも挨拶で忙しそうだし。これって貧しいけれど、将来有望な若者のための奨学金基金なんだろう。学校関係者とかもいるんじゃないのか?」
「そうかもしれないけれど……」
リュオンは難しい顔をした。
結局慈善事業だろうと社交の一環ということか。お気楽なのは家を継ぐのはまだ先と考えているリュオンらのような学生だけなのかもしれない。自分も寄宿舎を卒業したら、ああいう社交をこなすようになるのか。リュオンにとって寄宿舎の同級との触れ合いやオルフェリアについて回って得た情報は全部が新鮮で、興味深いものだった。
オルフェリアもオートリエに呼ばれて挨拶をしている。挨拶をしている人物の中に、よおく見知った顔を見つけたリュオンは昼食を大慌てでかきこんで、ついでにノーマンもせかした。
「ああ、ホルディ先輩だ。あの人も大概にして物好きだよね。婚約者のいる令嬢にちょっかいをかけるなんてさ。どっちかというとリュオンと並べて反応を楽しみたいのかと思っていたけれど、実際のところはどうなんだろう」
「知るか、そんなこと! さっさと食べ終われ。先輩から姉上を守るんだ」
リュオンは焦燥感に駆られた。
「お姉さんの隣には侯爵夫人も、他の令嬢もいるから大丈夫だと思うけど」
対するノーマンは悠長に静観の姿勢を構えている。パニアグア侯爵夫人の甥がフレンだということは、普段あまり口上に上がらないが周知のことである。
それでもリュオンは焦った。寄宿舎の先輩というのは後輩にとって絶対だからだ。身分が上とか下とかは学生時代はあまり関係がない。だから、リュオンもホルディに対しては強い態度を取ることができない。何しろ相手は昨秋卒業したとはいえ大先輩に当たるからだ。女性みたいな顔立ちのリュオンのことをなぜだか気に入ったホルディに傍付きにされ、最終的には女装までさせられたのは黒歴史である。
と、そんなことをリュオンが思っていると、リュオンにとってもっと面白くないことが起こった。
会場となっている教会の敷地内に入ってくるなり、まっすぐにある特定の人物の元に駆け寄った青年。品のいい羊毛製の上着を羽織った金茶髪の紳士。
「ちっ」
リュオンは品悪く舌打ちをした。
「なんだ。王子様の登場じゃないか。リュオンの出る幕はなかったね」
ノーマンの茶化した声も不機嫌なリュオンの耳には届かなかった。
◇◇◇
「オルフェリア!」
心の準備もなしに、目の前に好きな人が現れた時にする正解の反応。
その一。嬉しい顔をしてなりふり構わずにその胸に飛び込む。
そのニ。笑顔で出迎えて、けれど「事前連絡くらいしてほしかった」と可愛らしく拗ねてみせる。
その三。どうしてもっと早く帰ってきてくれなかったの、と怒る。
オルフェリアが見せた反応はそのどれでもなかった。
「フレン!」
目の前にフレンがいる。最近は手紙のやり取りしかしていなかった、先だって好きだと自覚をしたオルフェリアの偽婚約者。
前情報もなく、なんの気構えもしていない状況で、好きな人が目の前に現れてオルフェリアはパニックになった。
当然のことながら辺りの人間を気にかける余裕すらない。
フレンのことが好きだいうと自分の心に正直になったあと、どんな顔をしてフレンに会えばいいのか、会いたいのに会うのが怖いとずっと思っていた。フレンがルーヴェに帰って一月ほど経過している。すでに二月も半ばに差し掛かかっている。
聞きなれた声が懐かしい。緑玉のような瞳を眺めるのは何日振りだろう。相変わらず洒落た格好をして、自身を演出してみせて。
「あら、フレンたら。列車がついてそのまま直行してきたの? 相変わらず仲良しさんねえ」
オートリエがころころと笑った。
「ええ。オルフェリアからも叔母上からもバザーのことは聞き及んでいましたからね。仕事が片付いてほっとしていますよ。皆さんも、私の婚約者がお世話になっています」
フレンはオートリエに挨拶がてら返答をし、最後は同じ場にいる男性らに牽制をした。
もちろんオルフェリアはそれどころではない。
次に彼に会ったら、どうなるんだろうと思っていた。
心臓が口から飛び出るかもしれない。どんな顔をして会えばいい? 何を話したらいいのだろう。オルフェリアは何かを言おうとしたが、心臓はばくばくと早鐘を打つし、顔は勝手に火照ってくる。
気がついた時には、オルフェリアはミネーレの後ろに隠れていた。
「お、お嬢様?」
「オルフェリア?」
ミネーレとフレンが同時に声を出した。
(だ、だって……フレンとどんな顔をして会っていいのか分からないんだもの)
今だって、とっても緊張しているのに。離れていた分、目の前に現れたフレンは以前よりも格好良く映って、それが余計にオルフェリアの心をざわつかせる。
「えっと、その……」
ミネーレの背後に隠れたものの、フレンのことは気にかかる。久しぶりに再会した想い人の顔は目にしたい。オルフェリアはおずおずと彼女の背後から顔を覗かせた。
何が起こったのか分からない、といったように呆気に取られているフレンは、それでもオルフェリアの目にはいつもの数倍いい男に映る。なんだか世界が変わってしまったかのようでオルフェリアは狼狽した。
「あら、あらあら」
オートリエは初心な反応を示したオルフェリアを楽しげに見つめた。
ちなみにフレンは呆気にとられた後、小さく眉根を寄せた。
「久しぶりに再会したものね。恥ずかしいのよね。わかるわあ、その気持ち。わたくしもセドニオ様と少し離れていただけでああしてちょっと拗ねて見せたりして」
と、ここでオートリエののろけ話が始まって、居合わせた人間が苦笑を洩らした。一度始まると長いのろけ話なのである。
「オルフェリア、ただいま」
フレンの温かな声にオルフェリアはどきりとした。
「あ……」
何か言わないと。おかえりなさい、とか。そういう挨拶的なもの。なのに……。
オルフェリアは口を少しだけ開いたり閉じたりして。そして。
つい、逃げ出してしまった。
だって、どんな顔をして会えばいいの。好きだから、恥ずかしくて。緊張してしまって、うまく話せる自身がない。
◇◇◇
ミネーレの制止の声も無視してオルフェリアは駆けだした。
教会の敷地内の隅にあるベンチの近くまで走ってきて、それから一息ついて腰を下ろした。思えば朝からずっと挨拶のし通しで一息つく時間もなかった。
「姉上」
声のした方に顔をあげると、そこには案の定というか、リュオンがいた。
「リュオンたら。まだいたの」
「今日の僕は姉上の騎士ですから」
リュオンの言葉にオルフェリアは今日何度目かのため息を漏らした。そろそろ十四にもなろうかという少年なのにいつまでも姉にべったりというのも駄目な気がする。
それにオルフェリアにとっての騎士はただ一人だけだ。
「なんか不満そうですね」
長年連れ添った弟というものは、オルフェリアの心の機微にも素早く反応を示すのである。
「別に……」
オルフェリアはリュオンのことを睨みつけた。
今は一人にしてほしい。自分でも心を持て余しているのに、リュオンに気を回している余裕はない。




