三章 自覚した恋心3
ミリアムは化粧台の前に座った。侍女が手なれた仕草で化粧を施して行く。寄宿舎で化粧は厳禁だから、帰省のときしか化粧をする機会がない。それでもミリアムはミュシャレンで流行している化粧品は一通り持っている。
目をつぶっている間もミリアムは考え事に忙しい。
今滞在している侯爵が所有する街屋敷に兄夫婦は住んでいない。年の離れた兄夫婦は少し離れたところに屋敷を構えている。この屋敷は父の物で、その父は高齢のため領地から滅多にでてこない。父が娘の結婚相手探しにあまり熱心ではないから、というか長男である兄夫婦にそういったところを任せきりであるからミリアムが苦労する羽目になる。
ミリアムは兄嫁と折り合いが悪い。家令や執事、古参の使用人は兄嫁より正真正銘侯爵令嬢のミリアムを上に立てる。当然のことである。ミリアムはれっきとした侯爵家の令嬢なのだから。それが兄嫁にとっては面白くない。
けれどそれは仕方のないことだ。兄嫁はたかだか百年ほど前に貴族に叙せられた程度の知れた子爵家の出身なのだから。生粋の侯爵令嬢のミリアムに敵うはずもないのに、対抗しようとするからいけないのだ。
ミリアムは意識なく自身の唇を噛みしめた。
(大体、わたしにふさわしい家柄の、適齢期の男性が少ないのが問題なのよ!)
そう。現在のアルンレイヒ国内の有力貴族の中で、ミリアムがこの人なら嫁いでもいいと思える家柄の独身男性はそう多くない。
ミリアムの中で絶対に譲れない条件。それは生家の家格と同等かそれ以上。もちろん跡取り限定。
でないと、結婚した途端に兄嫁に大きな顔をされるから。由緒ある(といっても家の歴史でいったらメンブラート家には敵わないけれど)侯爵家に生まれたのだから嫁ぎ先だって上流貴族でないと話にならない。けれど、自分にふさわしい家格に同じ年頃の男性がいるかといえば、それはまた別問題だ。いささか変わり者だけれど、ずっと独身を貫いてきたイグレシア公爵家の嫡男は、二年前にフラデニアの申し分のない家柄の公爵令嬢に取られてしまった。蝶々が好きな変わり者でも公爵家の跡取りだからと、ミリアムはずっと彼のことを狙っていたのだ。(当時まだ十五歳だったミリアムだが、十くらいの年の差なんてどうってことないとミリアムは思っている)
そういうところにまったくこだわらなく結婚相手を決めたオルフェリアを見ていると、無性に腹が立つ。婚約前は、顔がきれいで自分よりも歴史ある家柄の伯爵家出身という彼女を脅威に感じた。伯爵といいつつ、アルンレイヒの臣下に下る前、今のローダ家が天下を取る前は公国だったメンブラート家。西大陸と呼ばれる地域の中でも由緒ある家柄なのだ。親戚はそれこそ各国に散らばっているし、どこぞの王家の系譜をたどればメンブラート家の女の名前がわんさかとでてくる。
そんな一流の一族の直系の娘が自分と同世代なんて。
脅威の目はさっさと積むに限る。そう思ってミリアムは積極的にオルフェリアの評判が悪くなるように、彼女を意地の悪い令嬢に仕立て上げた。
「お嬢様。顔の緊張を抜いてくださいませ」
知らずに力が入っていたのか、化粧を施す侍女から注意を受けた。
黒髪に赤茶色の瞳をした侍女は最近雇われた新入りだ。前職でも令嬢の身支度を整える仕事を仰せつかっていたとのことで、なるほど確かに化粧を施していく手際はとてもよかった。今までの侍女よりも慣れているといってもいいくらいだ。
やがて化粧が終わり、髪の毛の支度も整った。
ミリアムは鏡に映る自身を隅々まで観察した。化粧は十代のミリアムの魅力を前面に押し出すよう、あくまで控えめに。自然に映るように仕上がっている。
オルフェリアの新しい侍女はやたらとファッションに詳しいらしく、フレンと婚約してからのオルフェリアは目に見えて変わった。これまでの野暮ったいドレスから一転、ミュシャレンやルーヴェの一流どころの仕立屋でドレスを揃えるようになった。
「ふうん。まあまあ、いい出来じゃない」
この言い方はミリアムにしたら最高の賛辞である。
「ありがとうございます」
侍女は深々と頭を下げた。
「あなた、新しく入った子よね」
ミリアムは鏡越しに尋ねた。なんとなく、物のついでに聞いてみようと思っただけだ。
「はい。これまでもミリアム様と同じ年頃のお嬢様に仕えておりました。そこで化粧係をしておりました」
「そうなの。それってどこの家かしら」
ミリアムは質問を続けた。
侍女は外国の貴族の流れを汲むとある一家の名前を口にした。ミュシャレンには父親の仕事の関係で住んでいたらしいが、このたび帰国をすることになり紹介状を書いてもらったとのことだった。
「ふうん」
ミリアムは興味をなくして、侍女を下がらせた。万が一知っている家だったら彼女に対する態度をどうするか考えなければならなかったけれど、外国人ならその必要もないだろう。
ミリアムは別室に待機をしていたカリナを呼びに行って屋敷を出た。
今日はただ寄宿学校の友人とミュシャレンの街中を散策するだけだ。もうすぐ春になるから、新しい春用の羽織りものや日傘を選んでもいいし、舶来の珍しいお茶を買ってもいい。そのついでに、ちょっと教会の近くまで寄ったらたまたま慈善バザーが開催されていた。そこに見知った顔がいたら挨拶をするのは当然のことで、それが自身の評判につながる。
色々と面倒な手順だけれど、世の中にはこの面倒な理屈を捏ねないと動くことのできない人間が多々いる。
ミリアム・ジョーンホイル侯爵令嬢もご多分にもれず、理屈好きなのだった。
◇◇◇
バザーの日に合わせて外泊申請をしていたのはミリアムだけではない。リュオンもまた、外泊申請をしており、昨日はミュシャレンのインファンテ邸に泊っていた。
オルフェリアには迷惑そうな顔をされたけれど、叔母ヴィルディーが歓迎してくれているのだからリュオンは堂々と居座った。
もちろんオルフェリアのことが心配だからである。
この姉は昔から自分のことに無頓着で、感情をあまり表に出すこともないからリュオンの方がいつも心配をしてしまう。オルフェリアには大きなお世話と涼しい顔で言われ、双子姉妹にはさっさと姉離れしろと言われるが、リュオンには当分その予定はない。現在進行形で姉心配症を発動中である。
こんなにも綺麗な顔のオルフェリアがバザー会場に姿を見せれば、よからぬ思いをたくらむ男たちの格好の餌食ではないか。こういう時に限っていつもは邪魔でしかない成金フラデニア男、別名ディートフレン・ファレンストは不在だという。
フレンのことも気に食わないが、あれでもオルフェリアの虫よけという立場でいえば役に立つ。しかし、彼自身が最大の虫だから悩ましいところである。
とりあえず昨日のうちにミレーネには、オルフェリアにあまり目立つドレスを着せるなと厳命しておいた。
そのせいかどうか知らないが(ミレーネはリュオンの要請に対して、えええ~と若干不服そうにしていたからだ)、今日のオルフェリアは濃茶の外套を羽織っている。下から見えるドレスの色は落ち着いた藍色。ドレスのすそにはレエスもついておらず歩きやすさを優先にした簡素な意匠をしている。
オルフェリアは朝早くにパニアグア侯爵夫人の迎えとともにさっさと会場へと行ってしまい、現在リュオンの隣にいるのは同室のノーマンとそのほかの友人たちである。




