三章 自覚した恋心2
「あら、ホルディ様ったら。オルフェリアは婚約者がいらっしゃいますのよ」
と、ここで声を発したのはミリアムだった。
優しい笑顔を張り付かせているが、オルフェリアの方を一瞬だけ見た時、彼女の瞳はひんやりとしていたのを見逃さなかった。
「そうですわ。ルーエン卿ったら」
「それともわたくしたち全員を誘ってくださっているのかしら」
最後ににっこり付け加えたのはカリナだった。
小首をかしげて、ホルディに視線を向けている。
「カリナ達全員へのお誘いでしたらわたしも一考します」
オルフェリアは急いで付け加えた。
「まいったな。ちょっとリュオンのお姉さんと話してみたいだけだったのに。ずいぶんと結束力の固いお嬢さんたちだ」
「あら、当然ですわ」
「ねえ」
「人の恋路をお邪魔してはいけないんですのよ」
少女たちはお互いに顔を合わせて笑い合った。
もちろんオルフェリアのことを純粋に助けようと思っているわけではない。
単純に婚約者のいるオルフェリアに興味を持たれるのが面白くない、侯爵家の後継ぎが余計なものに目を向けないように結託しているだけだ。
その後も結局各自刺繍の手は止まったまま、独身の令嬢たちはホルディへ自身の売り込みに一生懸命になった。
ミリアムもそのうちの一人で、オルフェリアに向けるのとは全く違う高く媚びた声を出していた。カリナは勝ち目がないと思っているのか相槌ばかりである。
彼は何かとリュオンとオルフェリアにかまってくるから、結局はオルフェリアも付き合う羽目になった。
こういう意味のあるような無いような会話は苦手だ。リュオンもオルフェリアの隣でずっと渋面を作っていた。
オルフェリアは時間を見計らって、サロンから抜け出した。
ほっと一息ついていると、ダイラと出くわした。彼女は刺繍の会には参加をしていなかった。
大きなお腹をかかえた彼女は本を片手に持っていた。端正な顔に感情の読めない理的な紫色の瞳を持った夫人はオルフェリアに淡々とした眼差しを寄こした。
「勉強は進んでいる?」
彼女の方から話しかけてきてオルフェリアは吃驚した。オートリエの屋敷ですれ違っても、彼女はあまりこちらに話しかけてこないのだ。
「え、ええ……」
最近はフレンからの手紙に翻弄されることが多くて、かなり注意散漫になっていたが、オルフェリアは無難に返事をした。
「あの、あなたは出ないんですか。刺繍の会に」
「あそこでおしゃべりしていなくても刺繍はできるわ。社交は嫌い、いえ苦手なの」
はっきりと嫌いと言った後、ダイラは慌てて言葉を直した。きっと、夫のために努力しているのだろう。抑揚のない声で、あまり感情も分からないけれどオルフェリアはサロンにいる女性たちより、目の前のダイラと仲良くなってみたいと思った。
「今度、勉強で分からないところがあったら……質問してもいいですか?」
オルフェリアは思い切って尋ねてみた。
ダイラは小さく目を見張った。
「……いいわよ」
そのあと聞こえた声は小さかったけれど、一緒に口元を緩めてくれたので嬉しくなったオルフェリアだった。
◇◇◇
パニアグア侯爵夫人が中心となって企画がされた慈善バザーの日。
ミリアムは実家の侯爵家の街屋敷に滞在していた。昨日から外泊申請を出していてミュシャレンのジョーンホイル邸に帰ってきた。
バザー用のハンカチなどを縫うお手伝いはしても会場で売り子のまねごとをする気にはなれなかった。そんなもの、貴族の令嬢のすることではない。
慈善活動といって、教会で子供たちに菓子を配るのは訳が違う。
(よくあんな、誰が来るかも分からないところで売り子の真似なんてできるわよね。ほんっとうオルフェリアって訳が分からないわ)
ミリアムは侍女に着付けを手伝ってもらいながら悪態をついた。
それでも朝早くに目を覚まして、外出用のドレスに着替えている。侍女はミリアムの下着を絞め、上からドレスを着せてもらう。冬のドレスは生地が分厚いので重くなる。レエスのたっぷりとついたドレスのすその丈を気にしながら、カリナは注文を加える。
「靴はりぼんのついたピンク色のものにするわ。ああ、それと首元には水晶の飾りをつけるから出しておいて」
言いつけられた侍女は急いで抽斗から言われたものを取り出そうと動き出す。侍女に厳しい態度を取ることの多いミリアムの私室には一種独特な緊張感が漂っている。
ドレスと靴をあわせてみて、ミリアムはぴくりとした。
「やっぱり駄目ね。あっちの、もう少し薄い色のドレスにするわ。ほら、持ってきてちょうだい」
ミリアムは大きく頭を振った。
そうしてミリアムが着替えているところにカリナがやってきた。ミリアムは動じることもなく出迎えた。寄宿学校に住まう者同士、元より同性なのだから今更恥じらう関係でもない。
「あなたったら、どうしたの。こんなにも張り切っちゃって」
カリナといえば亜麻色の髪の毛に髪飾りの一つもつけていない。ドレスだって、濃い黄色をした、見慣れたものだった。
カリナもミリアムの帰省に付き合って昨日から侯爵家に滞在をしている。
「べつに張り切っていないわよ。外出するんだもの、このくらい当然でしょう」
「あら、バザーなんて興味がないって言っていたのに?」
「バザーに行くとは言っていないわ。ちょっと街中を散策するだけ。寄宿舎生活つまらないし、後輩たちにお土産の一つでも買っていってあげようと思ったのよ」
カリナはおや、っと眉を持ち上げた。
そんな殊勝な言葉、これまでのミリアムの口からでたことなんて一度もない。ミリアムが後輩たちに何か土産を買っていったことなんてこれまでの寄宿舎生活でたったの一度もない。
「珍しいこともあるものね」
「なによ。なにか言いたいことでもある?」
「街中の散歩なんて、馬車も多いし、人は無作法だし。せっかくだから音楽でも聞きに行かない?」
「音楽なんて悠長に聞いている気になれないの」
ミリアムの声が一段高くなった。
普段ミュシャレンの中心部なんて、人が多いだけだし貴族の令嬢が行くところではないわ、と言っているのはミリアムの方である。
「そうね。ホルディ様今日のバザーに顔を出すっておっしゃっていたものね」
カリナは面倒くさくなってずばり核心をついた。
「別にわたしはそこまで言っていないわ。たまたま歩いていたら教会にたどり着いただけ」
「そういうことにしておきましょう」
ミリアムはカリナを鏡越しに睨みつけた。
最近のカリナはミリアムの顔色をうかがうことが少なくなった。ついこの間までは、どこに行くときも何をするときもミリアムの後ろについてきて、ミリアムとメイナのご機嫌を取ることしか考えていなかったのに。
それなのに、今日の言葉づかいはなんだろう。
ミリアムは侍女にされるがまま着付けをすませながら、頭の中では別のことを考えていた。
大体、オルフェリアはなんなのだ。さっさと婚約したのだから大人しくしておけばいいのに、少しばかり顔がいいからって売れた後も男の気を引いて何様のつもりだ。
(ふざけすぎるにもほどがあるのよ)
ミリアムは鏡の中を睨みつけた。まるでそこに敵がいるかのように。
ミリアムにとって結婚は死活問題だ。さっさと爵位も何もない成金と婚約したオルフェリアを見ていると無性に腹が立つ。いや、婚約する前からいけすかない女だったけれど。
「ミリアム、顔が怖いわよ」
「うるさいわね。これから化粧をするんだから、あなたあっちへ行っていなさいよ」
ミリアムはカリナを部屋から追い出した。
「はあい」
カリナは大人しく従った。




