二章 なりゆきで花嫁修業4
◇◇◇
フレンがルーヴェへ単身渡って二週間。オルフェリアはフレンへの恋しさを募らせる暇もないくらい忙しい日々を送っていた。
オートリエの課す花嫁修業のおかげである。
毎日ロルテーム語の教本とにらめっこをし単語を頭に叩き込んでいく。ある程度ロルテーム語を覚えたら今度はインデルク語もしくはカルーニャ語も習いましょう、と言われている。大陸西側で一番通用する言語はアルンレイヒやフラデニアなどで使われているフランデール語である。アルンレイヒ南側の諸国も同じ言葉を使っており、またデイゲルン語はフランデール語ととても似ている。
社交なんて興味がない、とあまり語学に熱心ではなかったつけが回ってきてしまった。
フレンの手助けになるならと、無意識にけなげさを発揮するオルフェリアである。
他にもオートリエに連れられて色々な婦人の集いに連れ回されている。リュオンは相変わらずしょっちゅう顔を出す。なんだかずいぶんと賑やかな生活になった。
今日もオルフェリアはオートリエに連れられてとある侯爵家の夫人が主催する刺繍の会に参加することになっている。この時期庭園で園遊会、などということは出来ないので社交の場が室内に限定される。夫が国の要職についている場合そのまま王都に残る貴族も少なくないため、冬場でもこうした集まりは多いのだ。
通された応接間はいくつかのグループに分かれていた。各それぞれがソファに座り、銘々に刺繍に励んでいる、というより、針と糸を手にして談笑している。
主催者である侯爵夫人に挨拶をし、彼女に連れられてオルフェリアは同じ年頃の少女たちが座るテーブルへと案内された。
どうやら世代ごとに分かれているらしい。
オルフェリアは内心気おくれした。フレンと婚約をする前は意地悪令嬢などという異名をとっていた。というか、はっきり自分の言葉で話してしまうオルフェリアの言動がお嬢様たちの間で浮いてしまうのだ。
ソファ席には五人の少女たちが腰掛けており、ソファに合わせた台座の低いテーブルにはお茶や焼き菓子が置かれている。
「みなさま。メンブラート伯爵家のオルフェリア様ですわ。パニアグア侯爵夫人のご紹介で、今日は初めての参加なのよ。どうぞ仲良くして差し上げてね」
やや甲高い夫人の声に合わせて、五人の少女たちが一斉にオルフェリアに注目した。
「ふつつか者ですがよろしくお願いします」
オルフェリアは丁寧にお辞儀をした。
顔をあげると見知った人物を見つけて、オルフェリアは心の中で「げっ……」と呟いた。
黒髪を編み込んでりぼんで留めているミリアム・ジョーンホイル侯爵令嬢と亜麻色の髪に白いレエスがたっぷりとついたカチューシャをつけているカリナ・オズワイン子爵令嬢である。オルフェリアになにかと絡んでくる三人娘である。
(あれ、一人足りない……?)
特技、泣くことのレーンメイナ・ハプニディルカ伯爵令嬢が見当たらない。
いつも三人一緒に行動していたのに、どうしたんだろう。などと頭の中に疑問符を浮かべていると、手前に座っていた令嬢が立ち上がってオルフェリアを案内してくれた。
「ごきげんようメンブラート様。オルフェリアと呼んでもいいかしら」
「ええ、もちろん……」
目の前の金髪の女性がやわらかく微笑んでくれたのでオルフェリアはホッとした。しかし、彼女の名前が分からない。
「わたくしはレティーア・パレ・ドルスエルですわ。昨年結婚しましたの。夫はいずれドルスエル侯爵の名前を継ぎますの」
「よろしくお願いします、レティーア様」
「まあ、レティーアと呼んでくださって構いませんわ」
レティーアはころころと笑った。親しげな態度にオルフェリアの緊張の糸がほどけていく。
レティーアが席を詰めてくれたのでオルフェリアは彼女の隣に腰を下ろした。手に持っていた裁縫道具から道具を取り出して、彼女らと同じように布に針を刺す。
「みなさんオルフェリアとは面識があるのかしら?」
「たしかミリアムとカリナは仲がよかったのではないかしら」
と、赤毛の少女が口を開いた。
ミリアムは沈黙を守っていたが、話を振られたので口を開いた。
「ええ。去年の夏ごろまでは親しくさせていただいていたわ。けれど、彼女ったら婚約した途端に婚約者とばかり出かけるようになって。それからは……ね」
「あら、婚約したばかりだったのでしょう。でしたら仕方ありませんわ。婚約したての頃って一番楽しい時ですもの」
むっつりとしたミリアムの言葉に被せるようにレティーアがオルフェリアに向かって頷いた。
「え、ええ。そうなんです。ちょっと、あの時は婚約したてで浮かれてしまっていて」
「まあ可愛らしいわ」
うかつなことを言えばまた意地悪令嬢に逆戻りである。オルフェリアはなにが正解なのか分からないまま手探りで会話を始めた。
というかここにいる女性たちは全員オルフェリアがどんな評判で、誰と婚約しているかなんてわかりきっていることだろう。
四人からフレンの人となりや婚約したいきさつなどを質問されて、答えて、が終わると話題が転換した。
「オルフェリアはパニアグア侯爵夫人とは親しいのかしら」
先ほどの赤毛の令嬢が質問をしてきた。会話の中で一通り自己紹介をしてもらった。彼女はアデーミラという名前の男爵令嬢だ。
「ええ。フレンの叔母にあたるので、色々と面倒を見てもらっているの」
そこで一同納得したようにうなずいたり互いに目を見合わせたりした。フレンは普段自分からパニアグア侯爵家と姻戚関係にあることを吹聴しない。
「そういえば、そうでしたわね」
「パニアグア侯爵夫人といえば、慈善事業や奨学金の基金の立ち上げなど、社会貢献活動に熱心なのよね」
と、発言をしたのはジョランダ。彼女は子爵令嬢だ。父は王宮に出仕していると言っていた。
彼女の言葉から、四人はひとしきりオートリエの活動を褒め称え、最後に娘であるレカルディーナ王太子妃を褒めちぎった。
「そういえば、パニアグア侯爵家には現在、ご婦人が一人滞在されているのでしょう」
これを言ったのはカリナだ。
「あら、リバルス卿の細君ですわね」
「リバルス夫人といえば……」
「ああ、あの」
令嬢たちはお互いに目を合わせながら含みのある言い方をする。
おそらく先日紹介されたダイラのことだろう。なんとなく、この場の空気に嫌なものが含まれた気がするオルフェリアだった。
「彼女も、こういってはなんですけど、うまくやりましたわよね」
アデーミラが口元に小さな笑みを浮かべた。
オルフェリアは首をかしげた。何をうまくやったというのか。けれど、オルフェリア以外の人間はうまくの内容を知っているようで、口にはしないけれど、彼女らにしか分からないような身内の空気を作っている。
「元をただせば労働者階級なのでしょう。リバルス家も次男の婚姻とはいえ、よく許可しましたわね」
「あら、そこは王太子妃様の覚えめでたい女官ですもの。後見にパニアグア侯爵夫人がつくとあれば反対できるはずもありませんわ」
したり顔で説くのはジョランダだ。琥珀色の瞳にはどこか冷めた色を浮かべている。
「宮廷女官と近衛騎士ですもの。取り入る機会は山のようにありましたのでしょうね」
「彼女よいものを持っていらっしゃるものね」
無邪気に一言添えたのはカリナだ。
「もう、カリナったら。駄目よ、そういう風に話したら」
ミリアムがカリナをたしなめた。しかし、その顔はどこか作り物めいていて、オルフェリアはミリアムが本気でカリナのことを叱っていないことを感じ取った。
「やっぱり体を使ったのかしら」
「あら、体以外にも知恵の働く方ではなくて。王太子妃様も侯爵夫人もすっかり懐柔されていますもの」
くすくすと意地の悪い笑みをこぼしたのはアデーミラである。そこでようやくオルフェリアはこの場にいる全員がダイラのことをよく思っていないことを悟った。
この場にいるのは貴族階級の女性たちだ。
この五人の中でリーダー格と思われるレティーアは発言こそ控えているが、ダイラに対する陰口を止める気配もない。
「ねえ、オルフェリアはリバルス夫人にもお会いになったのでしょう?」
話を振ってきたのはジョランダだ。邪気のない笑みを口元に浮かべている。
オルフェリアは一気に冷めてしまった。
(ああそう。わたしにこの悪口大会に加われっていうのね)




