二章 なりゆきで花嫁修業3
「そうだ、大事なことがあったわ。ドレスはどこで仕立てるのかしら。やっぱりルーヴェの方がいいわよね。ミネーレとも相談しないと」
「あ、あの……」
「でも奥様、それだとアルンレイヒ伝統の刺繍ができませんわ」
オルフェリアがなんとか会話に割り込もうとするけれど、大人の女性二人の会話は止まらない。
「あらそうだったわ。アルンレイヒでは花嫁衣装に花嫁手はずから刺繍をする習慣があるのよね」
「ええそうですわ。花嫁や、女姉妹に友人らが幸せを願ってドレスの一部に刺繍を施すんですよ。確か、王太子妃殿下もされたとか」
「ええそうなの。わたくしも参加しましたわ。そうねえ、ルーヴェで仕立てるとなるとそれが出来なくなるわね。だったらいっそのことルーヴェから仕立て人を呼び寄せましょうか。ドレスの色はどうしましょう」
オルフェリアは青くなった。
勝手に話が盛り上がり過ぎている。本人を無視して結婚式の日取りまで決められそうな勢いだ。結婚式なんてするわけがないでしょう! と今すぐ叫び出したい。
(だ、大体わたしとフレンはなんともない関係なのよ……)
自分で考えておいてオルフェリアは内心沈んだ。大体フレンたら一人でフラデニアに行っちゃうくらいだし。
「あなた、何色が好みかしら?」
と、オートリエが突然聞いていた。
この流れからすると花嫁衣装の色の話だろう。勝手に進んでいく自身の結婚式の話をどうにか遮らないといけない。
「あの! わたしたち、本当にまだこれからなんですっ! こういうことは、まずフレンの予定を聞かないと」
オルフェリアは彼女にしては大きな声を出して夫人二人の話を遮った。
立ち上がって、両手をテーブルの上について交互に二人の顔を見た。オルフェリアの声に驚いて二人はぴたりと口をつぐんだ。
「でもねえ……」
「わたしたちはあなたのことが心配なのよ」
大人はすぐにその言葉を口にする。心配といえばなんでも許されると思っているのだ。
「それは、わかるけれど……。今は決められないんです。フレンもいないし」
小さく呟くと二人の夫人も沈黙した。
少しきつく言い過ぎただろうか。二人はオルフェリアのことを心配しただけなのに。確かに婚約した親戚がその後の進展もなしに暢気に過ごしていたら突きたくもなる。
「分かったわ。式の日取りについてはフレンが帰ってきたら改めて問いただすことにしましょう。オルフェリアはその前に別のやることをしましょうか」
しばしの静寂の後にオートリエがからりと明るい声を出した。
切り替えが早いのもオートリエの特徴だ。明るい思考の持ち主である彼女は気持ちの切り替えも早い。
「別のこと、ですか?」
「ええそう。大事なことがもう一つ。花嫁修業よ! お嫁さんといえば花嫁修業。フレンが帰ってくるまでわたくしが手取り足とり、みっちり指導してあげるわ」
オートリエはにこりと笑った。
笑顔にどこか一種迫力めいたものを感じてオルフェリアは少しだけ片方の頬を引きつらせた
◇◇◇
結婚式の日取りの話から一転、なぜだか花嫁修業をする羽目になった。
というわけでオートリエの元に通うことになったオルフェリアである。ちなみにミネーレも一緒だ。
ファレンスト家の嫁として求められることの一つにオートリエは語学力をあげた。
「さて、これからロルテーム語で会話をしましょう。じゃあここから切り替えるわよ」
オートリエが高らかに宣言をして、出席者全員ロルテーム語縛りという刺繍の会が始まった。
パニアグア侯爵家の居間にいるのは四人の女性である。
オートリエ、オルフェリア、ダイラとミネーレだ。ミレーネが本日身にまとっているのは付添人用のドレスである。
「ほら、オルフェリア。何か話さないと勉強にならないわよ」
オートリエはさっそく手厳しい一言を口にした。
「ええと。今日はいい天気ですね」
オルフェリアはロルテーム語が苦手だ。実家では主にリューベルン語を習っていた。ロルテーム語の基礎も一応習っていたけれど、なんとなく敬遠しているうちにミュシャレンへとやってくることになって、そのままになっている。
「そう……ですね。曇ったです」
しどろもどろに単語をつなげるのはミネーレだ。彼女は帳面持参でこの会に参加している。どうしてミネーレが同席しているかというと、オートリエが『ファレンスト家の奥様付き侍女ともなればロルテーム語は必須条件よ。あなたも今後ともオルフェリアに仕えたいなら今のうちから勉強しておきなさい』とミネーレに通告したからだ。
国内の流通だけでなく外国と幅広く貿易を手掛けるファレンスト家には、もちろん海外からの客人も多い。フラデニアの北にあるロルテーム王国は貿易が盛んな国として有名だ。ファレンスト商会ももちろん彼の国に支店を構えている。海を隔てたアルメート大陸に最初に入植したのがロルテーム人ということもあり、現在アルメート大陸ではロルテーム語が主流である。
そんな事情もあり、ファレンスト家ではリューベルン語よりもロルテーム語の方が流用度が高い。
「もう、天気の話ばかりだと会話にならないでしょう。ねえ、ダイラ」
「そうですね」
ダイラは綺麗な発音のロルテーム語を披露したが、返事の後会話を広げるでもなくぶつ切りしてしまった。
「もう、ダイラったら相変わらずなんだから。あなたもたまにはのろけて見せなさい」
「のろける要素が皆無ですが」
「ええ、そうなの? 旦那様のかっこいいところとか、胸がキュンとしたところとか、なんでもいいのよ」
ちなみに全部ロルテーム語で話しているためオルフェリアは会話を聞きとるだけで精いっぱいだ。そんなに早口で話さないでほしい。
オートリエは小さなころからロルテーム語を習っており、母国語のように操ることができる。ダイラは上級学校でしっかりと習ったとのことだった。上級学校では主席を争うほどの成績を収めていたとは、オートリエが自慢げに話していたことだ。
「そんなところありません」
「オルフェリアだって、今後の参考のために聞きたいわよね?」
「えっ? ええと。あー……、その。はい。聞きたいです」
何が聞きたいのか、直前の会話が聞き取れなかったけれど、とりあえずハイと返事をした。外国語会話あるあるの一つ、質問にはとりあえず肯定表現で返事をしておく、というやつである。
会話に忙しい三人の刺繍の手は止まったままだ。ダイラはどちらかというと刺繍の方を熱心に刺している。
「参考になんてなりませんよ。あの人はいつも軽薄なことしか口にしませんから。毎日性懲りもなくベタベタとまとわりついて、うっとうしいったらありゃしない。おまけにお腹に向かってぞくっとするほど変な声を出す始末。あれでよく近衛騎士が務まるかと毎日不思議でなりません」
「ダイラったら……」
あまりの辛辣な表現にオートリエの方が固まった。
オルフェリアはいささか早口なロルテーム語の聞きとりについていけず、なんとなく否定形の文法を彼女が使ったな、といったことを理解しただけだった。ミネーレは目の前で繰り広げられる外国語の会話に目を白黒させている。
これから甘甘新婚生活を迎えるオルフェリアに聞かせる話ではないと即座に切り替えて、今度は自身の話を披露することにする。
「じゃあ今日はわたくしの話を披露しようかしら。わたくしがセドニオ様と出会ったのは、ちょうどオルフェリアと同じくらい、少し上の頃のことだったかしら」
そして次に始まったオートリエの旦那様との馴れ初め話に延々二時間付き合わされる羽目になった。話の内容は三割くらいしか聞き取れなかった。
刺繍はちっとも進んでいない。唯一ダイラだけがちくちくと針を動かしていた。
今日一日の成果を鑑みて、オートリエは「やっぱり基本をもう少し勉強しましょうか」という結論を下した。
ということで次からはオートリエがロルテーム語教師を手配することとなり、ミネーレと二人で机の上にかじりつくことにった。




