一章 仮婚約者は迷走中7
「それはまさにこの研究室に通っている人間ほぼ全員に当てはまりますね。僕らは自身の身だしなみよりも研究書を読むことのほうが大事だと思う人種ですから」
「おおそうだ、ルルー君。きみ、心当たりはあるかね?」
クレマンは思考を放棄して助手のルルーに問題解決を委ねた。
「人を食った様な、態度の男です。心当たりありませんか」
「いつ頃在籍していたなどは覚えていますか?」
「それは聞いていません」
「そうですか」
ルルーは嘆息した。
「もしかしたら名前を変えているのかもしれない」
フレンはそう添えた。考えていたことだった。最初から宝石を盗むのが目的なら馬鹿正直に本名を名乗るはずもない。だったら、ルーヴェ大学に在籍していたというのも嘘の可能性のほうが高いが、手掛かりがなさすぎるので地道に潰していくしかない。
ルルーは再び思案気に空中に視線をやった。
しばらくして、彼はおもむろに口を開いた。
「そういう……どこか飄々とした男なら一人。心当たりがあります。ただし、彼は金髪でもなかったけれど。普通の冴えない薄茶の髪をしていました。名前はデイヴィッド。確か……デイヴィッド・シャーレン。覚えていませんか、教授。ほら、ライ教授の元を飛び出したインデルク出身の男です」
「デイヴィッド……デイヴィー……。ああ、確かいたなあ、デイヴィーかあ。懐かしいなあ」
「どんな男ですか?」
フレンは慎重に尋ねた。
「といってもここを去ったのは一年半くらい前ですよ。なんでも歴史書を読みふけるよりも面白い実地検証ができる場所がある、とかなんとか言ってふらりとどこかへ」
「その後の消息は? だれか彼の連絡先を知っている人はいませんか?」
「さあ、そこまでは。もともと彼は西のインデルク王国の出身だとかで。身内もフラデニアにはいないようだったし。師事している先生が違うものだから……」
ルルーは困ったような笑みを浮かべた。もともと交流がなかったのだろう。
「だったらライ教授とやらを紹介していただけますか?」
フレンにしてみたら有力な手がかりだ。リシィル嬢からの手紙には相変わらず消息不明だ、としか書かれていない。ここで引き下がるわけにはいかない。
「ええ、いいですよ。今日はまだいるかな。彼も割と研究のためとか言ってあっちこっち動き回るんですよ。この間もふらりとリューベルンまで足を延ばしてあやうくスパイと間違えられて拘束されそうになったとか、なんとか」
ルルーはそう言って応接間から出て行った。
フレンは待っている間に彼との会話を思い出していた。なにがフラデニア出身だ。嘘つきめ。ルルーの話すデイヴィッド・シャーレンがダヴィルドと同一人物だったら、髪の色から経歴まで何もかもが違ったことになる。しかし、ルーヴェ大学に在籍していたことは隠していないことになる。それも不可思議な話だ。
足跡をたどれば彼にたどり着けるような情報を提供していたことになるからだ。
彼は何をしたい? フレンは眉根を寄せた。
この件に関してフレンはオルフェリアを関わらせたくなかった。
ダヴィルドはオルフェリアをかどわかそうとしたからだ。会わせたい人物がいると、オルフェリアは彼から聞いたと話していた。それは誰だろう。あのとき、あの男がオルフェリアを連れ去っていたらと思うと、今考えただけでもフレンは足元が冷える。
ダイヤモンドの行方もダヴィルドの正体もできればフレンだけで解決をして、カリストとリュオンだけに報告をしたい。
そんな風につらつらと考えているとルルーが戻ってきた。
「すみません。教授はしばらく留守にしているそうです。ああでも、彼の助手がいますから今から案内しますよ」
「ありがとう。助かるよ」
フレンはルルーに連れられて別の部屋へと移動した。本が積み重なった研究室は埃っぽかった。自分よりも年上の黒髪の助手は神経質そうに目を細めた。
彼はデイヴィッドのことをよく覚えていた。
一見すると人のよさそうな笑みを顔に張り付けているが、その実食えない性格の男でちゃっかりと美味しいところを持っていく男だと話した。
「彼はインデルクの貴族筋の出らしく、自身もそのせいか大陸の貴族の歴史に興味を持っているようでした。まあ、もっともすでに没落していて金は持っていないとあっけらかんと言っていましたけどね」
インデルクはフラデニアの西側の半島部分と、その先の海峡を越えた二つの島からなる国だ。昔から半島内の国境線をめぐって何度も剣を交えてる相手だ。
フレンは自分の知る限りのダヴィルドの人相を目の前の男に伝えた。彼はおそらく同一人物だろうとの見解を示した。当時、彼が住んでいた下宿先の住所を紙に渡してくれた。
どうにか彼につながる手掛かりを得たが、やはりどこか釈然としない。
ダヴィルド、いやデイヴィッドは自分が捕まらないという相当の自信でもあったのか。それともまだこちらに用があるのだろうか。いや、あるのだろう。オルフェリアはまだフレンの元にいる。そこまで考えてフレンはため息をついた。
彼女の身の安全を考えるなら、フレンは彼女を手の届く範囲に置いておきたかった。しかし、自身の気持ちだって持て余している状況だ。それに対外的には婚約しているとはいえ、嫁入り前の令嬢を安易に連れ回すのもよくない。
その後フレンはルーヴェ大学に在籍をしている弟の元に顔を出してから帰路についた。




