一章 仮婚約者は迷走中6
◇◇◇
明るい日差しの中、フレンはピクニックに出かけていた。
薄手の上着を羽織っている。身に受ける日の光は温かく、野原には素朴な花が咲き乱れていた。
それにしても、自分はどうしてこんなところにいるんだろう。
フレンは首をかしげた。季節は冬のはずだ。
敷物は淡い黄色で、敷物の上にはバスケットに詰め込まれたパンと惣菜、別のケースには瓶に入った酒や果実水が入っている。
「お父様はわたしとあそぶのよー」
「いいや、僕とボールで遊ぶんだ」
訝しんでいると、傍らから舌った足らずなが聞こえてきた。
どうやら男の子と女の子なようだ。
二人ともまだ年端もいかない幼子で、一人はフレンと同じ濃い金髪で、もう一人は黒髪をしている。
「わたしがお父様に本を読み聞かせてあげるのよ! いっしょうけんめい練習したんだから」
女の子はフレンの腕に甘えるように絡みつく。
そうするともう片方の腕が重くなる。負けじと男の子も同じようにフレンにまとわりついたのだ。
一体何事だ。この子供たちはどこから沸いてきたのだろうか。お父様とは、もしかしなくても自分のことか。というか、フレンは独身だし、隠し子は……いないはずだ。
もしかして、自分の知らないうちに誰かが……、いやいや、それは無い、しかし男の無いという言葉なんて所詮根拠のない……とか脳内で激しくせめぎ合っていると、鈴を転がすような可憐な声が耳に届いた。
「こぉら、子供たち。だめよ、お父様を困らせたら。お父様はお仕事が忙しくて大変なの。だから、今日はのんびりしてもらおうと約束したでしょう」
(まさか……その声は……)
フレンの心臓が高鳴った。聞き覚えのある声だった。
フレンが今現在もっとも恋しい声。鈴が鳴るような澄んだ声を聞き間違えるはずもない。フレンは信じられない思いで声のする方へ顔を向けようとした。
黒い髪の女性だった。左右を編み込み、後ろの髪はそのまま背中に流している。
ドレスは落ち着いた青色で、機能性を重視しているのかごてごてした飾りを取り払ったデザインだ。
君は……もしかして。
と、そこで目が覚めた。フレンは目覚めた衝動でがばりと身を起こした。衝撃過ぎる内容に息が荒くなっている。
(ゆ、夢か? つーか夢だったのか。だったらせめて顔くらい見せてくれたっていいじゃないか)
フレンの心臓はうるさかった。とても現実感のある夢で、目が開いて、見慣れた自分の室内を見ていてもまだ心が落ち着かない。どちらが夢だろう。こうして目が覚めているほうが実は夢で、本当はすでにフレンはオルフェリアと結婚……
「いや、ない。無い無い。というか、俺はあれか? 思春期まっさりの学生か?」
誰もいない室内で、フレンは自身で突っ込みを入れた。
思春期真っ盛りのときだって、こんな夢は見なかった。
フレンは項垂れた。まさか、自分が好きな子恋しさに、こんな思春期病もびっくりな夢を見るはめになろうとは思いもしなかった。フレンは現在二十七歳である。思春期はとっくに過ぎ去って久しい。
朝から心が折れそうだ。主に精神面で。
「てゆーかオルフェリアを忘れるために一人でルーヴェに来たのに、夢に出てどうする……」
しかも、よりにもよって結婚した夢である。子供だっていた。二人もだ。男の子と女の子だ。夢の中の娘は黒髪だった。ということは顔は絶対にオルフェリア似だ。これでフレン似だなんてありえない。絶対にそこはオルフェリア似の女の子を仕込んでやる。
と、そこまで考えてフレンはもう一度大きく息を吐きだした。
いい加減観念するべきだろう。この気持ちが気の迷いな訳が無い。
オルフェリアのことが好きだ。夢の中で彼女に会えて喜んでいるくらい彼女に思いを寄せている。夢でなく、いますぐ彼女に会いたい。声が聞きたい。笑いかけてくれなくてもいいから、フレンに対して怒っている顔だって可愛い。薄紫色の瞳が自分を映していると思えば、フレンは嬉しくなる。
(なんだか、いろんな意味で遠回りしたな……)
夢が妙に現実感があり過ぎて寝た気がしなかったけれど、もう一度寝る気にもなれずにフレンは寝台から抜け出した。
フレンはもう一度ため息をついた。自分が身を引いたら、誰かがあの可愛い少女を手に入れるのだ。それは嫌だ。絶対に納得できない、というかしたくない。自分以外の男がオルフェリアの隣にいて彼女の手を取り、そして家庭を築く。考えただけでも腸が煮えくりかえそうだ。
「まいったな……」
どうやら自分はずいぶんとオルフェリアのことが好きでたまらないらしい。
◇◇◇
本日フレンが午後の仕事を片付け、夕刻に面会に訪れたのはとある目的のためだった。
ルーヴェ市内中心部に学舎を構えるルーヴェ大学である。フラデニアで一番権威のある大学で、フレンもこの大学の同窓生だ。歴史は古く、元をただせば古い時代の王が私財を投じて作らせた研究機関だった。
現在では貴族以外にも門戸が開かれ、フレンのような新興金持ちや中産階級などの子息が在籍をしている。
向かった先は文学部の歴史学科の研究棟。ルーヴェ大学はいくつかの建物に分かれており、経済学部に在籍をしていたフレンにしてみれば文学部の建物に足を踏み入れるのは今日が初めてだった。どこか浮世離れした風情を醸し出す学生が本を開いたまま廊下を歩いている。
面会の約束がある旨を伝え、研究室の応接間で待つこと数分。
中肉中背の初老の男性が奥の扉から姿を現した。眼鏡をかけた人のよさそうな人物である。
「私はボラトル・クレマンと申します。こっちは助手のルルーです。本日はなんでも尋ねたいことがあるとかで」
茶色い髪は伸び放題、無精ひげを離した男性が首をかしげた。クレマンの紹介を受けて、彼の後ろに控えていた男が会釈をした。こちらはまだ若い男性で、といってもフレンとそう変わらない年のころだった。
「はじめまして。ディートフレン・ファレンストと申します。本日はわざわざお時間を割いていただきありがとうございます」
フレンはクレマンと握手を交わした。
促されるままソファに座り、出されたコーヒーに手をつけずに本題を切りだした。
「実は人を探しているんです。名前はダヴィルド・ポーシャール。金髪に薄茶の瞳で年のころは二十代中ごろ。一見すると人のよさそうな、害のない雰囲気を持っていますが、人の懐にすっと入りこむようなタイプで、それでころっとだまされる女性も多いと思います。あれは絶対にそう装っていますね。そういうふざけた男です。本人いわく、ルーヴェ大学で歴史学を専攻していたと言ってますが」
フレンはいささか私情の交じった説明をした。
彼の説明を聞いたクレマンは首をかしげた。
「はて。学生は沢山在籍していますし、卒業生も含めるとそれこそ……。専攻はなんですかな」
「アルンレイヒの歴史を調べているようでしたから、西大陸の歴史を専攻してるのでは。ああそれと、彼は学生ではなく助手をしていたと言っていました」
彼本人が言っていた言葉だ。自己紹介の時にそう話していた。フレンは記憶力はいいほうなのである。
「はて。助手……」
クレマンは再び唸り始めた。腕を組んでソファに体重を預ける。
研究者の人間にはよくあることで、研究以外のこととなるとからきし何も目に入らなくなるというタイプも存在するが、果たして彼はその種の人間だったようだ。
「覚えはないですか。髪の毛はわりとぼさぼさで、いつも着古した上着を着ているような男です」
目の前の男性も着古した上着を着ていることに気がついてフレンは、これは研究者に共通する項目か? と内心唸った。
案の定、助手の男性が苦笑を洩らした。




