一章 仮婚約者は迷走中5
「ああ。私も仕事でこちらに戻ったからね。碌に相手も出来ないだろうし、ミュシャレンには彼女の叔母夫妻もいるし。あまりこちらの都合で振り回せないだろう」
言い訳じみた言葉を返してしまうのは、フレンが彼女への気持ちから逃げてきたという負い目があるからだろうか。これ以上本気にならないために物理的に距離をあけた。
離れて一週間。今のところ成功しているとは言い難い。すでにオルフェリアのことが恋しくてたまらないフレンである。
「オルフィー、さみしがっているんじゃない?」
ここでリシィルは瞳に好奇の色を宿した。面白そうに口元をにやつかせている。
「どうかな」
フレンはあまり考えないようにして冷静な声を出した。
リシィルは二人が偽装婚約であることを知っている。それなのに、彼女は応援するようなことを言ったり、反対にあからさまに釘を刺したり。どちらが彼女の本人なのかフレンには判断がつきかねている。
「ふうん。わたしは会えなくてさみしいけど。せっかくだからオルフィーと一緒にルーヴェを歩いてみたかった」
リシィルは素直にさみしいと口にした。フレンはそれを羨ましく思う。
自分だって、ルーヴェの街を彼女と一緒に歩きたい。昔からの馴染みの場所を案内したいし、自身の思い出を話すのもいいだろう。
「オルフェリアとじゃないけれど、馬車なら用意するからレイン嬢と行ってきたら? 彼女もしばらくは規則だらけの寄宿学校生活だからね。付添人に誰かよこすから今からでも行ってきたらいいよ」
「あ、なんか邪険にされてる」
「気のせいだろう」
◇◇◇
「もう! どうしてオルフェリア様を連れてきてくれなかったのよ」
開口一番にそう罵られてフレンは苦い表情を作った。ここでもオルフェリアの名前があがってフレンは心の中で「ユーディッテ、きみもか!」と突っ込んだ。
ルーヴェ市内のメーデルリッヒ女子歌劇団の団員いきつけのレストランである。レストランというかクラブだ。ここは主に芝居の世界に身を置いている人間が会員になっているため、ただの追っかけは中には入れない。役者たちが羽を伸ばせる、彼らのための社交場だ。たまに演技の良し悪しをめぐって喧嘩が起こることもある、ファン垂涎の店である。
ルーヴェに帰郷していることが人づて伝わったのだろう、ユーディッテらがフレンに連絡を入れてきたのだ。
「せっかくオルフェリア様と会えると楽しみにしていたのに、あなた一人だけだなんて。なんなのよ! もうっ! 期待したわたしの気持ちを返しなさいっ」
ユーディッテはフレンに思い切りからんだ。
ちなみにこれは祖母カルラにも言われた。『男一人で帰ってきてもつまらない。どうせなら婚約者も連れて帰ってきたらよかったのに』と。開口一番にやっぱり捨てられたのかい、と言われた時は我が祖母ながら辛辣すぎて絶句した。反射的にそんなわけないだろう、と反論したくらいだ。
「ほらユーディ、あんまり絡まないの。フレンが微妙にへたれだってことはよく知っていることだろう」
リエラがフレンのことをぽかぽかと殴るユーディッテを制した。
制してくれるのはありがたいが、なんだその「微妙にへたれ」だというのは。
「本当のことだろう?」
「……」
フレンの抗議の視線もなんのその。受け流してぽいっと捨てる始末だ。リエラは基本男性に厳しい。フレンもリエラとはどちらかというと同性の友人のように接している。
フレンは目の前に置かれた杯を煽った。商会が出資をする劇団の役者の世話をするのもフレンの仕事である。下心のない分、彼女らものんびりくつろげるようで、はっきりいってしまえばただの酒代の当てとして呼ばれただけである。
こうみえてユーディッテもリエラも大酒飲みなのだ。今日だってフレンが到着したときにはすでに彼女らは出来上がっていた。
「ユーディもリエラ様も、一応出資者相手なんですから。あんまりぞんざいな態度を取っては駄目ですよ」
ここで口を挟んで来たのはリエラ退団後のフリージア組を担う二番手ウルリーケだ。真面目なきらいのある彼女は酒も本当にたしなむ程度。あまり杯は進んでおらず、暴走しがちな現トップ二人組をいさめるのに忙しい。
「ウルリーケこそ、フレン相手に遠慮なんてしてはだめよ。こういう男はね、酒代のためだけにあるのよ! 大体、あんなにも可愛い婚約者を捕まえておいて、今現在女優に囲まれてお酒飲んでいるってどういうことなのよ」
「ユーディ、言っていることが支離滅裂だよ。きみが呼びだしたんだろう」
「だってオルフェリア様も一緒だと思ったんだもの」
「仮に彼女と一緒だとしたら、こんなところに連れてこないよ。そもそもオルフェリアが一緒だと思っておいて、その前によくもこれだけの量の酒を飲んでいたね」
机の上には空の瓶が数本載っている。微妙に上等な銘柄の瓶であるところがこの二人らしいところである。
クラブなんてお上品な言葉でくくっているが、要するに飲んだくれの集う場所である。しかも個室もない、どちらかというと庶民の入る店だ。
「こんなところって失礼な男ねー」
ユーディッテが噛みついた。
「もっとちゃんとした場所にしたらいいだろう」
「だってお上品すぎる場所だと肩がこるんだもの。その点オルフェリア様は変に気取っていないし、素直だし、こういうところでも面白がってくれそうなのよね」
「それは言えてるね。フレンが隠したがるのも分かるよ」
二人はオルフェリアの性質も理解しているらしい。確かに彼女だったら好奇心をむき出しにして、ちゃっかりとこの場の雰囲気を楽しみそうだ。大人しい顔をしているが、実はミーハーで好奇心旺盛なのだ、オルフェリアは。こういう場所に連れてきたら、誰に目をつけられるか分かったものではないから、自分がしっかり防御しないといけない。というか彼女は酒にめっぽう弱いから、絶対に一口も飲ませられない。飲むのは自分と二人きりの時にしてほしいと思うフレンである。(酔った彼女はそれはそれで可愛い)
と、そこまで考えてからフレンは我に返った。こういう想いを無かったことにするために離れているのに、どうして思い出す。
「フレンさっきから面白いわね」
「一人で顔がにぎやかだよ」
ユーディッテがそう言えばリエラもまじまじとフレンの顔を覗き込む。
「ほっとけ……」
フレンは力なくつぶやいた
フレンの言葉に女性二人はあっさりフレンから顔をそらしてそれぞれ酒を煽った
「あーあ、リエラは遠い国に行っちゃうし。わたしさみしいなあ」
ユーディッテは机の上に頭を乗せた。話題はリエラの退団に移っている。
「わたしは十三歳のころにリエラと出会ったのよ。最初はうまが合わなかったわよねぇ」
「そうだね。喧嘩ばかりだったね」
突っ伏した状態から上目づかいでリエラを覗き込むユーディッテの頭をぽんぽんとリエラが優しくたたいた。
「なのに、いつの間にか隣にいるのが当然のようになって。ずっと一緒に頑張ってきたのよね。お酒の趣味も合うし。あなたの親衛隊に絡まれるのも慣れっこになったわ」
「彼女たちにはわたしからも言っておくよ。あんまりユーディを目の敵にするなって」
「別にいいのよ。それも含めて楽しかったし。それなのに……わたしを置いていっちゃうのよ……」
ユーディッテは泣きだした。普段のしとやかさからは想像できないくらい、わんわんと泣いた。
「すみません。最近のユーディは情緒不安定なんです」
ウルリーケがフレンに謝った。リエラは少しだけ申し訳なさそうに目配せをした。息抜きでやってきたクラブで、どうやら彼女は少しばかり深酒をしたらしい。
「わたしのことをそれだけ思ってくれているってことだからね」
リエラは困ったように肩をすくめたが、瞳は穏やかだった。自身の進路を決めたのはリエラ自身だ。人は己の行く道を、進む方向を決める時がある。人生にはそういった瞬間が何度かあるものだ。
「リエラぁぁぁぁ、好きよ~。わたしのこと忘れないでねぇぇぇ」
涙腺の緩みまくったユーディッテの絡み酒に付き合う羽目になるフレンだった。




