一章 仮婚約者は迷走中3
少し早めにインファンテ邸へと戻って、オルフェリアは晩餐のために着替えをした。
夕食の席にはフレンも参加をする。叔母夫婦とフレンらと夕食を取ることになっている。
「似合っているよ、オルフェリア」
「あ……ありがとう」
オルフェリアの姿を一目見て、柔らかく目元を緩めるフレンを目にすると、オルフェリアはぎゅっと強く自身の手を握りしめた。着替えたドレスは里帰りにも持っていった薄い黄色のドレスだ。白に近い黄色の色合いが気に入っている。
髪の毛はミネーレがこてで毛先を巻いてくれて左側にまとめてくれた。黒い髪に散りばめられた真珠のピンの白がとても映えている。
家族以外と過ごす初めての誕生日だ。オルフェリアは自分の誕生日が好きではなかった。家族たちは祝福してくれるけれど、オルフェリアは知っている。両親は毎年、死産だった弟の供養をオルフェリアに隠れて行っていることを。気を使わせてしまっているようで、辛かった。
「オルフェリア?」
オルフェリアの少し陰った顔に、何かを悟ったのかフレンが気遣わしげに声をかけてきた。
「ううん。なんでもないの」
オルフェリアは慌てて首を振った。
フレンはオルフェリアの言葉を尊重してくれたのか、あえて何も口にしなかった。なんとなく、そうやってオルフェリアの気持ちを汲んでくれるフレンを見て泣きたくなった。
夕食は料理番のコロナー婦人が腕によりをかけて作ってくれた。大きな塊肉をぶどう酒でじっくり煮込んだ物や、新鮮な鶏肉のレバーで作ったパテに、温野菜など。
叔母はオルフェリアのドレス姿を褒めてくれて、目頭を何度か押さえていた。
「ほんとうに、ほんとうにあなたが無事に大きくなってくれて嬉しいわ。あなたも、生まれたときはなかなか産声を上げなかったのよ」
「それは昔から何度も聞いている……」
「そのオルフェリアも婚約したんだものね。ファレンストさん、どうか彼女のことをお願いね」
「……もちろんですよ」
フレンは少しだけ間を溜めた後にヴィルディーに真摯な視線を向けた。それを目にしたオルフェリアは自分の頬が熱くなるのを感じた。
(え、演技なんだから……。なに、動揺しているのよ)
嘘でも、そんな風に大切に思っているような台詞を言われると胸がきゅっと締め付けられそうになる。
「ヴィルディー、泣くのは結婚式までとっておかないか」
思わず涙ぐむヴィルディーを見かねてインファンテ卿が口を開いた。
「そ、そうよね。ごめんなさいね。年取ると涙腺が緩くなるのよ」
ヴィルディーは涙ぐみながらオルフェリアに笑顔を作った。
なごやかな晩餐だった。
家族からはカードと贈り物が届いていた。カリティーファからは手製のお茶と、双子姉妹からはそれぞれ鳥模様の刺繍の入った布袋と薔薇のポプリ。なんだかずいぶんと遠回りをしたけれど、みんなオルフェリアのことを温かく見守ってくれているんだな、と思った。
食後の飲み物を応接間で取る段になった時、フレンがヴィルディーに「オルフェリアと少しの間だけ二人きりになりたい」と申し出た。婚約者同士なのだし、とあっさりと許可が降りオルフェリアはフレンと二人きりになった。
客用の応接間で二人きり。心臓が持つか不安なオルフェリアだ。
「あらためて、誕生日おめでとう」
「ありがとう、フレン」
「きみが生まれてきてくれて、私と出会って、今こうして隣にいてくれることが嬉しい」
オルフェリアの心を溶かすように、彼女の隣に座ったフレンは大げさに祝福の言葉を述べてくれる。誰かからそう言ってもらえることがこんなにも嬉しいことなんて、オルフェリアは今まで知らなかった。
けれど、間近でそんな風に熱心な声を出されると別の意味で心臓が騒ぎ出す。
(た、他意なんてないのよ……)
「わたし……ずっと誕生日が嫌だったの。だけど、わたし、誕生日を楽しんでもいいのよ……ね?」
オルフェリアはそろりと窺った。
「もちろんだよ。だれもきみが生まれてきたことを否定なんてしないよ。私がさせない。だから……」
「ありがとう」
現金だけど、フレンに肯定してもらえると世界から許されたような気になる。心が少しずつ軽くなる。オルフェリアは彼を見つめて柔らかな笑顔を作った。
「お、贈り物、いくつか持ってきたんだ」
フレンは少しだけ声を上ずらせて、応接間から出て行き、いくつか箱を持って戻ってきた。
「フレンたら。わたしさっきも貰ったわ」
晩餐の席でフレンはオルフェリアに宝石がふんだんにあしらわれた首飾りを贈ってくれた。饒舌に首飾りについて語っていたから、てっきり芝居用のあれだけだと思っていたのに。
「あれは対外的なもの。こっちは私が選んだ、きみ個人へあてたもの。貰ってくれるだろう?」
オルフェリアの意図を察したのか、フレンが先に口を開いた。
彼は当然のようにオルフェリアの隣に腰を下ろした。オルフェリアは差し出された包みをほどいていく。
中から現れたのは沢山の色をふんだんに使った図鑑だ。こんなに多色の印刷なんて不可能である。ということはこれは職人による着色だろう。色とりどりの動物や植物、または世界の地図などが掲載されている図鑑だ。
「これ……」
「オルフェリアはこういうのが好きだって、リシィル嬢から聞いたんだ」
いつの間にそんなことを尋ねていたのか。
オルフェリアは熱心に項をめくった。オルフェリアが見たこともないような動物たちが描かれていると思ったら、その次の項には海に住む魚たちが紹介されている。かと思えば、見開きで世界の地図が姿を現した。
隣にフレンが座っていることも忘れて、オルフェリアは図鑑の虜になった。
「ええと。感激してくれているのは嬉しいけれど、こっちの包みも空けてほしいな」
フレンの言葉を受けて、オルフェリアは手つかずの包みのリボンにてをかけた。まず最初に現れたのは白い布張りの生地に淡い青とピンク色で花模様が刺繍された日傘で、先端のレエスといい少女らしい趣味をしたものだった。次の箱からは小粒の紫水晶で菫の形を模したブローチ。最後の箱からはココアの缶が現れた。ココアの缶はよく見るとフラデニアの南の国カルーニャ製である。
「フレンたら、こんなにも沢山」
全部受け取ってしまっていいのだろうか。オルフェリアは困惑気味に声を出した。
それでなくても普段からフレンには沢山の贈り物を貰っている。ドレスだって宝飾品だって、身の回りを彩る品物もほぼすべてフレンが用意してくれている。(大抵の物はミレーネが勝手にフレンのツケでそろえているのだが)
「きみに似合うかな、とかきみが好きかなって思ったらつい色々と。春用のドレスは私が選ぶ前にミネーレが勝手に発注していて間に合わなかった。……気に入ってくれた?」
オルフェリアは手元にある品物をまじまじと観察をした。
菫のブローチはオルフェリアの瞳の色によく似た色調で、二つの菫が寄り添っている。台座は金細工で、いくつもの細い細工が複雑に折り重なっている。
「とてもきれい。あと、ココアも美味しそう」
「よかった。ちなみにそのココアはカルーニャ王室御用達の名品なんだ」
ココア一つとってもやはり高級品だった。
お金持ちのフレンがこういったものを手に入れるのは朝飯前のことだろうが、それでもアルンレイヒでは手に入りにくい異国の品物だ。
ココアの発祥はもともと南洋交易が盛んなカルーニャ王国である。カルーニャで飲まれていたココアが、王家の姫の結婚によって他国へと広まったのだ。そういった事情もあり現在でもココアの老舗として名高いのはカルーニャの店が多数を占めている。
彼はオルフェリアのために手を尽くしてこれを手に入れてくれたのだろうか。それを思うと胸の奥に甘酸っぱい感情がふわりと広がった。




