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婚約破棄するまでが契約です  作者: 高岡未来
第三部 花嫁修業はじめました
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一章 仮婚約者は迷走中

 とある昼下がり。

 オルフェリアはボンネットを目深にかぶり、ミュシャレンの商業地区へとお出かけをしていた。お目当ては文房具店と書店である。

 文房具店には封筒と便箋を探しに来た。


 というのも、実家から叔母の邸宅に戻るといくつかの手紙が届いていたからだ。差出人はイグレシア子爵夫人であるエルメンヒルデやユーディッテやリエラからだった。

 実家では家族くらいしか話し相手はおらず、ミュシャレンに出てきてからももちまえのはっきりとした物言いで同じ年頃の令嬢たちから煙たがられていたオルフェリアにしてみたら、女性から手紙を貰うというのは初めての経験だった。


 可愛らしい花模様の封筒を叔母ヴィルディーから渡された時はちょっと、いやかなり感動した。


 そして返事を書くために文房具店に来た。筆無精なオルフェリアの持っている便箋なんて、真っ白い無地の物で可愛さのかけらもない。ユーディッテの手紙からはよい香りがした。ミレーネ曰く、『便箋に香水を少しだけかけているんですよ』とのことだった。そんな芸当がこの世に存在するなんて。色々な意味でショックだった。

 そんな小技これまでの人生で教えてもらったこともない。

 オルフェリアも香水を買おうか本気で迷ったが、とにかくまずは女性らしい便箋を買うことだ。

 大きな文具店で色々な紙を手にとって吟味をして、オルフェリアは春らしいプリムラが描かれたものを選んだ。すずらんやすいれん模様も迷ったけれど、たくさん買ってもしょうがないので、今買った物が無くなったら新調しようと思う。


 封蝋やインクも新調して浮足立ったまま近くの書店へと足を運んだ。

 こちらも市内では一番大きな書店である。商会が軒を連ねる商業地区にあるから、客層もこの界隈で働く男性が多い。もちろんオルフェリアのような女性客もちらほらといる。

 今日のオルフェリアはいつものピンク色の外套ではなく、茶灰色の外套を着ている。

 店内をのんびり歩けば、後ろから律儀にミネーレがついてきた。


「店内だし、ミネーレもずっとわたしのことばかり見ていないで、なにか気になる物があれば手にとっていいのよ」

 できれば書店は一人で散策したいオルフェリアはさりげなくミレーネに提案した。

「いいえ。お嬢様から目を離すな、とフレン様からもしつこいくらいに言われていますし」

「そ、そうなの?」

「はい。近頃のフレン様は小姑のようにうるさいのですわ」

 ミネーレが頬に手を当ててため息をついた。

 しかし、フレンが小うるさいのはオルフェリアにとっては通常運転だ。あの男は出会った当時から何かと小うるさい。


「それはフレンの通常運転だからあまり気にしなくていいわよ。ミネーレだって、ファッションプレートとか興味あるんでしょう」

「はい! 実はそろそろ春号が出ている頃なので気になっているんですよ」

「だったら見てくればいいわ」

「ではお言葉に甘えまして。あ、お嬢様。絶対に店内から出てはいけませんよ。絶対ですよ」

「わかっているわ」


 オルフェリアは苦笑してミネーレを送り出した。ドレスが大好きなオルフェリアの侍女は年に数回発行されるファッションプレートの愛読者でもある。大きな図版の載った件の雑誌は値が張るため、ミネーレもこのためにお金をためている。


 オルフェリアは店内奥へと足を踏み入れた。


 書店の客層はこのあたりで働く男性たちが多数を占めている。皆しっかりとフロックコートを着込んだ紳士ばかりだ。時折女性客もいるが、皆地味な服装をしている。

 つい、あたりをきょろきょろと見てしまうのは知った顔がいないかどうか確かめるため。

 知った顔、フレンのことを思い浮かべてオルフェリアは自分の胸が熱くなるのを自覚した。近頃のオルフェリアは少しおかしい。


 フレンのことを考えると意味もなく顔がほてったり、寝台に飛び込んで足をじたばたさせたくなる。小うるさい男とか罵ってみるくせに、すぐに自分自身でその言葉に反論してしまう。

 書架を眺めるふりをしつつ、ついフレンと同じような背格好の男性を見ると、そわそわしてしまう。ファレンスト商会がいくら近いからといってそんな偶然あるわけもないのに。

 店内をぐるりと回って、少しだけ気落ちして。


 オルフェリアはもう一つの目的の本を手に取った。

 『大草原の果てから』という紀行だ。舞台はアルメート大陸の開拓地区。

 オルフェリアの愛読書の一つだ。アルメート大陸に西大陸の人間が入植を初めてほぼ百五十年。アルメート大陸の東海岸に入植した人たちは未開の地を西へ開拓していくことに注力した。

 この紀行はそういった開拓者のうちの一人が書いたものである。


(お父様元気でやっているかしら)


 オルフェリアはぱらぱらと項をめくった。めくった先に父がいるかのように、想いを馳せた。冒険の旅へと出かけた父からは便りの一つも届かない。はたして何をしているのか。そもそも元気でやっているのか。困ったところのある父だけれど、それでもオルフェリアにとっては世界にたった一人の大切な父であることには変わりない。

 エシィルは今年母になるし、リュオンは寄宿舎で勉強に励んでいる。レインだって、フラデニアの寄宿学校へ行くことになった。家族だっていつまでも同じところにいるわけではない。たまには連絡くらいしてくれば、こちらもいくらか安心するのに。


「おや、お嬢さんはアルメート大陸に興味がおありかな」

 突然隣の書架を漁っていた紳士が話しかけてきた。

 見知らぬ、年を重ねた男性である。

「え、ええと。読み物として面白いですから」

 オルフェリアは当たり障りのない返事をした。書店にいると、たまにこうして声をかけられることがある。年頃の令嬢にしてはいささか変わった種別の本が好きなオルフェリアは時々好奇心に駆られた読書好きと思われる客から興味本位で質問されるのだ。

「ときにお嬢さん。お嬢さんはもしかすると……」

 年上の男性はこのあたりでは当たり前に見かける服装をしていた。帽子にフロックコートといった出で立ちだ。少しくたびれてはいるけれど、茶色の髪も灰色の瞳もありふれた色である。


「お嬢様、ほしいものは見つかりましたか?」

 男がなおも好奇心から言葉を続けたちょうどのタイミングでミネーレが戻ってきた。


 腕の中には目当てのファッションプレートの入った紙袋がある。

「え、ええ。これから買うところ」

 男性はすぐに興味をなくしたように別の書架へと移動してしまった。オルフェリアも腕に抱えた書籍を会計へと持っていった。


「そうですわ、お嬢様。これから香水を買いに行きませんか? 明後日はせっかくフレン様とお出かけですし」

 会計を済ませるとミネーレが提案をしてきた。

「ええっ。いいわよ。……似合わないわ」

 ユーディッテの手紙に触発をされて、少し興味持ってミネーレに話したのがよくなかったかもしれない。それに、フレンのために香水をつけたいなんて一言も言ってない。

「そんなことないですよぉ。それにもうすぐお誕生日デートじゃないですか。お嬢様にぴったりの香りを選ぶわたし! 楽しすぎて今すぐロマド河に向かって叫び出したいです」


 ロマド河はミュシャレンを流れる大きな河である。

 そろそろ突っ込むところだろうか。たまにこの侍女はオルフェリアの理解を超える発言をしてこちらを困惑させることがある。

 結局オルフェリアはミネーレに香水店へと連れていかれて、酔いそうになるほど沢山の種類の香水を嗅がされることになった。



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