五章 心のありか2
◇◇◇
日暮れの前になってリシィルが現れた。
「調子はどう?」
彼女はずっと動き回っているのか、結わえた髪の毛が少しだけ乱れていた。けれど、その顔には疲労の色はない。
「悪くないよ」
フレンは寝衣から、室内着へ着替えを済ませていた。今も寝台ではなく、窓辺のソファに身を落ちつけて新聞に目を通していた。本当は階下へと降りて行って、色々と聞きまわりたいことがたくさんあったけれど、人から無駄に心配されるのも面倒なのでおとなしく部屋に留まっている。
「そう。ならよかった。オルフィーがすっごい心配していたから」
「で、ダヴィルドは見つかったのかい?」
なんとなく照れくさくてフレンは話題を変えた。
途端にリシィルの顔は曇った。
「いや。まったく。アルンレイヒの街道には全然引っかかっていない。フラデニア側の、列車の通っている街にも使いをやったけれど、ダヴィルドと似た要望をした男は見かけていないって。あいつ、馬を使って逃げたんだ。馬が通れる道なんて、国境沿いならそれこそ限られている。もう少し範囲を広げて探しているけれど、すぐには見つからないと思う」
リシィルはそれからいくつか、トルデイリャス領地の街道について説明をした。街道沿いの捕吏を使って捜索をしているけれど、アルンレイヒ側で馬を使った若い男性を見かけたという情報はほぼなかった。
「とすると、やはりフラデニア側へ逃亡したとみるのが正しいか……」
「たしかに、国境警備隊の警備の穴をかいくぐれる道がないわけでもない。昔は山賊が使っていた抜け道とかもあるし」
「きみはそれらを知っているんだね」
「まあね。わたしの舎弟でも知っている人間はわずかだ。しかし、知っている人間は他にもいる。フラデニア側の、それこそ山賊の末裔だったり、山に入る猟師だったり。わたしたちは定期的にそういうところを見回っている。今も舎弟の一人が順にそれらを点検しに行っている」
リシィルはそれきり口をつぐんだ。
たしかにあまりいい話題ではない。けれど、話すことがないのに、彼女はフレンの元に留まったままだ。それに、フレンは先ほどから彼女が花束を持っていることも気にかかっていた。
「カリストはカンカンだよ。原因の一因を作ったレインを今すぐに修道院に入れると騒いでいる。まあ、それは置いておいて。これ、フレンにあげる」
リシィルは微妙な情報提供だけをして、あっさりとこの話題を打ち切った。
本命は花束の贈呈だったらしい。
押しつけられた花束は白薔薇だった。この時期に手に入るということは、ずいぶんと高価な代物だ。
「なに、これ?」
「え、花束」
「それは分かる。問題は、どうしてきみがこれを私に渡すかっていうことだ」
「フレンに昔話をしてあげようと思って」
また話が飛んでフレンは眉根を寄せた。自由すぎるメンブラート伯爵家の令嬢は本当に、自分のしたいように行動をする。
「その前に、ちょっと」
リシィルは手招きをした。訝しんでいると、さっと腕を取られてソファから引っ張り上げられた。そのまま腕を掴まれたまま廊下へと連れ出された。
フレンが連れてこられたのは屋敷の東側の客間だった。
二人して窓辺にたたずむ。リシィルが窓の外へ視線を移したので、フレンも同様に窓の外を眺めた。眼下に広がるのは常用樹が植えられた庭園と、森へと続く細い道。その道を黒髪の長い少女が歩いて行くのが確認できた。
「オルフェリア」
「彼女は一月になると毎日ああして森の中の、とある場所へ行くんだ。わたしたちはそれを知っているけれど、見ないふりをする。暗黙の了解ってやつだね」
「どこに向かっている?」
以前、オルフェリアに拒絶された質問を、フレンはリシィルへと向けた。
「大事な人のところ」
「誰?」
フレンの声が少しだけ低くなった。
「男っていったら、機嫌悪くなる?」
一方のリシィルは面白がるようなそぶりをみせる。この間から、年下の少女にいいように手玉に取られているようで、フレンは内心非常に面白くなかった。
「どこの、男だ?」
「フレン、いま自分がどれだけ怖い顔をしているか自覚している?」
「きみはどこまでも人をおちょくってくるのが得意だね」
「ごめん。ただ、フレンのことを見極めたくて。失礼な態度を取っている自覚なら十分あるよ」
リシィルは穏やかな顔をして頭を少しだけ傾けた。
彼女の表情の中に、フレンのことを見定めるような色は無くなっていた。
「あの子はさ。あの子も双子だったんだ」
「え……」
話は唐突に始まった。
「うちのお母さんの家系って、代々双子が生まれる確率が高いらしくって。母はそんななかでも特に偶然が重なって、わたしたちの次に身ごもった時も双子だった。でも……唯一違ったのは、生まれてきた双子のうち、一人は死産だったってこと」
フレンはリシィルの方を見た。
彼女の言う、あの子とはオルフェリアのことで間違いないだろう。オルフェリアも双子だったということか。そして……。
「彼女と一緒に生まれてきた、彼女の弟は息をしていなかった。産婆や医師の必死の処置もむなしく、結局息を吹き返すことがなかった。両親も悲しんだけど、一番取り乱したのは祖母だった。ねえ、フレンきみは想像がつく? メンブラート家は六百年も血脈を絶やさずに、その血を守ってきたんだ。これがどういうことか」
おそらく、それはフレンの想像もつかない世界だろう。今よりも医療技術も生活水準も低かった時代だ。人間の命など、とても軽かった。
「死んでしまったのが、男児だったから余計に祖母はくやしかったんだろうね。わたしたちはまだとても小さかったから、分からなかったけれど。それでもリュオンが生まれるまでは色々と思うことがあったよ。お母さんはずっと男の子を産めない自分自身を責めて泣いていた。お母さんのことを悪く言う親戚だっていた。貴族に嫁いだ女性は跡取り息子を産めないと役立たずだと言われるから」
フレンはリシィルの話に耳を傾けている。
オルフェリアが向かっている大事な人のところというのは。
「とくに祖母はね、オルフェリアのことを認めなかった。祖母は死ぬまで一度だってオルフェリアのことを抱きしめることはなかった。そして、なんの罪もないオルフィーに言うんだ。おまえが、弟の命を吸い取って生まれてきたんだ、って。ばかみたいな話だろう? そんなことあるわけがない。小さいオルフィーは最初は、まあ当然意味なんてわからないよね。けど大きくなるに従って、色々と腑に落ちることがあったんだろう。ああして、こっそりと一族の墓地に花を届けるようになった」
「ほかにも、彼女を悪く言うやつがいるのか?」
「祖母くらいだね。もう亡くなったけれど。けど、古い親戚連中はなにかにつけてオルフィーのことを諭すよ。亡くなった弟の分まで伯爵家の人間として恥ずかしくない生き方をしろって。忘れるなって。カリストも時折面倒なんだよね、同じような言葉を使うから」
リシィルは肩をすくめた。
「だから、オルフィーがミュシャレンへ行くって言いだしたとき、わたしは賛成した。ここにいてもいいことなんて一つもない。なのに、なぜだか家のために偽装婚約をした。意味が分からない。やっと自由になったと思ったのに、どうしてメンブラート伯爵家のためにそこまでできるんだろう? 理解できない」
リシィルは心底不思議そうにつぶやいた。
「どうして、今きみは私にこんな話をするんだ? きみには私たちの関係がばれてしまっているのに」
「フレンの言葉なら、オルフィーに届くかなって思って」
「でも私は……」
自分たちの関係は偽物だ。
偽物の婚約者になにができるのだろう。けれど、フレンは今すぐにオルフェリアの元へ走っていきたかった。
「家族がいくら言っても駄目なんだ。現にわたしの言葉じゃ無理だった。わたしたちじゃオルフィーの心は解かせない。誰か、もっと彼女のことを想ってくれる別の人じゃないと」
「それってオルフェリアにとっての恋人になるのかな? だけど私たちの関係はきみも知っての通り偽物だ」
「確かにあんたたちは恋人ではないけれど、友人ではあるだろう? オルフィーはフレンのこと大事に思っているんだなって思った。彼女にとって、あんたは初めての友達なんだろうね。今までずっと家族くらいしか話す相手がいなかったから、色々と不得手だらけだろうけど。大目に見てやってほしい」
「友達、ね」
フレンは自嘲気味に笑った。
これはまた、ずいぶんと大きな釘を刺されてしまった。
「うん。友達。仕事上の相棒よりかはいい響きだと思う。だから、この花束持って一緒に墓参りしてやって。一族の墓地は東の森の先にあるんだ」
「わかった。きみに認めてもらえて嬉しいよ」
リシィルに見送られる形で、フレンは屋敷の外へと向かった。
オルフェリアの心に触れたかった。彼女がしてくれたように、今度はフレンがオルフェリアの心を軽くしたいと、思った。
触れるなと言われても躊躇わない。
人の黒歴史については散々引っかき回しておいて、いまさら何を言う、だ。
彼女の胸の内もすべてさらけ出してほしい。狭い世界が窮屈そうで、箱庭だと言った時のオルフェリアの顔が脳裏に浮かんだ。
フレンは階段を下りるのももどかしくて、途中転びそうになりながら、それでも駆けた。
なんだって受け止めるから、きみの素直な気持ちを聞かせてほしい。
◇◇◇
オルフェリアは今日も墓参りをしていた。
花を捧げて、目をつむる。
ごめんなさい。
毎回、この場所で思うことは同じだった。
どうしてオルフェリアだけが生き残ったんだろう。
みんなの思うとおりに生きることは、とても息苦しい。解放されたい。
オルフェリアは自分の心の中にどろどろとした感情が生まれるのが嫌だった。どうして、わたしの心はこんなにも醜いのか。直視するには幼すぎた。
「オルフェリア……」
馴染みのある、温かな声が耳朶をくすぐった。
「フレン……」
オルフェリアはゆっくりと頭を持ち上げた。
立ちあがって、体を反転させる。オルフェリアから少し離れたところに、予想通りの人物が佇んでいた。
「どうして、ここが……」
「リシィル嬢に聞いた。オルフェリアがここに通っている理由も」
フレンの言葉にオルフェリアは体をびくつかせた。
リシィルはすべてを話してしまったのだ。
「そう……。ここには、わたしの弟が眠っているの。……わたしも双子だったの」
オルフェリアはフレンの顔を見ることができなかった。
「弟さんは、残念だったね」
フレンは手にしていた花束をオルフェリアが置いた花束の横にそっと置いた。
しばらく間フレンは瞑目した。
「その花は?」
「リシィル嬢が用意してくれた。今度、自分でも用意するよ。明日もここに来るんだろう。その時は同行させてほしい」
「……嫌」
オルフェリアはフレンの申し出を断った。
今回、オルフェリアは学んだ。人間どうしても踏み込んでもらいたくないことがある、ということを。今までオルフェリアは人と親しい付き合いをしたことがなかった。だから、気付くことができなかった。経験不足のままオルフェリアはフレンと出会って偽装婚約をして、フレンの事情に立ち入ってしまった。
「俺は、きみの心に触れたい」
「入ってこないで。このあいだも謝ったでしょう。フレンの事情に無遠慮に立ち入ってごめんなさい」
それはオルフェリアからの拒絶の言葉も同じだった。
「謝ったら何もなかったことにできると思っている? 私はオルフェリアが親身になってくれて、結果良かったって思ってる」
オルフェリアはフレンのことを見てしまった。
フレンの穏やかな緑玉の瞳の中にオルフェリアが映っている。
「きみの心に触れたいんだ」
フレンはもう一度同じことを口にした。
「……嫌。やめて! だって、とても醜いわっ」
オルフェリアは後ろを向いた。
フレンの、綺麗な緑色の瞳の中に少しだって映る資格なんてない。
「醜くなんてない」
「どうしてそんなことが言えるの? わたし、ずっとずっと逃げ出したかった。家から、弟から、すべてのものから! お祖母様が亡くなったときだって、わたし……」
オルフェリアは言葉を切った。
肩を震わせると、後ろからオルフェリアの方に手が添えられた。ビクンとなるが、フレンの手だと認識をすると、少しだけこわばった力が抜けた。
「うん。全部吐き出していいんだ」
「わたし……、お祖母様が亡くなった時、泣くことができなかった! 悲しいのに、それでも心のどこかで安心した。これで、……これで、もう……嫌な言葉を聞くことがないんだって、思ったらほっとした。ひ、ひどいでしょう? 血のつながった祖母なのに……涙が流れないのよ……」
物心ついた時から、祖母はオルフェリアに対して恨みを持った視線を投げてきた。小さなころはどうして彼女はオルフェリアに対していつも怖い顔をしているのか分からなかったけれど大きくなるにしたがって事情が呑み込めてきた。
オルフェリアが生きているから彼女は怒っている。代わりに一族の大事な跡取りが死んでしまったから。お腹の中にいたころのことなんてわからない。
でも、もしも彼女の言うとおりオルフェリアがお腹のなかで弟の分まで母からの栄養を独り占めしてしまっていたら?
考えると恐ろしかった。
「でも、きみは今泣いているじゃないか。きみは優しい子だよ」
フレンはオルフェリアの正面に回り込んだ。
頬に両手を添えて、顔を持ち上げる。
潤んだ視界の先にフレンの緑玉の瞳が揺らめいている。涙はどんどん溢れてくる。
「そ、そんなこと……ない。わたし、ずっと逃げたかった。フレンが……最初に立ち切り禁止を言われた時だって、ホッとしたのよ。これで、わたしも帰らなくて済むって。ずっとずっと……逃げたかった……。怖かった……」
オルフェリアはフレンに抱きしめられた。
「もういいんだ。一人で抱え込まなくて。きみの家族はみんな、きみのことが大好きなんだよ。私も、オルフェリアに出会えてよかった」




