四章 鎧祭りと決意の決闘3
「おまえが、貴様が姉上のことを語るな! 商人風情が。おまえなんかに、姉上はふさわしくない!」
「その反対の仕方でオルフェリアに怒られたんじゃなかったのか」
「うるさい! 僕はお前がどこかの王子でも反対する! 後から現れたくせに、いい気になるな」
リュオンは両手で剣を持ちフレンに切りかかってくる。
もちろん刃は潰されている模擬試合用のものだ。しかし、さすがに顔に当たれば痛いだろう。
「私だって、出会ってから数カ月彼女と……一緒に過ごしてきたんだ」
フレンもリュオンの剣を受け止めた。
力では負けていない。華奢な少年の力など、たかが知れている。
しかし、腕も重たい装甲で包まれている。腕を上げ続けてるだけで、体は悲鳴を上げるのだ。
フレンは今日何度目になるか分からない舌打ちをした。
玉のような汗が噴き出ている。
決闘が始まってどのくらいが経過したか。大口をたたいているけれど、フレンの体力はそろそろ限界だ。リュオンは余裕があるからこそ、声をかけてきたのだ。
フレンは、どうしたいのかわからなくなっていた。
勝ちたいとは思う。しかし、ここでフレンが負ければ、婚約破棄の大義名分は手に入れられる。オルフェリアがフレンのことを振るよりも、ずっと筋が通った話が出来上がるだろう。
身分差があったから、やはり実家が反対をしたか、と人々は勝手に憶測をする。
婚約破棄になったからといって、フレンはすぐに手を引こうとは考えていない。オルフェリアがフレンにしてくれた対価は払うつもりだ。メンブラート伯爵家の財政の立て直しや、領地への投資や今後の運営について真摯に対応するつもりだ。
それとは別のところで。
フレンは考える。オルフェリアは、本当はもうフレンから解放されたがっているのはないか、と。彼女の言うこともフレンには図星だった。
(結局、俺は……女組の公演を進めるのに都合がよかったから、偽の婚約者を仕立て上げただけだ)
結婚を延ばすなら、のらりくらりとかわし続ければいいだけの話だ。
オルフェリアのことを縛りつけて。勝手に激情に駆られて、彼女を非難して。結局彼女のことを傷つけている。
リュオンもそろそろ疲れているのだろう。
息が上がってきている。次か、その次くらいで勝負を決めてしまいたい、と決意した瞳がこちらに狙いを定めている。
もう潮時か。
ちょっと、いや、かなり恰好が悪いけれど。
フレンだって体力の底を尽きかけてきている。
その時。
「フレン! フレン、勝って!」
外野の音なんて、まるで耳に入ってこなかったのに、その声だけは寸分の狂いもなくフレンの耳に届いた。
彼女にしては珍しい、張った声だった。普段からは想像もつかないくらい、渾身の力を込めた声だった。
フレンはとっさに声のする方へ顔を傾けた。
リュオンも同じように、フレンと一緒の方向へ顔を向けている。
「勝って、フレン! 勝ちなさいよ……。あ、あなたわたしの婚約者でしょ!」
必死の形相で叫ぶオルフェリアが、フレンの視界に飛び込んできた。
隣のエシィルはマルガレータを抱えたまま、驚いたように固まっている。オルフェリアは酸素を求めるように、大きく肩を揺らしている。それでも、その瞳はただ、まっすぐにフレンを射抜いていた。
距離が離れているのに、フレンには薄紫色の双眸がはっきりと見て取れた。
「あ、姉上……」
リュオンも茫然とオルフェリアの方を見つめている。
負けてしまおうと思っていたのに。
きみは、私に勝ってほしいのか、勝て、というのか。このまま婚約者のままで、フレンのことが隣にいることを了承してくれるということなのか。
「くっそぉぉぉ」
先に我に返ったのはリュオンだった。
彼は大きく剣を振り上げてフレンに切りかかってくる。
「負けないで! フレンーーーー!」
オルフェリアの叫び声がフレンを動かした。
フレンは、最後に渾身の力を込めて、それを薙ぎ払った。腕がもげそうなくらい辛かったけれど、それよりも今は別のものが彼の意識を支配していた。
強い意志がそこにあった。
リュオンの手から剣が外れて、後方へと飛んでいった。フレンは自身の剣を掴みながらリュオンの懐へと入った。子供相手だからとか、少しは手加減をしないととか、そういうことは完全に頭の中にはなかった。
勝負は一瞬だった。
リュオンを地べたに押し倒し、顔のすぐ横に剣をつきたてる。フレンはリュオンが身動きが取れないようにもう片方の腕でリュオンの肩を抑えつけた。
「……悪いね。私も、きみのお姉さんを譲れない」
リュオンは必死にもがいた。けれど、鎧を着込んだフレンはいつもよりも体重が増している。少年の華奢な体躯で押し返せるはずもない。
そろりと近づいてきた審判員が数を数え始める。
観客席はしんと静まり返っている。
そして、「二十」と数え終わったとき。
一斉に観客が喚いた。
「勝者は、ディートフレン・ファレンスト! 最後の最後で愛する婚約者からの声援で見事に逆転をもぎ取りましたぁぁぁぁぁ」
司会進行の舎弟の言葉をうけて、さらに観客席から大きな声が生まれた。
リュオンは立ちあがって、フレンのことを睨みつけた。
「くっそぉぉぉ」
リュオンは紫色の瞳に爛々と怒りの色を灯していた。
「はいはい、リュオンも往生際が悪いよ。最後にオルフィーがフレンの味方をしたからって、嫉妬しないの」
いつのまにかそばに来ていたリシィルがリュオンの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
図星だったのか、リュオンはリシィルの指摘に声を詰まらせた。
「リュオンも立派だったわ。あなたも、日々大きくなっているのね。お母さんびっくりしたわ」
続けてやってきたカリティーファもリュオンの頭を優しく撫でた。
立て続けに慰められたリュオンはバツが悪そうにしたが、それでも伯爵家の人間らしく最後はきちんとフレンに礼をした。
フレンもリュオンに習い、頭を下げた。
両者互いに手を握り合い、健闘をたたえ合う。
会場は大きな拍手に包まれた。割れんばかりの拍手を聞きながらお互い控えの天幕へ戻っていった。
「あんたも見事だったよ。最後の最後で、逆転してくれるし。愛の力、かな?」
「色々と癪に障るけれど、とりあえず今は早く鎧を脱ぎたい」
リシィルの軽口に付き合うよりも先に、フレンは本当に体を休めたかった。
重い鎧を脱ぎ棄てて、早く自由を取り戻したい。彼女の言うとおり、最後自分でも驚くくらいの力が出た。俗に言う火事場の馬鹿力というやつだ。
そして、おそらく。
フレンはちらりとオルフェリアのいる観客席を振り返った。
◇◇◇
婚約破棄を賭けた決闘はフレンが勝って終わった。
祭りの終わり、フレンとオルフェリアは旧市街で一番大きな酒場へ連れてこられた。
南側に位置する『牡鹿亭』は中央広場を南北に通る通称真ん中通り沿いにあり、広い店内には人が百人ほど入れるくらいの規模を誇る。リシィルは何かあると、ここに舎弟らを集めて宴会を催す。
現在は祭りの打ち上げが行われていて、街の主だった有力者らも顔を見せている。
祭りの首謀者であるリシィルは大勢の人間に取り囲まれている。
冬の日の入りは早く、あたりはすでに暗闇が浸食をし始めていた。
伯爵家の面々はみなヴェルニ館へと引き上げて行った。リシィルはリュオンのことも引きとめていたけれど、カリストが頑として断り、カリティーファも同意したためフレンとオルフェリアを残して帰ってしまった。
今日の勝者のフレンもさきほどからかわるがわる街の人間がひっきりなしに彼の元を訪れていた。杯を交わし、フレンの戦いぶりを褒めている。
ハンデがあったにも関わらず、最後の最後で勝利を掴んだフレンの雄姿に酒に酔った男どもが浸っている。
オルフェリアはちらりと彼の方をうかがった。
手にしているのは温かいリンゴのジュース。シナモンで香り付けがされている。この時期特有の飲み方だ。
「お嬢様の最後の言葉、とても素敵でしたわ~。愛を感じましたわ、愛です」
「もう、ミネーレったら……」
酒場の隅っこでオルフェリアは恥ずかしくて身を縮込ませた。
連れてこられたのはいいけれど、この場にいるのはリシィルの舎弟や国境警備隊の人間など、男がほとんどだ。身のやり場に困る。
街のおかみさんや若い娘も何人かはいるけれど、オルフェリアは彼女たちと話をしたこともない。
必然窓辺の席にミネーレと座って、ちらちらとリシィルとフレンに視線をやりながら、ジュースで喉をうるおしていた。
それにしても。
オルフェリアは考える。どうして、あのとき声を出したのだろう。
「どうぞ」
目の前にゆでてから、ぱりっと焼かれたソーセージの盛り合わせの皿が置かれた。ついでに温かなパンの入った籠も。
「ありがとう……って、アルノー。あなたもいたの」
「ええ。居ましたよ。では、これで」
アルノーは無感動にオルフェリアを見降ろした後、すぐにその場を離れてしまった。
「お嬢様、気にすることありませんわ。アルノーは少し、いや、かなりフレン様大好き病をこじらせているだけです」
ミネーレはさっそくソーセージを切り分ける。
ミネーレの言葉の意味が掴めなくて、オルフェリアは首をかしげた。こじらせる、とはどんな意味だろう。ミネーレの話す言葉は同じ言語なのに、たまに分からない時がある。
切り分けられたものを口の中に入れて咀嚼をしながら、オルフェリアの意識は再び先ほどの決闘会場へと引き戻された。
フレンと微妙な雰囲気のまま決闘を迎えて、オルフェリアは彼の心が分からなくなっていた。フレンだって、本当はもう婚約を解消したいのではないか、と。
それなのに。
防戦一方で、リュオンに押されているフレンを見たら、勝手に言葉が出ていた。
フレンに勝ってほしかった。負けてほしくない。
なんて傲慢なんだろう。
体よく婚約破棄できる絶好の機会だったはずなのに、オルフェリアの心がそれを拒んだ。もう少しだけ、彼と一緒にいたい、とそう願った。
(じゃないと、あんな言葉でてこない……)
理屈抜きで、オルフェリアはフレンに勝ってほしかった。まだ、婚約をしていたかった。
偽物の関係だということくらい、百も承知だ。それなのに、まだ終わりにしたくなかった。フレンに隠していることだってあるのに。
踏み込んでくるな、と拒絶をしたのはオルフェリアの方なのに。
オルフェリアはフレンの方を盗み見た。
彼は赤ら顔の市長に捕まっている。調子のいい、大きな声がこちらの方にまで飛び込んでくる。ハールマインはすでに出来上がっているのだろう。
無事に婚約を維持できることにはなったけれど、フレンはそのことをどう思っているのだろう。彼と話したいのか、そうではないのか、オルフェリアにもよくわからない。
けれど、そばから離れるのはいやでリシィルに連れてこられるままこうして今酒場までやってきて、隅っこでちびちびと果実水を飲んでいる。
話すのはためらうのに、フレンと離れるのは嫌だなんて。
酒場はほどよく酒を入れた人々の嬌声が響いていた。
しばらくフレンはあの場から離れることはできないだろう。
オルフェリアはいくらか食べ物でお腹を満たしたのち、立ちあがった。
「お嬢様、どうなさいました?」
「ちょっと、外の空気を吸ってくるわ」
ミネーレもがたんと、椅子を引いて立ち上がりかけたが、オルフェリアはそれを制した。
「店のすぐ外に出るだけ、よ。あなたはここにいて。すぐに戻ってくるから」
オルフェリアは人々の間をくぐりぬけて酒場の扉を開いた。
途端に冬の冷気が肌を撫でる。
祭りの終了した街は静かだった。通りはすっかり闇に浸食されており、通りを息買う人々も皆無だ。当然のことながら、当たりの店はすべて閉まっている。皆、今頃家族で食卓を囲んでいるのだろう。
オルフェリアは息を吐いた。
「お嬢さん。おひとりですか」
ここ数日の間になじんだ声にオルフェリアは、声の主の方へと体を傾けた。
◇◇◇
「ポーシャールさん」
相変わらずくたびれた外套を着込んだダヴィルドがひっそりとたたずんでいた。
「祭りは大盛況だったようですね」
彼はいつものように屈託なくオルフェリアに話しかけてきた。
オルフェリアはダヴィルドのことを少しだけ睨みつけた。
思えば、彼の紛らわしい態度のおかげでフレンとの仲がぎくしゃくしたし、その諍いの中リシィルに偽装婚約がばれたのだ。
全部が全部ダヴィルドのせいではないけれど、それでもオルフェリアの心情としては、無条件に親しげな態度を取ることを躊躇ってしまう。
「そうね」
オルフェリアはそっけなく答えた。
「うわあ、お嬢さん怒ってます?」
「あなたねえ。あなたが変なところでわたしに寄りかかってくるから、あれから大変だったのよ」
全部間が悪かった。それくらいは分かっているけれど、オルフェリアは苦情を言わずにはいられなかった。
「あははぁ~。すみません。あとでファレンストさんにも謝っておきます」
ダヴィルドは頭を掻きながら謝った。どこか間の抜けた声の調子にオルフェリアも拍子抜けをしてしまう。
結局、この男の持つ雰囲気に気を許してしまうのだ。
「で、あなたはこんなところで何をしているの? お散歩というには少し遅い時間だとおもうけれど」
夕餉の時刻もとうに回っている頃合いだ。
オルフェリアもなんだかんだと酒場に長く居座っている。
「ちょっと、色々と。お嬢さんは、どうしたんですか?」
「わたしは少し外の空気が吸いたくなっただけ」
「そうですか。だったら、少しだけ歩きませんか? 一応僕明かりも持ってますし」
ダヴィルドは自身の手に持っている角灯を掲げた。
「いいえ。誤解を受ける行動はもうこりごりよ。とくに、あなたとは」
オルフェリアは今度こそはっきりと告げた。
また、変なところを誰かに見られるのは嫌だったからだ。
「お嬢さんも警戒心を抱くようになったんですね。でも、それだとちょっと都合が悪いなあ」
ダヴィルドはひとり言を言うようにごにょごにょと口を動かした。
「なによ」
「いいえ。こちらの独り言です。誤解というか、なんというか。まあ、いいや。実はレインお嬢さんのことで話しておきたいことがありまして」
「ここだと話せないことなの?」
「酒場の入り口ですからね。誰かに聞かれたら、レインお嬢さんの評判に関わりますよ」
オルフェリアは思案気に眉根をひそめた。
少しだけ逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「少しの間だけ。あと、わたしから十分に距離を取って。いいわね」
「お嬢さん、毛を逆立てた猫ちゃんみたいですね」
ダヴィルドが茶化してきたが、オルフェリアがじろりと睨みつけると、すぐに口をつぐんだ。
ダヴィルド先導の元、オルフェリアは彼の後につづいて大通りを南下した。大通りだというのに行き交う人は皆無だ。田舎の町では、皆岐路につくのが早い。夜はまだ浅い時間だが、この時分に出歩くのは酔っ払いくらいなものだ。
軒先に吊るされた明かりがぼんやりと二人を映し出している。
「それで、レインのことって一体何?」
オルフェリアはたまらず口を開いた。
先ほどからダヴィルドはしゃべろうともせず、ただ歩いているだけなのだ。酒場からも、また街の中心部からもどんどん離れて行く。もうすぐ南の城壁門へとたどり着いてしまう。昔の名残である城壁門をくぐりぬけた先は民家がまばらに建っているだけのさみしい風景に代わってしまう。新市街は旧市街の東側を流れるトラーヴェ川の先に続いているからだ。
「ああ、それはね。もういいんですよ。今頃目を覚ましているはずですから」
「なんのこと?」
「いいえ。こちらのことです。それよりも、お嬢さん。僕と一緒に来てほしいところがあるんです」
ダヴィルドは立ち止ってオルフェリアの方へと振り向いた。
オルフェリアは小さく息をひそめた。
振り向いたダヴィルドの顔つきがそれまでの、どこか人を安心させるような柔和な表情から一転していたからだ。顔つき一つで、人はこんなにも印象を変えられるものなのか。
ダヴィルドは、その顔になにも浮かべていなかった。
いや、確かに彼は口の端を少しだけ持ち上げていた。
けれどそれは、これまでオルフェリアが知っているものではなく、どう獲物を捕獲しようかと思案する捕食者の浮かべる笑みのようだった。
オルフェリアは知らずに片足を後ろへ出した。
「何を言っているの? レインの話っていっていたじゃない。ヴェルニ館へ行くなら馬車を呼ぶわ」
「いえ。ヴェルニ館ではないです。それとは別の……あなたはこんなところにいるべき人ではない、といったところでしょうか」
「何を言っているのかわからないわ」
「でしょうね。とりあえず、僕と一緒に来てくれませんか? 実はずっと機会をうかがっていたんですよ。会わせたい人がいるんです」
オルフェリアの足が半歩後ろへ下がった分、ダヴィルドの方が一歩、二歩距離を縮めてきた。
オルフェリアを見下ろす濃茶色の瞳が、暗がりの中で妖しい色に染まる。
「や……」




