三章 新年の空は曇り模様5
◇◇◇
「それで。言い訳があるなら話してみれば。一応、聞いてあげるよ」
開口一番に聞こえたのは居丈高な言葉だった。今すぐ感情的になりたいのを、どうにか我慢しているような、少し抑えた声音にオルフェリアはかちんときた。
「なによ、その言い方。まるでわたしが浮気していたみたいな言葉じゃない。わたし、なにもしていないわ。彼が立ちくらみを起こして倒れてきたから、支えていただけよ」
フレンはオルフェリアをつれて、東側の遊歩道へと歩いて行った。
いくらか庭園から離れたところで立ち止まって、詰問をされている。
「ああ、そう」
オルフェリアの説明に、フレンはおざなりに返答をした。
「ああそうって。さっきポーシャールさんもそう言っていたでしょう」
「ふうん。きみ、それ本当に信じているの?」
「ど、どういう意味よ」
「そうだね。オルフェリアは温室育ちの伯爵令嬢だもんね。ああいう手合いは一番まずいって話だよ。人のよさそうな顔をして近づいてきて、天然を装って気になる女性の懐にさっと入りこむ」
「それはフレンの思考が意地悪すぎなのよ!」
たまらずオルフェリアは叫んだ。
そして同時に悲しくもなった。
「そうかな」
「そうよ。そんなこと言うからにはあなただって昔同じような手で女性を口説いていたってことじゃない」
フレンがオルフェリアよりも年上なのは百も承知だし、過去に好きな人がいたことだって知っている。
「私はそんな回りくどい手は使わないよ」
「な、なによ。自分だって、女性と遊んでいるじゃない!」
「今は違う。そもそも、私の過去の話をしているんじゃない。さっきの、あれはなんなんだって、話だ」
「だから、誤解だって言ったじゃない!」
「そうだね。けれど、きみにだって隙があるんじゃないのか? 目撃したのが私とリシィル嬢だったからいいものの、今このヴェルニ館には客人も少なからずいるだろう。彼らに見られでもしていたら、噂はあっという間に広まる」
オルフェリアはその言葉にごくりと息をのんだ。
フレンの厳しい目つきの意味がようやく分かったからだ。
「いいかい。きみの婚約者は私だ。私には抱きつきもしない癖に、どうして、きみは……」
フレンが一歩オルフェリアの方へ進み出た。
フレンの胸が目の前に迫る。そして手袋をした手が彼女の頬に添えられた。
「ろ、論点がずれているわ。人前で抱きつくなんて、そんなはしたないことできるわけないでしょう」
「さっきは思い切り抱きついていた」
「だから! いい加減、しつこいわよ」
オルフェリアにも限界というものがある。
不可抗力の事故を、こうもねちねちと責められるとフレンに対してぞんざいな態度をとってしまう。
オルフェリアはフレンから離れた。
フレンの手が、所在なさげに宙を彷徨わせて、自信の体の横へ収まった。
「しつこくもなる。私の大事な婚約者なんだ、きみは。明日の決闘のために慣れない稽古をした帰りにあんなものを見せつけられたんじゃ……俺だって怒りたくなる」
大事な婚約者。それはどこまでがフレンの本心なんだろう。
だって、その言葉だって演技じゃない。
オルフェリアの胸が痛くなった。矢か何かが心に刺さったように。
「だったら、明日の決闘で負ければいいじゃない。あなたの目的はメーデルリッヒ女子歌劇団のミュシャレン公演を成功させるのに、貴族の家の名を使いたかっただけでしょう? それはもう済んだんだから。最初から一年契約、なんて長い区間で区切らなければよかったのよ」
オルフェリアはわざとそっけない口調を出した。
「あのとき、オルフェリアには本当に世話になった。私以上に私のために力になってくれた。だから、今度は私がきみのちからになりたい」
「あなたにはもう十分してもらったわ。先日の、王家の晩餐会に一緒に出席してくれただけで十分よ」
「それは、本心で言っている? 私はきみのことがもっと知りたいと思った。きみは、たぶんきみが思っている以上に私の心を軽くしてくれた。レカルディーナのことを、きちんと過去のことにしてくれたのは、オルフェリアがいてくれたからだ」
フレンは真摯な口調だった。
まっすぐに、オルフェリアに向かって言葉を重ねた。
「あのときは……。深く考えもせずにあなたの古傷をえぐるような真似をして申し訳なかったわ。ごめんなさい。わたしのことはもういいの。あなたが、義務感から明日の決闘を受けるなら、負けてくれて構わないわ」
「義務感て。契約なんだから当たり前だろう」
契約という言葉にオルフェリアの心は固くなる。
(どうして、こんなにも苦しいの)
「正直、あなたも面倒に思っているんじゃない? 面倒な土地でしょう。偽装婚約の相手を間違えた、なんて本当は思っているんじゃない? 決闘に負ければ後腐れもなく契約を解除できてあなたにとっても都合がいいじゃない」
オルフェリアはわざと嫌な言葉を口にする。
フレンの本心を聞きたくなかったからだ。怒っているのも、彼の体面を汚されて、自分だけが苦労しているのにどうしてオルフェリアが自覚なしにふるまっているのか納得できないからだろう。
フレンがリュオンの言いだした決闘を面倒に思っていることくらい感じている。
だったら、オルフェリアのことはもういいから素直に負けてくれればいいのにと思う。
「たしかに、予想以上に古い土地柄だとは思ったけれど、オルフェリアの生まれた故郷だろう? 私は明日もリュオンに勝つつもりでいたよ。きみだって、応援すると言ってくれたじゃないか。……それなのに、きみからそんな言葉が聞かされると……」
フレンの瞳はまっすぐにオルフェリアを見据えている。
緑玉色の、真剣な視線は普段よりも熱を持っているように感じられて、オルフェリアは無意識にもう一歩後ろへ後退した。
「いいのよ、無理しなくて。これ以上、わたしの中に入ってこないで……」
オルフェリアは怖くなった。
これ以上、フレンと話していると、ますます自分が嫌な子になってしまう気がした。
「きみがそれを言う? 私のときは無遠慮にずかずかと足を踏み入れてきたのに」
フレンの一言にオルフェリアはおののいた。
「あのときは……。ごめんなさい。自分の立場になってみてわかった。本当にごめんなさい」
たぶん、いや、いまもオルフェリアは子供だ。自分が同じ立場になって初めて分かった。
「……わかった」
少しした後に、フレンが一言呟いた。
これで完全に嫌われた。
そう思った時だった。二人の間にリンゴが落ちてきた。
リンゴの次に落ちてきたのは、いや、降りてきたのは。
「リルお姉様!」
「リシィル嬢!」
二人は同時に口を開いた。
「オルフィーの様子が気になってね。ちょっと後を付けた」
リシィルは木に登って、それらを伝って追いかけてきたのだ。
「つけたって、きみ、気配を消すのがうまいね」
フレンは珍しく動揺を隠しきれないふうな声色を出した。
「まあ、ね。木登りも得意なんだ。さて、と。それより、今あなたたち。偽装婚約とか、契約だとか言っていなかった?」
「リルお姉様の聞き間違いじゃ……」
「オルフィー」
リシィルはオルフェリアの言葉を遮った。
フレンは盛大にため息をついた。




