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婚約破棄するまでが契約です  作者: 高岡未来
第二部 決闘に負けると婚約破棄!?
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二章 メンブラート家の子供たち5

 なぜだかダヴィルドはしつこくオルフェリアの後をついてくる。それとなく尋ねれば、「小さな街ですが、一応騎士代わりです」という答えが返ってきた。どうやらオルフェリアは街中を一人で歩くことも許されないらしい。リシィルは自由に街を闊歩しているというのに。


「お嬢さん、帰りはまさか一人ですか?」

「……」

 あんまりよく考えずにリュオンと別れたけれど、帰りの馬車のことなんて頭から抜け落ちていた。

「旧市街の広場に行ってから考えるわ」


 昔から何かあると旧市街の広場前で待っていると誰かしら迎えに来てくれたから、オルフェリアはあまり深刻にならずにいる。辻馬車を拾えば屋敷までは帰れる。ただし、カリストに見つかれば再度小言を言われることは必至だが。

 ダヴィルドはふいにオルフェリアの腕の中から花束などの荷物を取り上げた。

 オルフェリアはびっくりして彼の方を見上げた。


「持ちますよ。こういうときは男性が荷物を持つものです」

「あ、あの……」

「お嬢さんは、笑って、ありがとうって言っておけばいいんです」

 ダヴィルドと目が合って、オルフェリアは慌てて下を向いた。目が合うと、先ほどまでの警戒心を抱かせないへなっとした笑みではなくて、もっと男性的な笑みを彼が浮かべたからだ。


 笑い方一つで印象がまるで違う。その落差にオルフェリアはたじろいだ。

 物を人質のように彼に取られてしまったので、オルフェリアはそのままダヴィルドを連れて歩くしかない。

「お嬢さんは、アレシーフェの街は好きですか?」

「難しい質問ね。でも……嫌いにはなれない」

 唐突な質問だった。

 オルフェリアは内心訝しながらも素直に答えた。


「へえ。なかなか興味深い答えですね」

 大きくなるにつれて、世の中は広くて、アレシーフェもトルデイリャス領もある国の一地方にしか過ぎない、どこにでもある街だと感じるようになった。

 とくに伯爵家の令嬢であるオルフェリアは小さな街では目立つ存在だ。


「だって……わたしの育った街だもの。父ともよく一緒に歩いたわ」

 父との思い出もたくさんある街だ。

 その父は出て行ってしまったけれど。


「僕は、ね。きらいです」

「え……」

 てっきり好きだと言うと思っていたのに、正反対の言葉が出てきてオルフェリアはダヴィルドの方へ顔をあげた。

 口の端を少しだけ持ち上げたダヴィルドがそこにいた。

 じっと、オルフェリアを見つめる濃茶の瞳の奥には、何か得体のしれない色を宿しているようだった。

 何か、何か言わないと。オルフェリアは知らずに唇を舐めた。


「オルフェリア!」

 少し焦ったような声で呼ばれて、オルフェリアは声のした方へ振り向いた。

「姉上!」

 フレンとリュオンが一緒にがこちらへ駆けてくるところだった。

「フレン、リュオンも……」

 いつの間にか二人は合流をしたらしい。


「残念。騎士たちが登場したようですね。お嬢さんとはまた近いうちに会いますから、そのときは読書話でもしてくださいね~」

 ダヴィルドは再びにへらっと、相好を崩して語尾を伸ばした口調に戻った。


 そして取り上げた荷物を元の持ち主の腕に返して手をひらひらと揺らして人ごみに紛れてしまった。

 オルフェリアは茫然としながら彼の背後を見ていた。


◇◇◇


 馬車の中の雰囲気は険悪だった。

 フレンが邪推をしたせいだった。別にやましいことなんて何もないのに。

 リュオンも眉間に眉を寄せている。


「どうして二人きりで歩いていたんだ? その花束……、まさか奴に買ってもらったのか」とか言われればオルフェリアだって面白くない。

 どうして開口一番に不機嫌顔で怒られなくてはいけない。


「花束はわたしが自分で買ったのよ。彼とはお菓子屋さんで偶然に会ったの。それで勝手に付いてきただけよ」

「荷物まで持ってもらって?」

「それはあの人が勝手に取り上げたのよ。べつにわたしから頼んだわけじゃないわ」

 オルフェリアがそう反論するとフレンはますます渋面になった。


「そもそも、オルフェリアが警戒心もなく彼を近づけるからそういうことになるんだ」

「そうです、姉上。もっとこいつを含めて警戒心を持ってください」

 なぜだかリュオンまでもが言い添えた。


「なによ。彼はユーリィレインとフレイツの家庭教師よ。別に悪い人でもないわ」

 二人息をそろえたようにぴったりとオルフェリアに対して厳しい言葉を投げてくる。

 一人だけでもうるさいのに、婚約者と弟、二人がかりで説教をされるなんて。


「大体、偶然っていうけれど。それだってあやしいものだね」

「どういう意味よ」

「付けられていたんじゃないかってことだよ。そうやって偶然を演出して気になる女性に近づこうとする男性なんて、この世の中捨てるほどいる」

「ああ、なるほど。フレンはそういう手口を使って女の子を口説いていたのね」

 オルフェリアは面白くなくてフレンを当てこすった。

 自分のことより、そういう手口を使っていた相手がいたフレンの過去に対して突っかかってしまう。


「おまえ、そんなことをしていたのか」

 彼女のあてこすりにリュオンがぴくりと反応した。

「するわけないだろう。オルフェリア、変なことを言わないでくれ」

「自分がしていた手口だからって、他人まで同じことをしているって決めつけるのはどうかと思うわよ」

 オルフェリアの口も止まらない。

 考えれば考えるだけ悲しくなるからだ。フレンの過去なんて、これっぽっちも気にならないはずなのに。それどころではないことくらい分かっているのに、顔も知らないフレンの過去の女性のことが気になってしまう。


「オルフェリア」

 フレンは強い声をだした。


 オルフェリアはフレンの言葉に返答をしなかった。ずっと窓の外に視線を向けて、ヴェルニ館にたどり着くまで一度もフレンの方を見ることはなかった。


◇◇◇


 時間は少しだけさかのぼる。

 ミネーレは時間を持て余していた。

 朝からオルフェリアをカリストに取られてしまい、いつの間にかフレンらと街へ行ったという。ミネーレもついて行きたかったのに。


 侍女という役割を取り上げられてしまい、自分用の小間使いまでつけられてしまったミネーレははっきり言えば手持無沙汰だった。

 知っている顔がいれば心強いのにアルノーはフレンに代わって忙しそうに飛びまわっている。トルデイリャス領の内情や各施設を見て回ったり、有力者の情報をさぐったりしている。また、場所柄ルーヴェへの交通手段の方が利便がよいため、フラデニアの支店経由でルーヴェのファレンスト商会と連絡を取り合ったりしている。


 ミネーレはそれとなく家政頭に手伝いを申し出てみたが、けんもほろろに断られてしまった。

 手持無沙汰なんです、と言ってみたら「でしたら刺繍や読書でもしていたらよろしいのでは?」とそっけなく返された。

 ミネーレは顔を少しだけ引きつらせた。


 刺繍は苦手だ。ファッションプレートや、ファッション誌は好みだが、読書も苦手なのである。どちらかというとドレスを人に着せる方が好き。ドレスを脱がせるのも大好きだ。

 と、これは今はどうでもいい。

 体を動かさずに、ただそこにいるということがこんなにも退屈なことだなんて。


 ミネーレはあてがわれた部屋でため息をついた。

 ミネーレが与えられた部屋はオルフェリアの部屋にもほど近いところにある二間からなる部屋だ。小さな応接間と寝室に分かれている。さすがに衣装部屋はないけれど、十分な好待遇である。寝台にかけられたシーツも清潔で、上掛けは上品な花模様はカーテンとおそろいだ。

 それなのに居心地が悪いと感じるのは、おそらく使用人一同ミネーレのことを観察するような視線を寄こしてくるからだろう。

 フレンが個人的雇って、オルフェリアにあてがった付添人のことを皆うかがっている。人となりをそれとなく監視している。


(パニアグア侯爵家の領地のお屋敷もあまりよいところではなかったですけど……)


 ここもなかなか保守的な場所だ。

 みんなよそからやってきたフレンやミネーレを観察している。

 自分のたちはあくまで侍女だし、正式な客人よりも立場が下であることは十分に理解しているミネーレは部屋のリネン類を取り換えに来た若い侍女に声をかけた。


「時間を持て余しているのでお茶に付き合ってくれません?」

 鼻の周りにそばかすを散らした、灰色の瞳をした少女は面食らった顔をした。

「で、でも。わたしはお屋敷に仕えている身ですから。お客様のお茶のお相手など、できません」

 オルフェリアよりも年若い少女は恐縮しきりで固辞をした。


「心配しないで。わたしもどちらかというとあなた寄りの立場ですから。暇を持て余してつまらないの」

 ミネーレはずいっと少女の前に一歩寄った。少女はあきらかに怯えている。

 ああ可愛い。どうしよう、持って帰りたい

「ほんの少しだけ。ね、いいでしょう」

 もう一言ミネーレが言い添えると、少女は根負けしたように小さく頷いて、部屋を出て行った。しばらくすると、お茶のセットを持ってきてくれた。


 せっかくなので、彼女から伯爵家について情報収集しようと決め込んだミネーレである。

 初めての場所にくると人間関係を把握するためにも噂話をある程度仕入れることにしている。これは前職のころから行ってきたことだった。

「いい香り」

 鼻腔をくすぐるのは、清涼感のある香り。

「はい。奥様お手製の香草茶です」

 少女はにっこりと笑った。えくぼができてとても可愛らしい。素朴な少女だ。


「奥様自ら作られるのですね」

「はい。わたしたち使用人にも気さくに話してくれて、多く作ったお茶を刺し入れてくれるんです。中庭の奥に香草園があるんです」

 少女はカリティーファのことが好きなのだ。

 ミネーレは目の前の少女が、いい子だなと思った。


 と、そのとき。

 コンコン、と部屋の扉が叩かれた。

 即座に侍女の顔に戻った少女が扉を開きに椅子から腰を上げた。

 彼女が連れてきたのはユーリィレインだった。

 明るい金色の髪の毛を編み込んでりぼんで結んだ少女は年相応に頬を赤くして、きらりとした瞳でミネーレの元へとやってきた。

 ミネーレも立ち上がって応対した。


「お茶を飲んでいたの? もしかして、彼女と?」

 テーブルの上に置かれた二つのカップを目ざとく見つけたユーリィレインの顔はみるみるうちに曇った。

「ええ。時間を少々持て余してしまいましたので、彼女に付き合ってもらっていました」

 ミネーレは正直に答えた。

「そうなの。でも、お茶を一緒に飲むことは侍女の仕事ではないわよ」

「申し訳ございません」

 少女は青い顔をして、身を低くして謝り部屋から急いで出て行ってしまった。


 優しく諭している口調だが、しかしユーリィレインの瞳は笑っていなかった。ミネーレは内心おや、っと思った。

「あなたも、もう少し立場にあった行動をした方がいいんじゃないの?」

「失礼しました」

「まあ、いいけど。やっぱり、商人の雇った付添人だと、そういうものなのかしら」

 ユーリィレインは不思議そうに漏らした。

 ミネーレに対してではなく、完全に独り言だった。


「ところで、レイン様はどのような用件があってこちらへいらしたのでしょう?」

「やっと本題ね。そうなの、お願いがあってきたのよ」

 ユーリィレインは再びあどけない笑みを顔に浮かべた。先ほどまでの小さなとげは跡かたも消えてなくなっている。

「なんでしょう」

「ね、オルフィーお姉様がもってきたドレスを見せてほしいの」

「お嬢様のドレスですか」


 ユーリィレインは甘えるようにミネーレの腕に絡みつく。

 上目づかいで見上げる仕草は、元からの整った顔立ちも相まってとても魅力的に映る。これと同じことを男性にすれば、何人の男がその気になるだろうか。数年後が恐ろしい。


「ええ、そう。ミュシャレンやルーヴェで仕立てたドレス沢山もってきたんでしょう。昨日の晩餐用のドレスもとっても素敵だったわ。わたしだって絶対にあれ、似合うわよ。さっきビビアナに聞いたら、ミネーレの許可がないと勝手に見せられないって言われて。たかが侍女のくせにわたしに駄目だっていうのよ。ねえ、いいでしょう。ドレス見せて」

 ドレスに興味のある年頃なのだろう。

相手はオルフェリアの妹だ。まったくの他人というわけではないし、短時間ならかまわないだろう。

オルフェリアには後で報告するのを忘れなければ。


「分かりました。少しだけですよ。あれらは全部オルフェリアお嬢様の持ち物ですから」

「はあい」

 ミネーレはユーリィレインと連れだってオルフェリアの衣装部屋へと移動した。


◇◇◇


 新しい年まであと少しという時間。

 フレンはもやもやした気持ちを持て余して屋敷の中をうろうろしていた。今日の晩餐は散々だった。お互い意地を張って、会話も弾まないうえに、目を合わすこともすくなかった。

 フレンは自分が少し言い過ぎたことを自覚していたし、彼女の性格上出会う男性に警戒心を抱かないのも分かってる。


 それでも、その無防備さがたまに腹立たしくなる。

 自分以外の誰かがオルフェリアの隣を歩いているのが面白くない。あの花だって、本当に自分で買ったのだろうか、と邪推をしてしまうくらいに。


「あっれー、フレンじゃない。どうしたの? あ、そろそろ花火の時間か」

 廊下でばったりとリシィルと出くわした。

 そろそろ深夜という時間だ。なのに彼女はしっかり外套を着て毛皮のマフと帽子をかぶっている。

「きみこそ防寒対策ばっちりだね。どこかへ行くの?」

「うふふ。実はこの毛皮、わたしが自ら狩ったの」

 リシィルはくるりとその場で回って見せた。乗馬をたしなむ令嬢は狩りの腕前も一流のようだ。


「すごいね」

「今度一緒にどう? うさぎも鹿も増えすぎてもよくない。わたしはこれから街へ行って飲み明かす。新年だからね」

 リシィルはごくりと飲み物を煽り飲む仕草をした。これから仲間らと飲み会なのだ。

 午前中剣の稽古を一緒にしたおかげか、リシィルとはだいぶ打ち解けた。いまでは親しげにフレンと呼んでくる。彼女のさっぱりとした性格はフレンは嫌いではない。


「あ、そうだ。今朝のお詫びに明日か明後日にでもとっておきのぶどう酒を進呈するよ」

「ありがとう」

「それより、フレンはオルフィーと仲直りした?」

 直球で尋ねられてフレンは押し黙った。

 反対にリシィルはからからと笑った。あけっぴろげな笑いだから嫌ではない。ただ、気恥ずかしいだけだ。


「その様子だとまだなようだね」

「オルフェリアは寝てしまったかな?」

「いや、まだ寝ていないと思うよ。花火上がるし」

 アルンレイヒでは年をまたぐ深夜零時に花火を上げる習慣がある。王都ミュシャレンでもあがるし、地方でも領主が街に資金提供をいくらかする。もちろんアレシーフェも例外ではない。花火を見るために近隣の小さな町や村からも見物客が押し掛ける。

 寝ていない、という言葉を貰ったはいいけれど、遅い時間に彼女の部屋を尋ねてもいいものなのか。フレンは少しだけ悩んだ。


「じゃあ、今日のとっておき。これでいたずらしかけたことはチャラにしてよ。オルフィーはね、今頃……」

 リシィルはフレンにあることを教えて、「健闘を祈る!」と手を振って去っていった。



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