一章 そうだ トルデイリャス領へ行こう5
フレンが晴れてヴェルニ館へ足を踏み入れることができたのは午後を少しだけ回った時のことだった。
リュオンが鳥に脅されて泣く泣く折れたのだ。
昨日は門番小屋で止められた伯爵邸は田舎の城館ということもあり、広大な敷地面積を有していた。
聞けば別邸や狩り小屋など、森の中にも屋敷がいくつか点在しているとのことだ。
馬車で正門玄関へ乗り付け、持ってきた荷物をあてがわれた部屋へと運び入れる。
「おまえの部屋なんて、北側の屋根裏で十分だ!」
「リュオン。いい加減にしなさい」
北側の屋根裏とは通称使用人部屋だ。
オルフェリアの言葉にリュオンが眉を下げる。本当にオルフェリアのことを慕っているようで、フレンのことが納得できない様子はひしひしと伝わってくる。
まだ感情を制御しきれていないのだろう。十三歳なのだから仕方がない。それにオルフェリアと鏡映しの顔だと、邪険にもできない。背丈もオルフェリアよりも少し低いだけで、声変わりもまだだから、ドレスを着せれば妹と言われてもおかしくない。
「わたしの部屋の近くでいいわよ。適当な部屋に荷物を運んだらいいわ」
「それにはおよびません。南側の、きちんとした客間を用意させていただきます」
カリストが口を挟んだ。
「助かるよ」
「リュオン様がお認めになりましたから。あなたは一応メンブラート伯爵家の客人です」
フレンの友好的な態度にもカリストはどこ吹く風だ。一応、という言葉に彼の胸中が知れるというものだ。
「オルフェリアお嬢様。お帰りなさいませ」
幾人かの使用人が玄関口で待ち構えていた。侍女のお仕着せをした年若い少女たちだった。それでもオルフェリアよりはいくらか年上だろう。
「わたしの荷物は部屋に運んでおいて。あと、ミネーレの部屋はわたしの部屋のすぐ近くがいいのだけれど」
オルフェリアの言葉に侍女らが視線を彷徨わせた。
ある者は困ったように、ある者は上から下までミネーレを舐めまわすような視線を投げつけた。
ミネーレはいつものように髪の毛を頭の後ろでひとつにまとめ、飾り気のないドレスを身にまとっている。
「ミネーレは付添人だ。ミュシャレンに来て日の浅い彼女のためにいつも話し相手をしてもらっているんだ。だから、ミネーレの部屋はオルフェリアの近くに頼む」
オルフェリアの言葉の後にフレンも一言添えた。今回彼女にはあえて侍女のお仕着せは封印してもらっている。
「ミネーレ・ヒョルスナーと申しますわ」
ミネーレが人当たりの良い笑顔をうかべて、礼をした。
「さようでございますか。しかし、こちらのご婦人がオルフェリア様の付添人にふさわしいかどうかはわたくしめのほうで判断させていただきます」
「彼女は私の雇った人間だよ」
「ミュシャレンでのことは存じませんが、ヴェルニ館ではヴェルニ館の作法に則ってもらいます。ファレンスト氏もどうぞこちらへ。わたくしよりこれから伯爵家の歴史と、トルデイリャス領についてお話しさせていただきます」
カリストは感情のこもらない声でフレンとミネーレを呼びつけた。
着いて早々休む暇も与えてくれないらしい。
オルフェリアもエシィルもセリシオも口を挟んでこないところをみると、これは避けては通れないことのようだ。
フレンはミネーレにうなずいてみせた。
「オルフェリアお嬢様はこちらへ」
視界の端ではオルフェリアが侍女に屋敷奥へと促されていた。
ここでしばし彼女とはお別れだった。
◇◇◇
フレンとミネーレは午後の時間を目一杯使ってメンブラート伯爵家の歴史について講習を受けた。一階にある長廊下に飾られている歴代当主の肖像画もしっかりと見せつけられた。
カリストの言葉の端々に伯爵家に対する忠義と、現王朝ローダ家に対する嘲笑が感じ取れた。オルフェリアが以前話していたのはこれか、とフレンは感じた。
夕食前に解放されたフレンは、一度あてがわれた部屋へ戻り従僕が用意しておいた服に着替えた。
これから伯爵家の面々との夕食会だ。
準備が整って部屋の外へ出たところでオルフェリアと出会った。
「あの。その……気になって」
髪の毛を緩く編み上げ、琥珀色の少し胸元の空いたドレスを身にまとっていた。胸元には白に一滴の黄を混ぜたような色のレース飾りがついていて、白真珠の二連の首飾りをしている。
ドレスはルーヴェで仕立てたものだ。
「カリストの授業はなかなか、すごかったね。歴代伯爵の名前すべてそらんじてみせたよ」
「あれね。子供たちは全員覚えさせらるのよ」
六百年の歴史を誇るメンブラート伯爵家だ。歴代伯爵家当主は何十人といる。
フレンとオルフェリアは連れだって地上階の食堂へと向かった。
「これから家族を紹介するわ。ちょっと変わっているところもあるけれど、根はいい人たちよ」
「ちょっと? かなり変わっていると思うけど」
「そう? ペット同伴でご飯くらい、田舎じゃみんなあたりまえよ」
それはどうだろう。なんだか突っ込むのもあれなのでフレンは心の中だけで完結した。
それにしても。フレンは改めて隣を歩くオルフェリアを眺めた。
隣を歩くオルフェリアは陰鬱な顔をしている。緊張しているのだろう。家族の前で恋人(偽物)を紹介しなければならないのだから。経験豊富ではない彼女にとっては重荷なのかもしれない。
彼女の表情が気になってフレンはついオルフェリアの片方の手をとった。
オルフェリアは吃驚したように顔をフレンの方へ向けた。
オルフェリアが何か言うよりも先に後方から鋭い声がした。
「おい! 貴様! 誰の許しを得て姉上の手を取っているんだ」
ちょうど地上階へと降りたところだった。
後ろからものすごい速さで歩いてきたリュオンは背後から自身の手を二人の間に振りおろした。
「僕の目が黒いうちは絶対にいちゃつかせないんだからな」
「い、いちゃついてなんて……ないわよ」
「……」
(そこ、否定するかな)
身内に冷やかされてオルフェリアは真っ赤になって否定した。
恋人演技をするのだから、そこはリュオンを叱って「わたしたちは相思相愛なのよ!」くらい言うところではないか。
「あら、リュオンたらめげないのねえ」
そこにエシィルとエリセオが加わった。
彼女の腕の中にはやはりというか、マルガレータがいる。
「な、なんだよ。エル姉さん」
リュオンはエシィルの腕の中のマルガレータを前に及び腰だ。
「うふふ。リュオンたら、愛し合っている男女の仲を懸命に引き裂こうとする悪徳領主みたい」
「なんだと!」
「皆様方、早く食堂へとお入りください」
一同その場所で話しこんでいるところへ年配の女性が割り込んできた。
家政頭の言葉に皆歩き出す。
食堂にはすでに何人かが席に着いていた。
奥の座席には四十前後のすこしふっくらとした女性が座っていた。オルフェリアの母親、カリティーファである。
フレンは彼女とミュシャレンで一度顔を合わせている。濃い金髪に緑色の瞳をした女性で、心なしか顔色が悪い。
女性の正面の座席は空席だった。ナイフやフォーク、グラスなどは用意されていない。
リュオンはカリティーファの斜め正面に着席した。ということは隣の空席は現在不在にしているメンブラート伯爵の席ということだろう。
「ファレンスト様はオルフェリア様の隣へどうぞ」
給仕の案内でフレンはオルフェリアの隣の席へ着席した。一応オルフェリアのパートナーとして認識されているようで安心した。
食堂には他にも老婦人や青年などもいた。カリストの話では現在前伯爵の妹とその孫が別館に滞在しているとのことだったから、彼らがそうなのだろう。
その後わずかに遅れてエシィルと同じ顔をした少女が身を滑らせてきた。
「遅いですよ、リル」
「ごめんごめん。ちょっと見回りに」
老婦人の苦言にもリルと呼ばれた少女は動じていない。ぺろりと舌を少しだけ出してみせた。
全員が揃ったところで夕食がはじまった。
夕食の最中、カリティーファがそれぞれをフレンに紹介した。
「わたしとは一度お会いしているわね。オルフェリアの母です。で、長男のリュオン」
「ふんっ」
オルフェリアと同じ顔をした少年は母の言葉に軽く鼻を鳴らした。
「リュオンたら」
カリティーファがたしなめるような声を出すが、彼は気にした様子もなく黙々と皿の上の前菜を口の中へと運んでいる。
どうやらフレンと会話をする気はないようだ。
カリティーファの顔色が少しだけ悪化した。フレンの方が気になってしまう。
「ええと、双子の姉妹でエシィルとリシィルよ。エシィルは現在ナヘル家へ嫁いでいるの。リシィルはいまもメンブラート家にいるわ」
「はじめましてファレンストさん。ファレンストさんは馬乗れる?」
リシィルは興味深そうにフレンのことを観察している。顔の造作はエシィルと寸分たがわないのに、その瞳に宿る星は彼女の方が力強い印象を受けた。活発な少女なのだろう、動きやすそうな、飾り気のない深紅のドレスを身につけている。
二人とも母親であるカリティーファの面影を濃く宿した顔立ちをしている。
「ええ馬には乗れますよ。付き合いで狩りなどもしますので」
フレンは如才なく答えた。
商売上貴族と付き合うこともあるフレンは乗馬も狩りも特技ではないけれど、人前で披露しても恥ずかしくないくらいには嗜んでいる。
「へえ。だったらちょっとその辺走らせてみる? オルフィーも久しぶりにどう?」
「寒いから遠慮しておくわ」
フレンはオルフェリアの方に目をやった。偽装婚約をかわした時に質問書を渡したけれど、そこには乗馬なんて書いてなかった。
「きみ、馬乗れるんだ」
「オルフィーは馬乗れるよ。レインは乗れないけど」
なぜだかリシィルが返事をした。
「乗馬なんてわたしはしないもの」
「レインは馬が怖いだけだろう」
フレンの斜め前に座っている少女が口をとがらせて会話に混ざった。
明るい金髪に薄青の瞳をしたオルフェリアよりも幼い顔立ちをした少女だ。名前はユーリィレイン。オルフェリアのすぐ下の妹だ。少したれ目がちな少女である。
紹介された姉弟全員が整った容貌をしている。以前オルフェリアが、自身の顔の造作に無頓着だったのもうなずけるというものだ。
「ほら、勝手に会話しないの。ええと、そうそう、今口を開いたのがユーリィレイン。オルフェリアのすぐ下の妹で、このあとにリュオンと今はここにはいないフレイツと続くわ」
現在七歳になる伯爵家の末っ子は子供部屋で乳母と一緒に食事を取っている。子供と大人は住む空間が違うのが貴族や金持ちの間では一般的なのだ。
「よろしくね、ファレンストさん」
ユーリィレインがにっこりと屈託のない笑みを浮かべた。
その後同席している親族の紹介へと続いた。
一通り自己紹介が終わるとあとはそれぞれが銘々に話を始めた。
「ファレンストさんはフラデニア人なのでしょう。ルーヴェに住んでいたの?」
ユーリィレインは好奇心を押さえられないようにフレンに話しかけてきた。
「ええ」
「いいなぁ。ルーヴェに行ってみたいなあ。お姉さまは行ったのよね? ずるーい」
少女らしいあどけなさと物おじしない態度だ。
「こらレインたら。そういうことは言わないの」
カリティーファがやんわりとたしなめた。
「はあい」
「で、ファレンストさんはオルフィーのどこを好きになったわけ?」
切り込んだ質問をしてきたのはリシィルだ。
「リルお姉様!」
フレンの隣でオルフェリアが一人動揺している。大きな声でリシィルに抗議をしているが、彼女は意に介していない。
「いいじゃない。だって気になるし。それともファレンストさんはオルフィーの好きなところも言えないの?」
前半部分はオルフェリアに対して、後半部分は少し挑戦的にフレンに対して視線を投げてきたリシィルだった。
「そんなことないですよ。私はオルフェリア嬢の瞳の色も好きですし、言動すべてを可愛らしく思っていますよ」
「わあお。言ってくれるね」
「うふふ、昔を思い出すわねー」
フレンが堂々とした態度でにっこりと切り返すとリシィルとエシィルがそれぞれ感想を述べた。エシィルは隣に座るセリシオと顔を合わせてにこりと笑い合っている。
「僕の前でのろけるな! なんなんだよ! そんなふざけた質問して。というかさっさとリル姉さんが嫁に行けよ」
「わたしは嫌。好き勝手やりたいもん」
「そんなんだから貰ってくれる相手もいないんだよ」
リュオンの横をひゅっと何かが飛んでいった。
肉用ナイフがからんと床に落ちる音が響いた。さすがのリュオンも顔色をなくしている。
「手が滑った」
「リュオンたらいつも一言多いのよね」
ユーリィレインがその光景を一瞥して肩をすくめた。老婦人が「まったくこれだから……」と口の中でごにょごにょと言っていた。カリティーファはますます顔色を悪くしながら「リ、リルちゃん……」と呟いた。
「ねえねえ、ルーヴェってどんなところ? やっぱりドレス専門店が多いのかしら」
ユーリィレインが再度質問をした。
フレンはにこりと笑みを浮かべた。
「そうだね。私はもともとルーヴェで生まれ育ったんだ。とてもいいところだよ。ドレス専門店も宝飾品店も、劇場もすばらしいものがたくさんある」
「きゃーー! いいなぁ。わたしもルーヴェでドレス買いたいなあ。そうしたら、今着ているドレス全部リュオンにあげる」
「要らないよ! 大体僕は男だ」
「あら、あなたの女装姿似合うのに」
フレンは内心同意してしまった。オルフェリアと同じ顔をしているのだ。まごうことなき美人姉妹になるに違いない。
「レイン姉さん! なんだってそんなこと今言うんだよ」
リュオンは金切声で抗議した。
「だってあなたその辺の女の子よりもずっときれいじゃない」
ユーリィレインは悪びれた様子もない。
「レインの趣味はリュオンの着せ替え遊びなの」
エシィルがおっとりと付け加えた。
「エル姉さん!」
暴露されたリュオンが叫んだ。
フレンは心の中で彼に同情した。
「たしかに。そんじょそこらの女よりもきれいだし、リュオンは」
リシィルが混ぜっ返した。
「そうねえ。女子寄宿舎に入ってもばれなかったかも」
エシィルも同じように同意した。
「やめろ……」
青い顔をしたリュオンが会話を遮った。
この姉二人なら本当に実行しかねないとでも言いたげな顔つきだった。
「お姉さまもレインも、あんまりリュオンをからかわないの」
ここでようやくオルフェリアが淡々と口を挟んだ。リュオンはまるで天の使いがそこにいるかのような眼差しで彼女を見つめている。
「でもいい時に帰って来たよ。今年もアレ、やることにしたんだ」
リシィルが話題を変えて得意げに胸を張った。
「あれって……?」
オルフェリアが尋ね返した。
「そう。去年のアレ。鎧祭り。去年楽しかったから今年もやることにした」
リシィルの宣言に事情の知らない人間とエシィル以外が皆諦めたような顔を作った。
「お姉さま。去年さんざん市長に文句を言われて、ぶつくさいっていたじゃない」
「うん。だから今年は開き直ってちゃんと前もって準備してやることにした」
「開き直って……って」
オルフェリアは絶句した。
話が全然見えないフレンは隣のオルフェリアの腕を小突いた。
「ええと、去年リルお姉さまは新年一日目に城にある古い鎧を貸し出して……」
「せっかくたくさん鎧があるんだから、たまには昔を懐かしんで鎧をまとって街を練り歩いてどんちゃん騒ぎでもしようって。で、舎弟らと有志募って鎧着て街を練り歩いて酒飲んで、ちょっと決闘まがいのことしてみたりして。超楽しかった!」
途中からオルフェリアを引き継いだリシィルが自ら説明した。
「それは……なんていうか」
伯爵令嬢が考えつくようなものではない。
さすがのフレンも頬をひくつかせた。オルフェリアの姉妹は皆個性豊かだ。
「今年はすごいよ! なんと、国境警備兵に声をかけて模擬戦をすることにしたんだ。ちなみに豚の丸焼も用意するよ。年が明けた二日の日に行うから。鎧祭り」
「お姉さまなんていって市長を丸めこんだのよ」
オルフェリアが呆れた声を出した。
「え? 鎧祭りが有名になれば観光客増えるかもって」
「ああそう」
「わたしの舎弟も模擬戦に出場するんだ。酒も飲めるし、鎧着れるし! ああもう。人生楽しくて仕方ない」
「それだ!」
急にリュオンが声を上げた。
「なに?」
リシィルが訝しげに声を出した。
「僕はディートフレン・ファレンストに決闘を申し込む! 鎧祭りで僕と勝負しろ! 僕が勝ったらオルフェリア姉上とは婚約破棄してもらう」
リュオンはびしっとフレンの方を指差した。
「えっ」
突然の指名にフレンは目を見開いた。
「ちょっとリュオン! 何を勝手に」
オルフェリアも予想外の展開に慌てて口を開いた。
「あら楽しそうね、マルガレータ」
「なにそれ! 祭り超盛り上がる!」
リシィルは瞳を輝かせている。
「ちょ、ちょっとリルお姉様まで何を言っているのよ。リュオン馬鹿なことはやめなさい」
「いいや、僕は本気だ、姉上。一応僕はこれでも寄宿舎で剣も習っているからね。絶対にこいつをこてんぱんに倒して婚約破棄させてやる!」
リュオンの闘志みなぎる視線にフレンは内心ため息をついた。
ただの挨拶からとんでもないことなってしまった。どうせそんなことしなくてももうあと八カ月もすれば婚約は破棄になるのに。
そこまで考えて、フレンは少しだけつんとしたさみしさを感じた。




