こぼれ話 冬の日のヒミツのお出かけ
王家主催の晩餐会へ出席するため、オルフェリアとフレンは連日フレンの叔母であるオートリエの元で作法の練習にいそしんでいた。
伝統の食事会のため、代々受け継がれてきた特別作法などがあるためで二人ともそのためにほぼ毎日顔を突き合わせて食事をしている。
その帰り道。
フレンはオルフェリアを彼女の住む邸まで送るため一緒の馬車に同乗していた。
「あ、あれ! あれはなにかしら」
ミュシャレンで一番大きな中央広場が車窓から見えたのだろう。オルフェリアは声を上げた。
「お嬢様はミュシャレンでの年越しはじめてなんでしたっけ。あれは毎年恒例の市場ですよ」
「年暮にかけて十二日間祝う風習があるだろう。いつのまにかただのお祭り騒ぎになったけど」
ミネーレの言葉をフレンが引き継いだ。
「それくらい分かっているわよ。市場くらい、わたしの地元の街でも行われていたもの。それにしても、さすがは王都ね。明かりも沢山だし、にぎやかだわ」
「ルーヴェのほうがもっと華やかだよ」
「いちいちうるさい男ね」
フレンが地元自慢をするとオルフェリアが冷ややかな声を出した。
「わたしも一度でいいからルーヴェの市場に足を運んでみたいです」
ミネーレがうっとりした目をして口を挟んだ。大陸随一と誉れ高い文化を誇るルーヴェの市場は明かりの量も華やかさもミュシャレンの比ではない。
「あ、あそこ! 汽車だわ」
オルフェリアは興奮を隠しきれない声を出した。
こんな暗がり、しかも馬車の窓越しによくもまあ目ざとく見つけるものだ。
「今年から子供向けに蒸気機関車を走らせているんだよね。ちなみにファレンスト商会も資金提供をしたんだよ」
得意げに胸を張るとオルフェリアの瞳の色が一段と冷えた気がした。
「もしかしてオルフェリア乗りたいの? まだまだお子様だなあ」
「べ、別に乗りたくないわよ。子供のおもちゃでしょう」
いじわるく言ってみるとオルフェリアは淡々とした口調で返してきた。
「ふうん」
「な、なによ」
「いや別に」
しかし、なんとなく目が泳いでいると思ったのはフレンの気のせいか。
◇◇◇
「きみね、仮にも伯爵令嬢が夜の市場に来ようとか……。というかミネーレもここはオルフェリアは止めるところだろう」
「ミネーレ、フレンには内緒って言ったじゃない」
「やっぱり市場は夜の方が盛り上がりますから。わたしもさすがにお嬢様と二人きりだと、あとからばれたらクビになるかもしれないので……」
ミネーレは前半はフレンに、後半部分はオルフェリアに向かって弁解した。
ミネーレはお嬢様と夕方から市場に行ってきます、と伝言をアルノーに残した。それを聞いたフレンはわざわざインファンテ邸の前で待ち構えていたのだ。
理由は簡単だ。
お祭り騒ぎの中、伯爵令嬢と付添人だけで出歩くなど言語道断。しかも日が暮れてからなど。
「オルフェリア、興味なかったんじゃないの?」
「市場そのものに興味が無いとは言っていないわ」
オルフェリアはぷいと顔をそむけた。
「わたしはお嬢様の喜んだお顔を見たくてお供することにしました。頬を紅潮させるお嬢様、絶対に可愛さ爆発です。わたし、それをおかずにパン二十個くらいいけます」
こいつは若い女の外身を付けた、中身おっさんか。フレンはミネーレの言動に心の中で突っ込みを入れた。
近頃彼女のオルフェリアに対する言動が危なくなってきているのは気のせいだろうか。
「興味ないならフレンはついてこなくていいわよ」
オルフェリアはそっけなく言った。
「私同伴じゃなきゃ外出は許さないよ。きみの叔母上は今日の外出を知っているのかな?」
この言葉にオルフェリアはとてもバツが悪そうな顔つきをした。
「……ケチ」
オルフェリアは口の中で小さく呟いたが、あいにくとフレンの耳にはばっちり届いた。
「オルフェリア」
フレンはオルフェリアへ笑って見せた。とっておきの笑顔だ。
その迫力顔で、何かを悟ったらしい。
「ついてきてくれてありがとう、フレン」
急ごしらえの笑顔を顔に張り付かせてミネーレに聞こえるくらいの大きさでフレンに礼を述べた。
本心はどうかはわからないけれど。
一応同行させてもらえる許可を得てフレンは内心でホッと息をついた。
ついて思い直す。婚約者なんだから、同行するのは当たり前だろう。そもそも夜道に女性二人という方がおかしいし、普通なら止めるべきだ、と。
それでもフレンがしぶしぶ彼女の外出に付き合うことにしたのは、楽しそうなオルフェリアを隣で見たいと心の片隅で思ったからだった。
◇◇◇
この時期大なり小なりの市場がミュシャレンのいたるところで開催される。
もともとは年越しに備えて物資を買い込んだり、一年の慰労を労い、次の年の豊穣を願うためのものだった。
それがいつのころからか、お祭りになった。
中央広場には所狭しと屋台が並び、中央広場を一周するように小さな蒸気汽車が走っていた。子供用といえども本物の機関車だ。汽笛が鳴り、別の区画では音楽が奏でられている。
「すごいわ。さすがはミュシャレンね」
オルフェリアは初めての光景に感嘆の声を上げた。
「こんな姿誰かに見られたらまた噂されるよ。意地悪令嬢改めお転婆令嬢ってところかな」
「う、うるさいわね。だから目立たないように夜を選んだのよ」
夜は夜で別の目があることをオルフェリアは気付いていない。
このお嬢様は純粋培養なんだな、とフレンはこういうとき思い知らされる。
昼だろうが夜だろうがお忍びで歩いているのはオルフェリアだけではないし、酒が入って気の大きくなった男たちにからまれたらどうするんだ、とフレンは思う。
ミネーレは一応そういうところにまで気をまわしてフレンに知らせてきたのだ。
「お嬢様、りんご飴ありますよ。あっちには飾りケーキも」
「え、どこかしら」
フレンの微妙な男心なんてまったく気にしない二人の視線は早くも屋台に釘づけだった。
「きみみたいなお嬢様でも屋台のお菓子に興味あるんだね」
「なあに、フレンたら。わたしそんなにもお高くとまってないもの」
オルフェリアはたたっと屋台まで駆け寄った。小ぶりのリンゴが飴をまとい、屋台の照明に照らされてきらきらと輝いていた。まるで紅玉のようだ。
「きれいね」
「ほしいなら一つ買ってあげるよ。ミネーレの分も」
「わあお、気前のいいフレン様素敵です」
「……ありがとう」
ミネーレが高い声で歌うように言った。
オルフェリアは少しの沈黙の後小さい声でお礼の言葉を口にした。
「どういたしまして」
受け取ったリンゴ飴をかぷりと口に含むオルフェリアは年相応の少女に見えた。普段はおとなしく、言動もしっかりしているから大人びた印象があるけれど、リンゴ飴を美味しそうに食べる彼女はどこにでもいる普通の女の子だった。
「どうしたの、フレン」
思わずオルフェリアの頭の上に手を置いたフレンのことを彼女は不思議そうな双眸で見上げた。
「べ、べつに」
「ふうん」
「あ、フレン様。いまお嬢様に見とれていました? そんなフレン様にぴったりなのがあの飾りケーキ! ここは思い切って『私の可愛いこりすちゃん』って書かれたあれ、あのケーキ買いません?」
「ミネーレ、きみいつからケーキの売り子になったんだ」
ミネーレは二つ先の飾りケーキの屋台を指差して冷やかすような声を上げた。
「じゃあ『私の愛する人』のほうにします?」
干した果実と香辛料とはちみつで作られた保存用のケーキの上には固めた砂糖でさまざまな言葉が書かれている。内容は主に恋人への愛の言葉。
ミュシャレン定番の一つだ。
こんなこっぱずかしい台詞が書かれたケーキを毎年売っていて、需要があるのかフレンにはさっぱりわからない。
「オルフェリアほしい?」
フレンは隣の少女に訪ねた。
「あ、あれはさすがにいらないわ」
「だよね」
二人冷めた言葉を交わせばミネーレがぶーっと膨れ面をした。
悪いが、彼女前でアツアツぶりを演じるのはそろそろ疲れてきた。
フレンとオルフェリアはミネーレの不満顔をみて、そろって顔を見合わせた。
オルフェリアの口元が少しだけほころんでいる。
「もう、なんだかんだで仲良しさんなんですから」
りんご飴を食べ終わったオルフェリアは天の使いを模した飾りやろうそく立てなどの雑貨を売る屋台のほうへ向かった。
「かわいいわね」
「ほしいなら、買ってあげるよ」
「べつに、いいわよ。自分のお小遣いで買えるわ」
「こういうときは恋人に甘えるものだよ」
フレンは少し面白くなくて言い添えた。
「いらっしゃい、お嬢さん。恋人に買ってもらいなって」
屋台の店主が絶妙な頃合いで声をかけた。
「だってさ、どれがほしい?」
「ええと……」
オルフェリアは店主とフレンの顔をそれぞれ眺めて、やがて観念したようにそろりと、目当ての品物を指差した。
店主が手早く紙で包んでフレンに手渡した。フレンは銅貨を支払った。
「はい、オルフェリア」
「ありがとう」
オルフェリアはおずおずと受け取った。
フレンのことを見上げてくる視線を受けて、自然に口の端が持ち上がる。
「どういたしまして。ほかに何か、食べたいものとかある?」
「ええと……」
オルフェリアは辺りを見渡した。
「そういえば、フレンは? お腹すいていない?」
「そうだな……」
そういえば今日は会議があったためまともに昼食も食べていなかったことに気がついた。
最初はオルフェリアのお目付け役としてついてきたが、たまには学生のころに戻って市場を楽しむのも悪くないだろう。
「オルフェリア、市場といえばまずはソーセージだよ」
フレンは広場中央に一段と大きく設置をされた屋台を目指した。大きな網の下には炭が用意されている。大きな大人が両手を広げてもまだ余るくらいの丸い網の上で焼かれたソーセージを温めたパンにはさんで食べるのだ。
「うわあ……」
大きな網の上に大量投入されたソーセージを眺めてオルフェリアが感嘆の声を上げた。
フレンは屋台でソーセージを三つ買った。
それぞれ一つずつパンにはさんだあつあつのソーセージを頬張る。
「美味しい」
「うん。うまい」
ぱりっとしたソーセージは香草の香りがよいアクセントになっている。
「なんだか悪い子になった気分」
普段屋台で食べ物を買うことも、まして歩きながら物を食べることもしないだろう、オルフェリアが楽しそうに口を開いた。
「そう?」
「でも、楽しいわ」
その言葉にミネーレがうるうると感激しているのをフレンは視界の端に確認した。
彼女がそんな顔をするのも分かるくらい、すぐ隣を歩くオルフェリアは生き生きとしている。
今日、連れてきて良かったな、とフレンは心の片隅で思った。
「楽しんでいるようでなによりだよ」
「別に、あなたの手柄ってわけじゃないのよ」
「でも、私がついてこなかったらそもそもこの外出は成立しなかったよ」
「そういうところが面倒くさいのよ、あなた」
オルフェリアは迷惑そうな顔をした。
しかしそれもつかの間。次の瞬間、また何かを見つけたようにオルフェリアはフレンの袖を小さく引っ張った。
「フレン、ココアが飲みたいわ」
ココアの甘い香りがフレンの鼻腔をくすぐった。
こうして素直に何かをねだられるとフレンも嬉しくなる。それにしてもココアとは。
冬の市場の名物といえば、温めたぶどう酒にシナモンや香辛料を入れた特製の飲み物だろうに。
まだまだお子様だな、と思ったけれどそれを指摘すると今度こそ機嫌を損ねるのでフレンは心の中だけで留めておいた。
◇◇◇
「しまった。あのココア、ブランデー入りだったか」
「フレン様がお買いになったので店主の方もうっかりブランデー入りのほうを渡してしまったんですね」
帰りの馬車の中。
オルフェリアはすぅすぅと眠っていた。
最後に飲んだココアの中にブランデーが入っていたのだ。身体を温めるために飲むから屋台では大人用にブランデーの入ったココアを売っている。子供用もあるけれど、失念していた。
オルフェリアはフレンの膝の上に頭をあずけて眠りこけていた。
ちなみにどうしてこういうことになったかといえば、「婚約者なんですから約得ですよね」とミネーレが余計な気をまわしたせいだった。
膝枕はしてもらう専門……、いや、そのまえに。
膝の上から感じる彼女の体温にフレンの心はざわりとする。
「まったく、酒飲んで眠るとは子供か」
「オルフェリア様まだ十六歳ですから。普段はあまり飲みませんものね」
フレンは胸の中の動揺を払うかのように悪態をついた。実は馬車に戻る前から眠そうにフレンに肩を預けてきて、ついでにそのまま意識を飛ばしたためフレンが馬車まで抱き上げて運んだのだ。
閉じた瞳にかかる長い睫毛に、少しだけ口元を綻ばせたあどけない寝顔を間近に目にしたときからすでにフレンの動揺は始まっていた。
「このまま起きなかったらどうするんだ」
「そのときはフレン様のお屋敷に運びます? わたし協力しますよぉ」
「あほか。婚約者とはいえそれは絶対に駄目だ」
悪魔のようなことを言い出すミネーレである。令嬢付きの侍女のくせに、何を言い出すんだ。
「あら、意外にフレン様ってお堅いんですのね。それともこんな超絶可愛らしいお嬢様の寝顔を前にしても何もする気にならないなんて、フレン様……実はやっぱり男の方に……」
「そんなわけないだろう! ミネーレ、きみ私のこと一体どんな風に思っているんだ」
侍女のとんでも発言にフレンは目を見開いた。
「え、一時フラデニアでそういう噂が出回っていると、オートリエ様が心配されていましたので」
ミネーレの爆弾発言にフレンは天を振り仰いだ。
「私が好きなのは女性だ……」
オルフェリアとは一年間の契約婚約だ。
手を出さないと、過度に触れ合わないと契約書も交わしてある。
最初は適当にご機嫌でも取っておけばいいだろう、くらいにしか考えていなかったのに。気がつけばオルフェリアと向き合いたいと思っている自分がいる。
そのためにも、フレンはきちんと過去を清算しないといけない。
過去の想いを今更口にするなんて、正直恥ずかしくてそのまま埋まってしまいたいが、それができないうちはオルフェリアは心を開いてはくれないだろう。
現にフリージア組の公演が終わった後も彼女は何か言いたそうな顔をしてフレンを見つめることがあった。
婚約指輪をつくるときだって同じだ。
いつものように、適当にアルノーに現物支給で届けされればいいのに、どうして二人で選ばないといけないのかというふうに訝しんでいた。
「オルフェリアって、本当にまっすぐだね」
「どうしたんですか、急に」
フレンは眠っているオルフェリアの顔にかかっている黒髪をひと房背中の方へ流した。艶やかで柔らかい髪質で、フレンはそのまま彼女の頭を撫でている。
まるで猫のようだ。起きているときは気まぐれで、つんとして。
眠っているときだけ甘えたように柔らかい顔になる。
「たまに私にはまぶしくてね」
「フレン様年取りましたものね」
ミネーレがしみじみと相槌をうった。
「きみ、やっぱり私に何かあるだろう」
「いいえ、とくには」
ミネーレはにこりと笑みを浮かべた。
「そのわりには先ほどからとげしか感じないけれど」
「年を取ると、すぐにそうやって妙なことにねちねちするようになるんですよね」
ミネーレがふう、とため息をついた。
「……減給」
フレンはぼそりと呟いた。
直後ミネーレが固まった。
「うわぁぁぁ、フレン様! それは勘弁願いますぅぅぅぅ」
冬といえばマーケットです。
どうしてもマーケットを題材にしたお話が書きたくなり、こんな話になりました。




