五章 唄う伯爵令嬢6
「状況はわかった。おそらく彼女はもう戻ってはこないのかもしれない。こういうことを起こしたらルーヴェの他の劇団にも移れなくなるのに……。それはともかく、代役を立てることを考えよう」
しっかりと全員の目を見るように周囲を見渡し空気を変えていく。
「代役って言っても」
「いまから練習をしてもうまくいくかどうか」
ウルリーケとユーディッテがお互い見合わせた。
登場人物四人以外の団員はコーラスや踊りを担当する、どちらかといえば新人を連れてきている。もちろんメーデルリッヒ女子歌劇団に所属できるくらいには実力はあるが、それでも本番まで今日を入れても二日間。
「シモーネったらご丁寧に自分の衣装まで持って逃げちゃったみたいだし」
これは本格的に嫌がらせとみて間違いない。最後の最後まで場を引っかき回してみせるその根性はある意味称賛ものだった。
フレンはなにやら考えに集中しているようで、眉間に眉根を寄せて考え込んでいた。
オルフェリアはフレンの様子をじっと窺った。
こういうとき、なにかできればいいのに、と思うけれど所詮は世間知らずな伯爵令嬢だ。妙案なんて思いつくはずもない。何もできない自分が歯がゆかった。
オルフェリアの視線に気がついたように、フレンはふと彼女のことを見降ろした。
フレンもまた熱心にオルフェリアのことを見つめ返した。何か小さくぶつぶつと唱えている。
フレンは決意に満ちた顔をして大きく手を叩いた。
一同の注目がフレンへと集中した。
「決めた。シモーネの代役はオルフェリアにする」
その場にいる全員が息をのんだ。
オルフェリアもフレンの言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
普段はあまり動じることのないリエラとユーディッテも同時に声を上げた。
二人とも目を丸くしている。
「フレン! 何を考えている?」
「そうよ!」
「私は真面目だよ。オルフェリアはこれでも一応伯爵家の令嬢だからね。小さいころから教育の一環として声楽と音楽を習っている。そうだったね?」
問われたオルフェリアは不承不承顎を引いた。
一番最初、フレンから渡された質問事項に習い事の欄もあった。そこに正直に書いてしまった自分が恨めしい。まさか覚えているなんて。
「毎日稽古を見学していたオルフェリアならセリータ役の歌詞も頭に入っている。下手に代役を立てるくらいなら特別出演としてオルフェリアを立てた方がいいと思う。フラデニア人ばかりの舞台よりも、自分たちと同じアルンレイヒ人の、それも伯爵令嬢が舞台に立つとなれば話題性も抜群だろう。ファレンスト銀行としてもアルンレイヒの人たちに親近感を持ってもらうことができる」
フレンの説明にみんながそれぞれ顔を見合わせている。
エーメリッヒが素早くフレンの近くへと寄って来た。出資者の真意を見極めようとしているのだ。彼にとって重要なのは、この舞台のお金の出所がフレンであり、優先させるのはフレンの意向だ。
「まあ、確かに。急ごしらえの代役ならいっそ外部の人間の方がまだ……」
エーメリッヒも頭の中で素早く計算をする。実力の伴っていない人間を急遽仕立てるよりも、完全に外部の人間に特別出演してもらったほうがメーデルリッヒ女子歌劇団としての面目は保てる。客人として出演するのは自国の伯爵令嬢だからフレンの言うように話題性もあるし、新聞各紙はこぞって紙面を大きく割くにちがいない。
オルフェリアはまだ固まったままだった。
凍結した彼女を抜かして話しだけがどんどん進んでいく。
「今日を入れて二日間。歌の練習をみっちりするとして、衣装はどうしましょう」
「衣装はミレーネ、きみにまかせるよ」
ユーディッテが思案気に口を開けばフレンはすかさずミネーレを指名した。突然話しの輪の中に放りこまれたミネーレは首をかしげた。
「わたしですか」
「ああ、きみならミュシャレンの服飾店に詳しいだろう。彼女らの舞台衣装と比べて違和感のないものを支給見繕ってきてくれ」
「わぁお、腕が鳴りますね。任せてください。世界一可愛らしい領主の娘をつくってみせます」
「あくまで領主の娘だから。ユーディッテを食わないように」
瞳を爛々と輝かせるミレーネに対してフレンは苦笑を洩らしながら忠告をした。ミレーネはさっそくとばかりに踵を返してその場から退場した。
「フレン様がおっしゃるのならセリータ役はオルフェリア嬢でいくとしましょう。たしかに伯爵令嬢が飛び入り参加となれば話題性は抜群でしょうな」
「しかし、本当に彼女で大丈夫なのか、フレン」
リエラはまだ承服できかねるといった顔をしている。
「大丈夫だよ。オルフェリアならできる」
フレンは力強く頷いた。
「わ、わたしは!」
オルフェリアはそこまで言って口を閉ざした。
全員がこちらに視線を向けている。
それはそうだろう。全員女優という仕事でご飯を食べているのに、その集団の中に素人のオルフェリアが突然闖入するのだから。みんなの視線が怖かった。
オルフェリアはどうしたらいいのかわからなかった。
歌を習っていたといっても小さい頃の話。十四になるころにはやめてしまった。芸事で食べていくために習得するわけでもない上流層の令嬢の習い事はある程度のところでやめるのが通例だ。もちろん好きならば趣味として続けるが、そこまでの熱はなかった。
「大丈夫。オルフェリア」
フレンが力強い声を出した。
「フレン……」
見上げた先にフレンの緑色の瞳があった。こちらを見つめる瞳には力強さがあった。普段はあんなにも厳しいことばかりいうくせに。駄目だしばかりのくせに。
(こういうときだけ無条件に信じるなんて。ちゃっかりしすぎにもほどがあるわ)
呆れてしまう。
「わたしやるわ。今から練習します。みなさんの足を引っ張っることのないよう精いっぱい努めるわ」
オルフェリアは気がつけば返事をしていた。
自分でも信じられない。どうしてこんなにも堂々としていられるんだろう。
「わかった。オルフェリア様の決意も聞けたし、彼女に助けてもらおう」
静寂を打ち破ったのはリエラの声だった。
「わたしも異議はないわ」
ユーディッテも続けた。
リエラが言葉を発して初めて、他のみんなもざわりと息を吐いたり、隣同士何かを言い合ったりしていた。
「悪かったね。厳しいことを言って。でも、きみの決意を、本気度を知りたかったんだ」
リエラは暖かな目でオルフェリアのことを見つめてきた。
「いえ。リエラ様たちが不安に思うのも当然です。わたし今日と明日みっちり練習します。指導よろしくお願いします」
止まっていた空気が動き出す。
オルフェリアはユーディッテに手をひかれてあっという間に舞台へと連れて行かれてしまった。
時間はない。本番まで、あと二日。




