五章 唄う伯爵令嬢5
しかし同じ役者仲間なら話は別だった。駆け出しの女優は端役から始める。端役のときは主演女優らの着替えを手伝うことも仕事のうちだ。シモーネだってリエラの衣装の用意をした経験はいくらでもあった。
「小屋の中、ドレス以外は整然としていた。オルフェリア様が短期間のうちにドレスも靴も両方に何かを仕込んだなのなら、もっと動かした形跡があってもおかしくなかった。実際、彼女が犯人なら、シモーネの登場は想定外の事態だったはず。片付ける暇なんてなかったと思うよ。きみは騒動のとき、小屋にオルフェリアが入って行ったのが見えたから慌てて追いかけて行ったような話をしていたね。だったら彼女が小屋に入ってたっぷりと時間があったようには思えない」
リエラの説明が進むにつれ、周囲の人間たちの間にシモーネへの疑念が膨らんでいく。それを肌で感じ取ったシモーネは居心地悪そうに小さく身じろいだ。
「それと、きみのことだから偽物の鍵はまだドレスのポケットかどこか、もしかしたら下着の中にでも隠し持っているんじゃないかな」
最後のリエラの追い打ちにシモーネは肩を揺らした。
「潔癖だっていうのなら今からわたしに身体検査をさせてくれる?」
にこりと笑ったリエラに対してシモーネの顔は蒼白だった。
「わ、わたしに何のメリットがあるんですか? 自分も出演する舞台を引っかき回して。わたしには理由がありません」
それでもシモーネは言い訳をする。
「理由ならありますね」
突然の第三者の声に、皆が一斉に後ろを振り返った。
「お帰り、アルノー」
フレンが穏やかに微笑んだ。
「シモーネ、きみは何度かディートマルと、そして彼の部下と接触をしていますね。それもフラデニアにいる頃から」
今度こそシモーネの顔色が変わった。
「それと、裏が取れました。とある紳士が公園の管理体制について意見をしてきてそのときに担当官は鍵を貸したそうです。その紳士はディートマル氏とも面識があります。あなたはディートマル氏本人、もしくは部下の人間から、模造した鍵を受け取っていたんじゃないですか」
シモーネは予期せぬ闖入者の方を振り返った。その瞳は怒りに燃えていた。
「私はフレン様よりディートマル氏を見張るよう言い遣っておりましてね。私と私の部下たちでそれとなく周囲を張っていました。あなたは先週の休暇の際にも彼の部下と会っていましたね」
「ふん。だから?」
シモーネは開き直ったのか、態度を一変させ、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「ああそれと。私の方で役所に確認に行きましたが、オルフェリア様が事前に鍵を貸してほしいと申し出たことはありませんでしたので、念のため」
「アルノーの言葉はさておき。私はどちらかというとシモーネ、きみと大叔父の関係について興味があるね」
フレンはにこりと笑った。
「別に。彼と直接の関係なんてないわよ。彼の部下とちょっとした知り合いってだけ」
「シモーネ、きみは弱みを握られていたんじゃないのか。たとえば……、フリージア組で何度かあった女優の不自然な事故について」
リエラは依然として厳しい顔をしたままだった。
まっすぐにシモーネを見つめている。それはユーディッテも同じだった。
「まさか!」
エーメリッヒは大きく叫んだ。
「お姉さまは最初からわたしを疑っていたのね」
「リエラは最後まであなたを信じたがっていたわ。だけど……、わたしのせいね。わたしは見てしまった。『姫君と二人の騎士』のオーディションで、セリータ役を競っていたもう一人の子の飲み物にあなたが何か粉末を入れているところを。そうして翌日のオーディションで彼女は声を出すことができなかった」
ユーディッテは悲しそうに睫毛を震わせた。
「全部知っていたってわけ」
「けれど、それが原因かまではわからなかった。他にも、いくつかあった小さな出来事も。あなたがやったという証拠は何もないから。ただ、状況だけが、わたしにあなたを疑わせていただけだったわ」
「靴の細工は昨日の、小道具確認の時かな。ホテルの一室を衣装置き場にしていたけれど、昨日きみはそこにいるアデリアと一緒に最終確認をしていたね」
「ええ、アデリアと一緒だったわ」
名前を呼ばれたアデリアはびくりと肩を震わせた。
「彼女、さきほど青い顔をして話してくれたよ。昨日の小道具確認の際、一瞬だけ疲れで意識がとんでしまった、と。シモーネ、きみはほんの一分ほどだと言ったそうだが、実際はもう少し、たとえば五分くらいは経っていたんじゃないのかな。あらかじめ少量の睡眠薬を飲み物に混ぜておけば造作もない」
リエラの声は堅いままだった。
「まあね」
シモーネは肩をすくめてみせた。
開き直ったような態度がすべてを物語っているように感じられた。
「あらためてきみの身体検査をさせてもらってもいいかな?」
「勝手にすれば」
「シモーネ、あなたどうしてそんな小細工をしていたの。あなた、実力だってちゃんとあったじゃない」
ユーディッテはたまらなくなって叫んだ。
「実力? それってなんの役に立つの? 結局舞台でいい役を貰うにはいかに後援の金持ちにこびを売るかにかかっているじゃない。現にわたしよりも下手な子がいい役を貰うことの方が多かったわ。あんな、実力ではわたしに劣っている子たちが」
シモーネは顔を歪めて叫んだ。それはまごうことなき彼女の本心だった。
実力とは違うところで決まる配役。結局は演技・歌のうまさよりも金持ちの観客の好き嫌いで配役はきまっていく。
だが、それは仕方のないことでもあった。劇団側は客席を埋めなくてはならない。女優には人当たりの良さだって求められる。シモーネにはそこの部分が足りなかった。
その後リエラがシモーネの身体検査をした。彼女のドレスの内側から小屋の鍵がでてきた。
だがディートマルは白を切りとおすだろう。直接的な指示を示す証拠は何もなかった。
なんとも後味の悪い出来事だった。
◇◇◇
翌日。
事件は解決したかに思えたが、そうではなかった。
「なんだって! シモーネが失踪しただと?」
開口一番にフレンが叫んだ。
エーメリッヒは弱り切った表情で額の汗をしきりにハンカチでぬぐっていた。目じりが垂れ下がり、泣き出しそうな顔をしていた。
「ええ、そうなんですよ。失踪といいますか、自ら姿をくらませましたようで。先ほどホテルに人をやったところ、荷物もすっかり無くなっていました」
当初フレンの屋敷に滞在していた女優陣らは現在ヘリア・オレア公園近くのホテルに滞在している。こちらのほうが舞台にも近く、何かと便利だからだ。
「わたしが早朝の走り込みをしているときは……、どうだったのかしら。わたしも彼女の部屋までは注意をしていなかったから」
ユーディッテは毎朝体力維持を目的に走っている。これはもう長いあいだの習慣で、今朝も同じように走り込みをしていた。昨日は気まずい空気の中フリージア組の面々はホテルへと帰宅をしたが、特別シモーネを見張るというようなことはしなかった。
「わたしたちの詰めも甘かったということだね。彼女の女優としての誇りを信じたかったのかもしれない。まさか、直前になって舞台を投げ出すようなことをするとは」
リエラも悲痛な顔をしている。
「とにかく、彼女の居場所はフリージア組にはないでしょうなあ。今回の件で、こんな形で逃げ出した人間を制裁もなしに戻すことなんてできない」
エーメリッヒは相変わらずオルフェリアが心配するくらいの土気色の顔をしているが吐き出す言葉は厳しい。
それに対して他の女優らが異議を唱えることはなかった。
シモーネ失踪の件は関係者全員に知らされていて、本番まで幾日もないのに現場の空気はどよめいていた。なにしろ主要登場人物の一人が欠けた状態なのだ。




