五章 唄う伯爵令嬢3
◇◇◇
オルフェリアが出て行ったあと。
ミネーレはフレンに厳しい視線を投げかけてきた。
「フレン様。見損ないました」
一言吐き捨てるように言い、ミレーレもまた小屋から飛び出して行った。オルフェリアを追いかけて行ったのだ。
オルフェリアとミネーレが出て行ったあとの小屋に残されたのは居心地の悪い空気だった。シモーネだけが正義はこちらにある、と言いたげな満足そうな笑みを浮かべていた。
「ほうら、逃げ出すっていうことはやっぱり彼女が犯人で間違いないんじゃない」
シモーネの言葉だけが大きく響いた。
女性二人の言葉を聞いて、フレンは即座に動いた。胸の中には激しい後悔が渦巻いていた。
きっと、誰よりもまっさきにフレンがオルフェリアのことを信じなければいけないのに、その自分が間違ってどうする。
これが、たぶん大叔父のやりくちだ。
それを悟ったのが遅すぎた。
フレンは走った。
オルフェリアのことを追いかけた。女性の足に追いつくのはたやすかった。
オルフェリアはフレンに失望しただろうか。まっさきに自分が罠にかかってしまったのだから、当たり前だろう。彼女の前にちょろちょろと姿を見せていたディートマルは、状況だけでフレンに揺さぶりをかけてきた。
ここ数カ月、一緒に過ごしてきたのに、自分は一体彼女の何をみてきたのだろう。オルフェリアはフレンに親身だったし、ユーディッテやリエラのことも慕っていた。たまにフレンが面白くなくなるくらい、彼女らと一緒にいるオルフェリアは可愛らしい笑みを浮かべていた。
そのオルフェリアが自分の利益のために、ユーディッテに怪我をさせるような真似なんてするはずもないのに。
「オルフェリア!」
気がつくと、フレンはオルフェリアのことを後ろから抱きしめていた。
小さな肩を揺らした彼女は瞳に涙を浮かべていた。
水に濡れた薄紫色の瞳がフレンの頭の中から離れない。
自分は馬鹿だ。
まっすぐな彼女の言葉を一瞬でも信じることができなかっただなんて。
オルフェリアの言葉を受け止めて、フレンはオルフェリアを劇団員の元へ戻ろうと促した。
「わ、わたしも行かないと駄目?」
オルフェリアの声は固い。
「きみは何もしていないんだろう。だったら、堂々としていればいい」
「……そうだけど」
オルフェリアはそれでも怖がるようにフレンの腕のあたりを掴んできた。
「大丈夫、きみへの疑いは晴らすから。きみは、今日の練習が終わるまで、エーメリッヒと一緒にいてほしい」
フレンは力強く請け負った。
公演直前で、結束が解かれてしまうのは劇団員たちにとっても痛手だ。わだかまりを残したままだと、演技にも作用してしまう。だったらやることは決まっている。
今日のうちにすべてを片してしまうことだ。
「わかったわ……」
「わたしも一緒にいますわ、お嬢様」
ミネーレがオルフェリアの手を取ってやさしく言い添えた。
◇◇◇
会場に戻ると通し稽古が始まっていた。
フレンは客席側から練習を眺めていた。
傍らにはアルノーが控えている。
フレンは状況確認をするためにも、アルノーに話しかけた。頭の中で、これからの段取りを素早く組み立てて行く。
「本当に昨日大叔父はオルフェリアに接触をしたのか」
「ええ。しましたよ。フレン様を揺さぶるにはまず彼女から、ということにしたみたいですね。彼は」
アルノーにはディートマルの動向をさぐるように言いつけてある。彼はディートマルとオルフェリアの密会を把握していた。
アルノーが訝しげな視線をよこしてきたため、フレンは先ほどあった出来事を簡潔に伝えた。
「なるほど」
ディートマルの行動原理は単純だ。将来ファレンスト家のすべてを受け継ぐ立場のフレンが気に食わない。だからフレンのやることが空回りすればいい、恥をかけばいいと奔走する。ファレンスト家に関わる事業でこれをやると一族を敵に回すことになるから、あくまでフレン個人を狙い撃ちに嫌がらせを仕掛けてくる。
フレンを崩そうとするならば近しい人物を切り崩せばいい。ほんの二月足らずの仲のオルフェリアなど格好の獲物だろう。
「俺は一瞬疑ってしまったよ。彼女を信じてやれなかった」
「あらゆる可能性を考えるのであれば当然のことです。彼女がやっていないという直接的な証拠もありません」
アルノーは淡々と返した。彼にとってオルフェリアの扱いは客人ということか。フレンと同じように忠誠を尽くす相手ではないのか、切り捨てるのも早い。
「彼女がそんなことをするはずがないだろう」
「しかし、周りの人間は私たち以上にオルフェリア様のことをよく知りませんから、成果としては上々なのでしょう」
確かに。現に先ほどオルフェリアを連れて戻って来た時、劇団の少女のうち、何人かはあからさまに厳しい視線をオルフェリアに向けてきた。
先ほどの出来事がこの公演に関わっている人間すべての耳に届くのも時間の問題だろう。
「やつはオルフェリアに何を言った?」
フレンは視線を舞台上へ向けたままアルノーに尋ねた。
傍目には練習を見守りつつ雑談をしているようにしか見えないだろう。
「さあ。私が直接張り付いていたわけではなく、部下に任せていましたから」
「そうか」
アルノーの職務はフレンの秘書官だ。彼にはディートマルの行動に不審なところが無いか洗い出しをしてもらっているだけで、探偵よろしく四六時中彼に張り付けと命じているわけではない。とはいえ、アルノーはおそらく自身の部下を見張りにつけているはずだ。
「彼はオルフェリア様に接触を図っている様子でした。最後は封筒のようなものを押し付けていたとの報告は上がってきています。ああ、あと……」
それからアルノーから他にもいくつか興味深い報告を受けた。
オルフェリアがディートマルからの手紙を受け取っていたことは初耳だった。なにしろ彼女は何もいわなかったのだ。彼女の頭の中には報告・連絡・相談という仕事をするうえで大事だと言われている三つの言葉が無いのだろうか。
いや、彼女はフレンの部下ではないのだから仕方ないのかもしれない。
フレンはため息をもう一度ついた。
オルフェリアを守るためにもフレンがするべきことはひとつだ。
「アルノー、すまないがいくつか頼まれてくれないかな」
「ええ。なんでしょうか」
フレンは立ちあがって歩き始めた。通し稽古が終わるまでにいくつか手はずを整えておく必要がある。
長年フレンに仕えてきたアルノーは主人の意図を察してすぐに行動を開始した。
フレンの役回りは探偵の助手。
探偵役はリエラの方が適役だろう。彼女が一言台詞を言えば、そこは瞬く間に舞台へとなり替わる。
◇◇◇
練習が一通り終了した。
リエラは関係者を一堂に集めた。
ユーディッテ、シモーネ、エーメリッヒ、フレン、オルフェリア、そしてその他役者陣や運営に関わる人間ら十数人。アルノーの姿はない。まだ戻ってきていないのだ。
「今朝起こったユーディのドレスの件。これについてもう一度話し合いたい」
リエラが厳かに口を開いた。
ユーディッテは心配そうにリエラを見つめ返していた。他の面々は心配そうにそれぞれ隣同士顔を見合わせたり、何かを言い合ったりしていた。「あれはあの、伯爵令嬢が……」という声が風に乗ってフレンの耳に届いた。
オルフェリアがびくりとしたように一瞬体を震わせた。フレンは、大丈夫だ、という気持ちを伝えるように、オルフェリアの背中に腕を回した。
舞台は整った。
これからもう一幕、台本のない舞台が幕を開ける。
「リエラお姉さま。あの件はそちらにいらっしゃる伯爵令嬢が犯人だったということで片がついているはずですけど」
臆せずに口を開いのはシモーネだ。
シモーネはオルフェリアの方にちらりと侮蔑の視線を送った。オルフェリアは、シモーネの瞳から逃げることなく、それを受け止めた。




