五章 唄う伯爵令嬢2
「だったらなんでユーディお姉さまのドレスから針が出てくるのよ! お姉さまの襟首に仕込まれていたわ」
「シモーネ。あまり大きな声を出さないで。確かに針は刺さったけれど、すぐに気がついたから大丈夫よ」
ユーディッテが口をはさんだが、いつものように溌剌とした声ではなかった。想定外の出来事に動揺している、上ずった声をしていた。
「お姉さまは甘すぎます。この人がやったに決まっています。鍵を自由にできるのは彼女くらいじゃないですか」
「鍵を自由に、って。わたし予備の鍵なんて持っていないし、借りてもいないわ」
「そうですよ。こんなのおかしいです。お嬢様はそのようなことをするお方ではありません」
オルフェリアの言葉を引き継いでミネーレがきっぱりと否定をしてくれた。
「あら、この野外劇場の使用許可はあなたが取り付けたんでしょう。だったら最初から鍵を持っていたんじゃないの」
「何を言い出すのよ! だいたいわたしに何の理由があってユーディッテ様に嫌がらせをしないといけないのよ」
リエラとユーディッテらはオルフェリアを信じてくれているのか、瞳に疑いの色はなかったけれど、普段あまり会話をしたことのない端役の少女らの中にはシモーネの言葉を真に受けオルフェリアへ疑惑の目を向けるものもいた。その中でミネーレが即座にオルフェリアの肩を持ってくれたことに励まされた。ミネーレのためにもここは頑として戦わなければならない。
「理由ね。わたし一昨日見たのよ。あなたがこの公園で初老の男性と親しげに話しているところを」
オルフェリアは息をのんだ。
「初老の男性?」
フレンが少しだけ低い声を出した。
「ええ、髪の毛が少ない……というか禿げたお爺さん。背筋はピンと伸びていたけれど。紳士風な人だったわ」
シモーネの説明でフレンは相手がだれであるのか理解した。
「大叔父殿か」
フレンは小さく呟いた。
「彼、わりと大きな声でしゃべっていたもの。あなたを誘っていたわね。こちら側につけって。ねえ、なんのこと? ぜひとも教えてもらいたいわ」
シモーネは尚も口早に言い募った。先ほどからオルフェリアが不利になるような情報を積極的に口から垂れ流す。
「オルフェリア、シモーネの言っていることは本当か」
「……ええ。確かにわたしは昨日ディートマルに、あなたの大叔父に会ったわ。というか彼が公園に現れた」
オルフェリアはしぶしぶ認めた。
「ミネーレと一緒じゃなかったのか」
フレンの問いにオルフェリアは沈黙した。
この場はすでにシモーネの独壇場だった。
女優でもあるシモーネは視線と声、間合いの開け方などを駆使してこの場にオルフェリアを断罪する舞台を作り上げていく。
「彼に指示を受けてこんな嫌がらせをしたに決まっているわ」
「違うわ!」
オルフェリアは否定をした。
していないものはしていない。しかし、周囲の人間はどう思うのだろうか。オルフェリアはこれまでも同じように勝手に周りの人間から状況だけで判断されることが多々あった。
「オルフェリア……」
リエラやユーディッテは困惑気味に瞳を揺らしていた。
「オルフェリア」
フレンの声がした。
低い声だった。その声に導かれるように彼の顔に目を向ける。彼の緑玉の瞳はあきらかに動揺していた。
「きみが……」
オルフェリアを信じたいけれど、信じきれない。そのような顔を浮かべていた。
誰が信じなくてもいいけれど、フレンにだけは信じてほしかった。
オルフェリアはたまらなくなってその場から駈け出した。歯を食いしばって、人だかりを押しのけて走り続けた。
「お、お嬢様!」
後ろから慌てたようなミレーネの声が聞こえてきたけれど、オルフェリアは構わずに足を動かした。
フレンに信じてもらえなかったことが一番こたえた。
オルフェリアにもよくわからなかったけれど、あのとき、自信がなさそうに揺れ動く彼の瞳を見たら頭が真っ白になった。悲しくて歯を食いしばらないと泣いてしまいそうな自分が悔しくて、オルフェリアは走った。
別にこんなこと初めてじゃないのに。
ミュシャレンに出てきて何度身に覚えのない評価を下されたことだろう。そのときも悲しくて悔しかったけれど、今回はもっともっと辛かった。
夢中で走っていると、ふいに後ろから腕を取られた。
◇◇◇
「オルフェリア!」
強い声が耳元にこだました。けれども、それはさきほどのような疑念に満ちた声ではなくて、深い悔恨を含んだような声音だった。
「……フ、レン……」
オルフェリアは茫然と呟いた。
どうして、彼はいまここにいるんだろう。
「さっきは、悪かった。私が、私が疑ってはいけなかったのに……」
オルフェリアは後ろから抱きすくめられていた。フレンの両腕がオルフェリアの体に回されている。
「フレン様! こ、後悔するくらいなら……最初から、お嬢様のことをお疑いに、な、ならないで……くださいまし」
息も絶え絶えなミネーレが、それでもなんとか声を絞り出した。
オルフェリアを追いかけてきたミネーレを追い越して、フレンが先にオルフェリアのことを捕まえたのだ。
オルフェリアも肩を上下させている。
「悪かった……。すこし、どうにかしていた。大叔父のことを聞かされたから」
フレンはあまり息が乱れていないようで、その声は平時とあまりかわらない。
フレンはオルフェリアに絡めていた腕を解いて、オルフェリアの体をフレンと対峙するように振り向かせた。
怖くて、まだフレンの顔を見上げることができない。
「きみはなにもしていない、そうだろう?」
フレンの声は静かだった。
オルフェリアは目の上にためていた涙をごしごしと拭き取った。そして、毅然とした顔を作って、フレンのことを見上げた。
「ええ、そうよ。わたしにはやましいところなんて、なにも、ない」
フレンは頭をさげた。
「ああわかったよ。そして改めてごめん。一瞬でも動揺してしまって」
「わたしは……」
オルフェリアは開きかけた口をしばしのあいだぱくぱくとさせて、けれど結局閉じた。あなたに疑われて悲しかった、とか馬鹿、とか言いたいことは沢山あったけれど、それを言うと、オルフェリアがフレンのことを特別だと認識していると誤解されるようで恥ずかしく思ったからだ。
「言いたいことは言った方がいいよ。きみが遠慮するなんてらしくない」
「お嬢様、仮にも婚約者の言葉を疑うなんて、非道なことをする年上男に遠慮は要りません。がつんと言っておいた方が後々のためですよ。男はすぐに付け上がる生き物ですからね」
ミネーレが後ろから鼻息荒く言い添えた。
彼女の方がフレンへの不満を堂々と口にする。
「だったら、言わせてもらうわ。フレンの馬鹿。馬鹿馬鹿! か、仮にも婚約者のことをまっさきに疑うなんて……、あなたそれでもわたしの恋人なの? わ、わたし、あなたに疑われたことが一番……かなしかった」
最後の言葉はとても小さくなった。
尻すぼみになった言葉を聞き終えたフレンはもう一度オルフェリアのことを抱きしめた。ぎゅっと、背中に腕が回されて、オルフェリアは先ほどとは違った意味で動悸が激しくなった。
「ほんとうに、ごめん……」
「……馬鹿」




