四章 公演は秋の空の下で5
けれどフレンもあのときは何かの間違いだと、一縷の望みに掛けていた。物理的に引き離してしまえばレカルディーナの目も冷めるのではないかと。王太子妃なんて、窮屈すぎること従妹には似合わない。彼女が犠牲になる必要なんてないと思っていた。
「祖父母は俺とレカルが一緒になることを望んでいた。俺としても、まあその話に乗っかってもいいかなって。都合がよかった。俺は……レカルのことが好きだったから」
最後言いきる前にフレンは時間を要した。
口の中がからからに乾いて仕方ない。さきほどから一人で語り続けているから当然だろう。フレンはぶどう酒の入った器に手を伸ばす。
(ここから先を言うのはしんどいな)
フレンは自嘲気味に笑みを浮かべた。何しろ自分の情けない過去を暴露するのだ。十以上も年の離れた少女に。何の拷問だろうか。
けれどオルフェリアはフレンが逃げるのを許してくれない。
十一も年下の少女が偽装婚約の相手ならもっと簡単に手なづけられると思っていた。ドレスと宝飾品を与えておけば機嫌よくフレンの隣で笑っていると。しかしとんだ見当違いだった。
「俺は、最後まで逃げた。自分の気持ちを彼女に伝えなかった。あくまで祖父母がそうしろって言っているから、おまえさえよかったら貰ってやるよって。そう言ったんだ。最後まで俺は自分の本心を隠した。言葉尻や空気で伝わると思っていたんだ」
フレンは最後言いきると長い息を吐いて前髪を書き上げた。気分はこのまま誰かに後ろから殴られて気絶してしまいたかった。馬鹿正直に何を話しているんだろう。
「俺は最後まで卑怯だった……、レカルは俺の目から見ても王太子に心があった。あいつのもとに帰りたいと、俺が今まで見たこともないような、女の顔して泣いたんだ。あんな顔見せられたんじゃ、もう、仕方ないだろう」
フレンはオルフェリアの方に目線を向けることができなかった。
独白のように、呟く。あのときの、レカルディーナの泣き顔はいまでも鮮明に思い出すことができる。王太子自らがルーヴェのファレンスト邸へ乗り込んできて、事態は収束をみせた。当時、やる気のない王子だと一部貴族の間では半ば有名な話だったが、王太子はフレンに激情をぶつけた。レカルディーナを何が何でも取り戻すと、瞳が語っていた。彼女は俺のものだ、と隠しようもない怒りが彼の体を取り巻いているのを感じ取れた。
きっと彼は自分の想いも熱も素直にレカルディーナに伝えたのだろう。
それはフレンが最後までできなかったこと。結局フレンは自分の感情からも逃げ出した。
「俺がメーデルリッヒ女子歌劇団のミュシャレン公演にこだわっているのも、たぶん王太子への対抗心もあるんだろうね。この数年、アルンレイヒは北のリューベルンといざこざがあっただろう。王太子もレカルディーナにばかりかまってはいられないだろうし、俺だったら女組を呼ぶ伝手もあるし、公演を実現させられる。意地だったかもしれないな、最後の」
結局はまだレカルディーナのことが忘れられないのだろうか。メーデルリッヒ女子歌劇団の公演にこだわっているということはそうなのだろう。
頭の中では割り切って、過去のことと納得させているのに、まだ心の底では彼女のことを想っているのか。どうなのだろう。
フレンにとって、レカルディーナは大切な従妹ということは変わりないから、王太子妃となり重圧に耐える生活をしている彼女のために何かしたい、とその気持ちから公演の準備に奔走してきた。
それがまだ諦め切れぬ恋心なのかどうか。
フレンにはわからない。
「そう。でもやっぱりわたし納得できないわ。過去逃げたのならなおさらあなたは自分の気持ちを伝えるべきよ」
「きみのそういう潔癖なところ、苦手だよ」
「ああそう。わたしもフレンのそういう本心を見せないところ嫌いだわ。普段は腹立つくらい強引なくせに。なんなのよ。今のその体たらくは。馬鹿みたい。あとあとそこまで引きずるくらいならさっさと告白してはっきり振られちゃえばよかったのに。だから結婚できないのよ、いい年して」
最後はすっぱりきっぱりフレンのことを皮肉るオルフェリアだった。
彼女の遠慮のない言葉にフレンは笑ってしまった。不思議と腹は立たなかった。どちらかというと、彼女らしい、少女らしい言い分だなと思った。
フレンは苦手、という言葉で優しく包み込んだのに、彼女ははっきり嫌いという単語を使った。まったく、こんなにも率直だから同世代の少女らに意地悪令嬢だ、なんて揶揄されることになるのだ。
「けれど……、きみのはっきりした物言いは、不思議と嫌いじゃないんだ」
「そ、そう……」
オルフェリアはあからさまに戸惑った声を出した。
どうしてだかわからないけれど、オルフェリアと舌戦を繰り広げることが日に日に嫌いじゃなくなってきていることをフレンは実感しているのだ。
思いがけず本音をしゃべってしまったのも、それはきっとオルフェリアが相手だから。
もちろんこんなことは本人には言うつもりもないけれど。
◇◇◇
本番公演まで残すところ幾日もないころ、オルフェリアはユーディッテから食事に誘われた。公演はいよいよ来週に迫ってきているが、二日間稽古が休みなのだ。
オルフェリアはミネーレに調べておいて貰ったサロンへユーディッテを案内した。ミネーレはオルフェリアでも入ることのできるレストランをいくつか地図に書いて持たせてくれたのだ。万が一知り合いに見つかっても、眉をひそめられることのないくらいの格式のあるレストランだ。
中産階級の人間が家族と食事を取るために訪れることがあるそうで、店内はどことな洒落た人間たちで賑わっている。
「今日はせっかくの休日だから、なにか飲もうかなあ」
ユーディッテは楽しそうに飲み物のメニューを見開いた。稽古のある日は禁酒なのだ。
ユーディッテは甘いことで知られるアルンレイヒ名物の白葡萄酒をソーダ水で割ったものを頼んで、オルフェリアは無難に果実水をお願いした。
やがてグラスが運ばれてきて、二人で軽くグラスを合わせて乾杯をした。
こんな風に年の近い女性と外でご飯をするなんてオルフェリアにとっては初めてのことで、とても浮足立った。とても楽しい。
「そういえば、嫌がらせをしている犯人が特定されたって聞きました」
運ばれてきた昼食を取りながら二人は会話をした。
嫌がらせの犯人が捕まりクビになったことはフレンから聞かされていた。
「ええ。今回の公演のために雇われた臨時作業員の中に犯人がいたってことだったわね」
せっかく犯人が捕まったというのにユーディッテの顔はさえない。
「そのわりにはあまり嬉しそうではないですが」
「んんん~、そんなことないわよ。犯人が見つかってくれてよかったわ。もう、こういうことが起こらないと、わたしも嬉しいのだけれど……」
水を一口口に含んで、ユーディッテは控えめな笑みを浮かべた。
「大丈夫。犯人が特定されたんですから」
「そうね」
しかし、まだ安心はできないとフレンは言っていたのを思い出す。なにしろミュシャレンにはいまだにディートマルが滞在しているからだ。オルフェリアが思ったよりもフレンと大叔父との確執は根深いのかもしれない。
親戚というのは血がつながっている分他人よりも親しく、そして一度こじれると面倒なことになりがちだ。オルフェリアの家も古い家系なので似たようなことはある。




