四章 公演は秋の空の下で2
「きみは本当に……。あと、妙なところでいい子だよね。私に白状させたいなら今すぐ偽装婚約を世間にばらすぞ、とか言えばいいのに」
フレンの言葉にオルフェリアは、そうかその手があったか、と気がついた。
「確かに俺はレカルのことが好きだったよ」
観念したようにフレンが白状した。
いつもよりも砕けた言葉づかいにオルフェリアは急にフレンを遠い存在に感じた。
オルフェリアには見せない、もう一つの彼。
「でももう三年以上も前の話だ。あいつはフラデニアの寄宿学校を卒業してアルンレイヒに帰った。そしてここの王太子に出会って見染められた。きみも見ただろう、幸せそうにしているあいつを」
普通に話しているつもりなんだろうか。無意識に寄せた眉根に固い声色を聞くと、オルフェリアにはフレンがまだレカルディーナに心を残しているように思えてならない。何も気持ちを残していないというなら、どうしてそんなにも。
「うそよ」
「嘘じゃない。あいつは自分の意思で王太子を選んだ。それが答えだ」
「レカルディーナ様のことではないわ……。だって! あなたは? あなたの気持ちはどうなるの。あなた、そんなにもつらそうな顔しているじゃない」
オルフェリアはたまらずに叫んだ。
本当に何とも思っていないのに、あの夜あんなにも大事そうなものを見る目でレカルディーナを眺めるのか。オルフェリアには決して向けることのない心のこもった視線だった。
「俺の気持ちなんて。だいたい俺はもうレカルディーナのことはなんとも思っていない。今は従妹として大切に思っているだけだよ」
「フレンは気持ちを伝えたの?」
その質問に返事はなかった。
ただ困ったような笑みを浮かべただけだった。
「大人になるときみのように自分の思うことを素直に口に出せなくなるんだよ」
「汚いのね。大人って」
「そうだね」
フレンは一言力なく呟いて今度こそ部屋から出て行ってしまった。
オルフェリアは所在なげにしばらくの間座ることもなく、その場にたたずんでいた。
(わたしはフレンになんて言ってほしかったんだろう)
レカルディーナのことが好きって、今でも想っている、と。そう言わせたかったのだろうか。オルフェリアも自分がいったい何をしたくてフレンに詰め寄ったのか分からなかった。
◇◇◇
結局フレンとは気まずさだけが残ってしまった。
婚約者のふりをしているのに喧嘩のようになってしまって仕事がやりにくくて仕方ない。
オルフェリアがまいた種だから仕方ない。
だって、どうしても気になったんだもの。どうして気になったのか、それはよくわからない。あの時自分の出した結論に胸がぎゅうってなって、頭から離れなくて。
白黒をつけないといけない気がした。
フレンとは最近必要最低限しか話をしていない。
彼もとても忙しくしているので顔を合わせる暇がなくて助かっているけれど。
貸本屋も辞めてしまいすることもないのでオルフェリアは毎日劇団の練習を見学しに来ていた。本番用の野外劇場は当日を含めて五日間借りてある。それまではフレンが別に手配をしたホールで練習に励んでいた。
「誰か! だれか私の弓を知らない?」
楽団の一人の叫び声が聞こえてオルフェリアは声の方に顔を向けた。どうやらヴァイオリン担当のうち一人の弓が紛失したようだ。
楽員らが集まってきて、おそらく弓を探しに行ったのだろう。ばらばらな方向へ散って行った。
「最近多いわね。こういうの」
オルフェリアは誰にもなく呟いた。
本格的な練習が始まってから、だれかの物が無くなったり、衣装が破られていたり。小道具が無くなったり。些細なことだけど、偶然では片付けられない悪意を持った出来事が重なっていた。
今日は通しで練習をしていた。演目の上演時間が変われば曲の繋ぎや長さも変わる。
台詞も微妙に変わっているため団員たちは毎日練習に励んでいる。
やがて何人かの楽員がステージの下に集まってきた。
オルフェリアは客席に座っているので全体を見渡すことができる。誰かが首を横に振っている。探しに出かけたが、弓は見つからなかったのだろう。
結局時間が押しているため、弓が行方不明になった女性を伴奏から外して通し稽古を再開することにしたようだ。
指揮者(当然ながら女性だ)の振りに合わせて音が流れる。
セリータの曲から始まった。
セリータ役のシモーネが歌い始める。今回彼女の歌が導入部を担っているため、やや説明口調の歌詞になっているが、オルフェリアが特に印象に残っている歌詞はそのままだった。
「視線でわかるわ。だって、好きな人のことだもの」
好きな人のこと。自分もいつも彼のことを追いかけているから、彼が何を見て、どんな顔をしているのか分かる。気づいてしまう。
そこまで考えてオルフェリアは真っ白になった。
(あれ? これってまるでわたしがフレンのことを好きみたいじゃない)
そこまで考えついて、いやいやいや、と頭を思い切り振った。
振り過ぎてめまいがした。
彼とはあくまで仮の婚約者。偽物の恋人。
そもそも、人には口やかましいフレンが肝心のことを何も言わないのが悔しいだけだ。よく観察しているのは仕事上の相棒なのだから当たり前。
(そうよ、わたしは別にフレンみたいな意地悪な男性に恋なんてしていなもの。単に腹が立つだけなのよ)
オルフェリアが自分の心を整理していたら、いつの間にか通し稽古が終了していた。
「オルフェリア、どうしたの? なにか怖い顔をしていたわよ」
ユーディッテが汗を拭きながら観客席までやってきた。
「そんなことないわ」
「なあに。お姉さんには言えないこと?」
ユーディッテが頬をぷうっと膨らませた。
「そんな大したことじゃないんです。それよりも今日は弓が無くなったって。なんだか最近変なことばかり起こっていますよね。そっちのほうこそ大丈夫なんでしょうか?」
オルフェリアははぐらかして、逆に最近起こる出来事について尋ねた。
破かれた衣装はコーラス隊のうちの一人の物で現在ミネーレが懇意にしている仕立屋に修理に出している。
「そうねえ……」
ユーディッテは何かを考えるように顎に手をやった。
「ユーディお姉さま。打ち合わせをするそうです」
二人の間に堅い声が割り込んできた。
セリータ役を演じているシモーネだ。まだ若手でオルフェリアとも年が近い。といってもオルフェリアの二つ上の十八歳。
「そんなに急いでいないから大丈夫だ。シモーネ」
「ウルリーケ様」
背後からもう一人の騎士役を演じるウルリーケ・リースマンが声をかけた。
現在のフリージア組の男役二番手で、今回彼女とリエラとの一騎打ちが最大の見どころだ。もちろんオルフェリアもルーヴェ公演の際はその迫力満点な剣さばきに毎回流れを知っていてもドキドキした。
「オルフェリア様も心配しているのよ。最近ちょっと、色々と重なっているから」
「部外者が口を出すことじゃないわ」
シモーネが迷惑そうな声を出した。
リエラを含めた主要キャスト四人のうち、シモーネだけがオルフェリアに対して少しとげのある態度を取っている。シモーネとは当たり障りのない会話しかしていないはずなのに、なにか嫌われることを言ってしまったのだろうか。そういえば彼女は初対面のころからオルフェリアに含みのある視線をよこしてきた。フリージア組千秋楽あとの打ち上げの時のことだ。
オルフェリアはもう一度考えてみるけれど心当たりがない。やっぱりまだまだ人付き合いそのものの経験が足りないのかもしれない。
「もう、そんな風な言い方しないの。彼女はフレンの恋人よ。彼女のおかげでヘリア・オレア公園の野外劇場の使用許可がおりたんだから。立派な関係者よ」
「そうだね」
ユーディッテが取り成すようにいえばウルリーケも口の端を持ち上げて同意してくれた。
「ありがとうございます。あ、そうだわ。今日は差し入れをもってきていて。ごめんなさい。すっかり忘れていました」
オルフェリアは隣の席に置いていた荷物の中から焼き菓子の包みを取り出した。
「まあ、ありがとう。練習で疲れた時は甘いものよね」
包みをユーディッテに手渡すと彼女は満面の笑みをこぼした。そのまま飛んでいきそうなくらい弾んだ足取りでステージの方へ戻っていく。




