三章 仮婚約者と王太子妃6
それからリエラはレカルディーナと一緒に部屋の隅にある小さな机のほうに移動して腰を下ろした。ユーディッテが茶器を乗せた盆を持ち二人に加わった。
「実は直前まで騎士のみなさんも同席していたんですけど、警備がどうのとか、あんまりにもうるさくするので追い出してしまいましたわ」
いつのまにか後ろに近付いてきたエルメンヒルデが少女のようにふふふと笑って舌をだした。
何かいたずらをやりとげたような、含みのある笑い方にオルフェリアは首をかしげた。騎士を追い出したことがそんなにも嬉しいことなのだろうか。
「ふふ、このあいだオルフェリア様をいじめた仕返しをしたのです」
と言われてもさっぱり分からなかった。
「そういえば、この間の王宮でのお茶会、聞いたよ。きみまでついていたから安心していたのに。まさか王太子が顔を見せるとはね。さすがにそこまでは予想していなかった」
「それについては申し訳ないですわ。わたくしもまさか殿下がお越しになられるとは思ってもみなかったのです。オルフェリア様、あの人に懲りずにまたご一緒してくださいね。国際結婚仲間同士これからも仲良くしていただけるとありがたいですわ」
エルメンヒルデの言葉にオルフェリアは恐縮しながらも頷いた。
この人はオルフェリアの悪い噂も耳にしているはずなのに最初から優しい。
「あの。どうしてわたしにそんなにも親切にしてくださるのですか? フレンの婚約者だからでしょうか」
オルフェリアの率直な質問にエルメンヒルデは機嫌を損ねるわけでもなく、オルフェリアの方へ笑みを保ったまま顔を傾けた。
「さあさ、わたくしたちも座りましょうか。オルフェリア様のお噂はちらほらと耳には入ってきていますけれど。どれもがみんな示し合わせたように同じもので、わたくしこれとおなじことがあったのを思い出しましたのよ」
「なんですか?」
「わたくしの寄宿学校時代のことですわ。わたくしの生家もフラデニアでは一目置かれているような家柄でしたから。似たような目に遭ったことがあったのです」
「そうだったんですか」
「女性ばかりが集う場所ではどうしても色々と。ですから先日王宮でお会いして、素直で可愛らしいお嬢さんだなと思いましたわ。素直すぎて少し誤解されることもあるのかもしれませんわね」
「すみません。オルフェリアはこれまで狭い世界で生きてきたので対人面での経験が少ないんですよ」
「どうしてフレンが謝るのよ」
せっかくエルメンヒルデと二人で話していたのに急に割り込んできたフレンのことをオルフェリアは睨みつけた。
「オルフェリア様の場合はこれからですわ。これからもっともっと広い世界を見て、色々な人とお話をして経験を積んでいけばいいのですわ。そういう意味では伴侶がフレン様でなにかと重宝するかもですわね」
「どうしてですか?」
「フレン様は大きな商会を担っていくお方ですもの。結婚をしたら彼について色々な国をめぐり、多くの人々と触れ合っていくでしょう。それって素晴らしいことだと思いますわ」
エルメンヒルデがにこにこと指摘をするものだからオルフェリアとフレンは思わずお互い顔を見合わせた。
きっと、偽装婚約だからそんな未来あり得ない、とか思っているに違いない。
オルフェリアだって彼の隣を歩く自分なんて想像もつかない。伯爵家をなんとか持ちこたえさせて将来弟が家を継いだら、田舎の領地で暮らすんだろうな。それがオルフェリアが今できる精いっぱいの想像。
「それよりも、今日はありがとう。あいつにリエラ達を紹介できてよかったよ」
お互いの気まずさを解消するかのようにフレンは話題を変えた。
「あら、お礼には及びませんわ。わたくしもリエラ様やユーディッテ様とお話できてうれしかったですもの」
「そう言ってくれると助かるよ。私からだとあまりレカルディーナに近寄れないからね」
「どうして?」
オルフェリアは単純に疑問に思って口を挟んだ。
「レカルディーナはアルンレイヒの王太子妃だからだよ。フラデニア人商人の私が彼女の周りをやたらとうろちょろしていたら穿った見方をする人間もでてくるだろう。それは彼女にとっても良くないし、私の方も、王太子妃の親戚だから優遇されている、とやっかまれる。そういうやつらに付け入る隙を与えたくない」
ディートフレンの目線の先には楽しそうに笑い声をあげるレカルディーナがいた。だいぶ打ち解けたのだろう、時折聞こえてくる嬌声を耳にするかぎり大物女優を前にした緊張感は無くなったように思えた。
「そうなの……」
「フレン様は本当にレカルディーナ様想いですわね」
「ああ、いつまでたってもレカルは俺の従妹だからね」
過去を共有する者同士の砕けた空気の中こぼした昔の呼び方だった。
フレンの穏やかな声音はこれまでオルフェリアが利いたこともないような種類のもの。
オルフェリアの知らないフレンとレカルディーナ二人だけの共通の思い出。なぜだかオルフェリアは自身の胸の奥がざわめくのを感じた。
けれど理由なんてさっぱりと思いつかない。どうしてこんなにもつまらない気持ちになるんだろう。フレンはただの偽装婚約相手なのに。
フレンとエルメンヒルデがレカルディーナとの思い出話に花を咲かせているのを心半分で聞き流していた。
不意に会話が途切れて、フレンが立ち上がった。
はっとしてオルフェリアが意識を自分の頭の中から現実へと傾けるとレカルディーナら三人が立ち上がってオルフェリアらが座っている席へ歩いているところだった。
「フレン兄様! 聞いたわよ。ファレンスト銀行の支店開業特別公演の話!」
興奮したレカルディーナはまっすぐにフレンのところへとやってきた。
「すみませんフレン。話の成り行き上話してしまいました」
リエラが少しだけ申し訳なさそうに会釈をした。大ファンを公言する王太子妃を前にして口を滑らせてしまったようだ。
「いや、いいよ。どうせ数日後には各新聞に掲載されるから」
興奮して思わずフレンの両腕をつかんだレカルディーナを受け止めながらフレンはリエラの方へ視線をやった。
「まあまあ、なんのお話ですの?」
話についていけないエルメンヒルデがおっとりと質問した。
「エルメンヒルデ聞いて! フレン兄様はね、フリージア組の公演をミュシャレンで一日限りで行うんですって。場所はなんと、ヘリア・オレア公園よ」
口を開きかけたフレンの言葉をレカルディーナがしれっと横取りした。
「まあ! なんてことでしょう」
「でしょう!」
二人は抱き合って喜びを表現した。人妻であることが嘘のように生き生きとした瞳で、高い声をだして興奮していた。先日王宮に招かれたとき以上に二人とも童心に帰った少女のようだった。しばしば黄色い悲鳴があたりを飛び交った。
「おい、レカル。あんまり騒ぐなよ。王太子妃の威厳が大なしだろう」
苦笑したフレンが小さくレカルディーナの頭を小突いた。
「なによう、兄様ったら。相変わらず意地悪なんだから」
頭に両手を乗せたレカルディーナは唇を尖らせた。一見すると近寄りがたい美貌の持ち主であるレカルディーナだが話してみると気さくだし明るいし、表情もとてもくるくると変わる。
「おまえにあこがれているやつだっているんだからな、一応」
「一応って何よ。兄様ってば昔からいつも一言余計なのよね」
「昔散々フリージア組の公演に付き合ってやったのは誰だと思っているんだ」
「はいはい。ディートフレンお兄様です。その節はありがとうございました」
レカルティーナはぺこりとお辞儀をした。するとエルメンヒルデまでもが彼女を真似て腰を曲げた。
「あら、わたくしからもお礼申しあげておきますわ。ずいぶんとお世話になりましたもの」
従兄妹同士の掛け合いはとても息が合っていた。
オルフェリアも実家に残してきた姉妹とよくあんな風に言い合った。
「ずいぶんと仲がいいようだね。婚約者としては妬けちゃう?」
三人の仲睦まじい様子を観察するようにリエラが声をかけてきた。
「いえ……」
オルフェリアは偽物だから。考えもなく口から一言滑り落ちたけれど、愛し合う婚約者設定としてはここは割り込んでいくべきところなのか。
しかし今更身内同士出来上がった空気の中に切り込んでいけるほどオルフェリアは経験値が豊かではない。
それに。
(フレンとても楽しそうだし)
フレンがレカルディーナに向けるまなざし。じっと注がれる視線はとても柔らかくて暖かい。普段オルフェリアをからかうのでもなく、恋人を演じているときのものでもなく、今のフレンの緑玉の瞳には確かな熱がこもっているように、オルフェリアには見えた。
―視線でわかるわ。だって、好きな人のことだもの。その人が今誰を思っているのか、彼の視線を追いかけていくと必ずあの人が、姫君がいるの―
ふいに悲しい旋律が脳裏を駆け巡った。
『姫君と二人の騎士』の一幕。領主の娘、セリータが悲しげに歌いあげる場面。
もしかして、フレン……。
あなた、王太子妃様に恋をしているの?
オルフェリアは自分の胸の前でぐっと両手を握りしめた。




