三章 仮婚約者と王太子妃4
「ああ、それとなくね。告知は近々新聞で大々的にするから」
「それも楽しみね。あとは劇のどのあたりを抜き出すか、よね」
「あんまり大人数では上演しないんだろう」
ユーディッテが演目の話題を切り出すと途端に馬車の中は会議場と化す。二人の女優はとても真面目で演技に対しては常に真剣に取り組んでいる。
「ああ。円形劇場は普段の舞台より小さかったしね。騎士役二人の見せ場、決闘のシーンと姫君の選択。あとはその前に領主の娘セリータが歌うところ。あそこの歌を少し変えて、四人の関係性を説明するようにすれば大体の流れは観客に分かってもらえるんじゃないかと思うんだ」
フレンの提案に二人は何かを考えたり、口の中でぶつぶつと唱えたりしている。
せりふ回しや時間配分などを考えているのかもしれない。
オルフェリアは会話には入れないので黙って三人の話を聞いていた。
「最初のナレーションはできないわよね。野外だし、影をつくるよりはセリータに歌わせたほうがいいのかも」
「帰ったら作詞家と打ち合わせが必要だね」
「オルフェリアはどう思う? 何度も劇場に足を運んでくれたんだろう? 観客として、どのシーンが印象に残っているか聞かせてほしいな」
突然リエラから指名を受けてオルフェリアはたじろいだ。
ついフレンの方をうかがってしまう。素人が口を出してもいいものなのか。
フレンが頷いてみせたのでオルフェリアはおずおずと口を開いた。
「わたしが印象に残ったのはセリータが悲しげに歌うところで。自分の好きな人が別の人を好きって、好きな人のことだから分かる。彼の目線はいつも姫君を追いかけているって。あのあたりの歌詞がとても印象に残ってて」
「そうなの。わたしも好きよあのシーン。好きな人のことだから自分も目で追ってしまうし、だから彼の秘めた思いにまで気づいてしまうのよね」
ユーディッテが相槌をうった。
好きだから伝えたい、伝えられない。相反する気持ち。
「あ、あと。もちろん終盤の決闘のシーンもはらはらして大好きです」
「ありがとうオルフェリア。そう言ってもらったからには私も本番は気合を入れて臨むよ」
「リエラったら。気合を入れすぎて足をくじいても知らないんだから」
ユーディッテが混ぜっ返してその場は笑い声に包まれた。
◇◇◇
イグレシア公爵邸は多くの人で賑わっていた。
オルフェリアは最初の曲をフレンと踊り、二曲目をリエラと踊った。
アルンレイヒ貴族の若い娘や婦人たちは初めて見る隣国の女子歌劇団の男装の麗人の踊る姿に目が釘付けになっていた。
「あの方が今噂になっているフラデニアの女優の方なの?」
「男性のような姿をしているけれど、本当に女性なのかしら。背がお高いのね」
「踊っている姿、とても凛凛しかったわ」
「本当に。本物の男性がかすんで見えてしまうわ」
あちこちからため息のような吐息が聞こえてきた。
リエラ曰く、男性役の役者は常に女性から見られることを意識して姿勢や仕草に気を使っている。だからその辺の適当な男性よりもずっと素敵に見えるようにできているんだよ、とのことだ。
リエラとのダンスが終了するとオルフェリアは幾人かの令嬢に取り囲まれた。
みんなリエラに興味しんしんなのに自分からは声をかけづらいらしい。
「オルフェリアったらいつの間にフラデニアに行ってきたのよ」
「まるで男性のようなのね。でも他の殿方よりも断然素敵な踊り方だったわ」
それは確かに。
オルフェリアは頷いた。とくにリードがうまい。女性を引き立たせるように踊るからオルフェリアもまるで自分が羽根の生えた妖精にでもなったかのようだった。
「羨ましいわ……。ねえ、わたくしも一曲踊ってもらうことはできない……かしら?」
一人が勇気を振り絞って声をあげればあとは芋づる式にみんなが手を挙げた。
「ずるいわ! わたくしだって一度でいいから踊ってみたいのに」
「あら、あなたアルフ様一筋とか言っていたじゃない!」
「なによ!それとこれとは別よ、別」
「わたくしが一番最初にお願いしたのよ。真似しないで」
「真似って何よ。普段はオルフェリアのことを陰で高慢お嬢様とか言っているくせに」
「あ、あなただって。オルフェリアのこと流行遅れのドレスを着回していて、伯爵家が貧乏なのは本当のことのようね、とか笑っていたじゃない」
こうなってくると収拾がつかない。そしてさりげなく彼女たちの本音が聞こえてきて地味に傷ついた。やっぱり、色々と影で噂されていたらしい、家のこと含めて。
オルフェリアはとても困った。
下手に口を開くとこれまでの経験上絶対にオルフェリアが悪いことになってしまう。今度はリエラを一人占めする気ね、とか言いがかりをつけられてしまいそうだ。
「お嬢さん方。喧嘩はよくないな」
突然の王子様の登場にその場にいた少女たちが一斉に黄色い悲鳴をあげた。
「まずはピンク色のりぼんがお似合いのお嬢さん。私と一曲踊っていただけませんか?」
「っ……! はい。喜んで……」
リエラは最初にオルフェリアに声をかけてきた令嬢の手を取り広間中央へと彼女をエスコートした。感極まった彼女は頬を真っ赤にして目をうるうるさせていた。
「こういうときのリエラは最強よ」
いつの間にか後ろにきていたユーディッテが片目をつむった。
「たしかに」
「女たらしなのは演技じゃなくて素なのよね。次の公演で引退なんてもったいないけれど、あんな女たらしのリエラが恋をしたんだもの。引退後は恋人の祖国カルーニャに移住するんですって」
ユーディッテは少しさみしそうな笑みを漏らした。
長い間恋人同士を演じることの多かった二人には特別な絆があるのか、稽古以外でも二人で一緒にいることが多かった。
「さあて、わたしはわたしでミュシャレン公演が成功するように営業活動をしてくるわ」
物悲しい空気を押しやるようにユーディッテは高い声をだした。
そして人々の輪の中に溶け込んでいく。人前に出る職業柄二人とも初対面の人間とも打ち解けるのが早い。
二人と別れたオルフェリアは少し外の空気が吸いたくなってバルコニーにでることにした。令嬢たちの関心はリエラとのダンスに移行しており、オルフェリアに声をかけてくる者はいなくなっていた。現金な態度に笑いがこみあげてくるほどだ。
二曲踊って喉が渇いたオルフェリアは途中飲み物を貰うことにした。
冷たく冷やされた果実水はほんのりと酸味が利いていた。かんきつ系の果物を使っているのかもしれない。
大広間から続き間を通ってバルコニーへの出入り口へ向かった。公爵邸は前にも一度来ているのでなんとなく間取りを覚えている。
途中部屋を抜けるときにあたりを見渡してみたがフレンの顔を見つけることは出来なかった。
オルフェリアがバルコニーに出ようと扉に手をかけた時。
「こんばんは、美しいお嬢さん」
後ろから声がした。
オルフェリアは他にも誰が人がいるものだと思って声の方向に振り向かなかった。美しいお嬢さんなんて言われて振りかえって、別人を呼ぶ声だったら自意識過剰と思われる。