二章 恋人業務は波乱の幕開け5
現在フリージア組の上演作品は『姫君と二人の騎士』という、タイトルだけでなんとなく話の内容まで予測できるようなものだった。
事前の告知や演目について書かれている小冊子によると「幼馴染×四角関係」という予想を裏切らないあらすじである。
当たり前だが姫君と二人の騎士が登場をして仲良く三人で遊ぶ幼少時代から始まった。幼いころのできごとは演者の声と影のみで、それから数年経過の台詞とともに年ごろに成長した男女が登場した。
幼馴染の騎士二人の間で揺れ動く姫君の切ない歌声。その騎士のうちの一人に恋をした領主の娘。彼女はまた、早々に自分の恋する騎士が別の女性、忠誠を誓った姫君に想いを寄せることを知ってしまい、悲しみの歌を歌う。
姫君を想うあまり対立してしまう二人の騎士、そして離別。
最後の見せ場は敵対することになった二人の騎士による決闘のシーンで、観客たちが息をのむ声が同時に聞こえてきた。
演目は二部構成で、歌劇が終わると次は華やかなレビュー公演が待っている。
合計するとゆうに三時間は超える構成になっている。
すべての演目が終了し会場に明かりが灯された。
オルフェリアはとても静かだった。フレンの差し伸べた手に自身のそれを重ねて、階段を下りているときもどこか上の空だった。さきほどから一言もしゃべらない。
本好きのおとなしい、控えめな少女だからこういう俗っぽいものは興味が無かったのだろうか。
「すごいわ……」
オルフェリアがぽつりとこぼしたのはあらかじめ予約を入れていたサロンへ連れてきたときのことだった。地元の人間の間で今話題になっているサロンだ。
「ねえ! わたし初めてだわ。観劇自体が生まれて初めてなのに! あんなにも、あんな世界があるなんてわたし知らなかったわ」
「へ、へえ……」
普段の冷静さからは想像もつかないオルフェリアの盛り上がり方にフレンは呆気にとられた。どうやら今まで感動しすぎて魂が抜けていたらしい。
「みんなほんっとうに女性なのよね? なのにどうして騎士役の人たちはあんなにもりりしいのかしら! わたしとても吃驚したわ。だって本当に男性にしか見えなかったんだもの。とてもかっこいいし、どきどきしてしまったわ」
「へえー、それはよかったね」
「立ち姿とか、決闘シーンとか、もちろん歌も素晴らしいし。もちろんお姫様役の方も可愛らしかったわ。あんなきれいな声初めて聞いたわ」
フレンは、オルフェリアおまえもか、というような心境だった。
堅物のオルフェリアまでもを虜にするとはメーデルリッヒ女子歌劇団恐るべし。ちなみに女性が男役の女優をほめちぎっているときにむきになって、本当の男の方が~などと反論しようものならそのあと数倍になって返ってきて喧嘩になること必死なのでここはひたすら相槌を打って女性の熱がひと段落するのを待つに限る。
過去の経験から学んだことだった。学んだ相手は従妹のレカルディーナからだ。
「王太子妃様もお好きだったんでしょう。わたし新聞の記事で拝読したことがあるのよ。まさか自分がルーヴェで観ることができるなんて思わなかったけれど」
一通りしゃべって落ち着いたオルフェリアはようやくお茶とケーキに手をつけた。
王太子妃関連の記事を新聞で読むあたり、顔には出さないだけで中身はわりとミーハーなのかもしれない。
「だったら私と婚約した甲斐があっていうものじゃないかな」
「そうやってすぐつけ上がる」
オルフェリアはぷうっと頬を膨らませたが、溌剌とした薄紫色の瞳からは観劇の興奮がまだおさまっていないことをフレンに教えてくれていた。
「美味しい」
口に含んだケーキの美味しさに身体を震わせているオルフェリアはフレンの知っている他の令嬢や従妹と変わらない。ようやく十代の少女特有のあどけない一面を観ることができて安心した。
「よかったら私の方も一口どうぞ。まだ口をつけていないからね」
「ありがとう」
「けどメーデルリッヒ女子歌劇団の公演を気に入ってくれてよかったよ。うちは出資をしている関係上、女組すべての劇場に年間指定席を持っていてね」
「すごいのね」
「で、フリージア組の現在の演目は来週が千秋楽だ。私もルーヴェの本社で会議やら調整事項やら色々と仕事もあるし、きみには明日から毎日『姫君と二人の騎士』に通ってもらいたい。あいている時間に他の組の演目を観てもらってもいいけど最優先はフリージア組の公演」
「毎日?」
オルフェリアはケーキからフレンの方へ視線を移した。
「ああ毎日だ。ミネーレに付き合ってもらうといい。彼女には付添人用のドレスを買うように指示をしておこう。あと、体調がよければお祖母様を誘うか、そこはきみにまかせるよ。で、千秋楽の後会わせたい人がいる」
「もしかして昨日の?」
「ああ、ユーディッテだよ」
フレンの指示にオルフェリアは少し小首をかしげながらも素直に頷いた。
「やけに素直なんだね」
「わたしだっていつもつんけんしているわけじゃないないのよ。それに、まあ……、彼女悪い人じゃないみたいだったし。あなたじゃなくて彼女の言葉を信じることにしたの」
オルフェリアはあくまでフレンではなくユーディッテに免じて、というところを強調した。
彼女をルーヴェに連れてきた理由は千秋楽の後話すことになるだろう。
◇◇◇
「なんだかんだ女組を気に行ってくれてうれしいよ。祖母も久しぶりに出かける機会が増えて楽しんでいたみたいだし」
「わたしね、気付いたのよ。女組の公演は女性同士で通うのが断然に楽しいって!」
「悪かったね、一昨日の千秋楽は私が同伴で」
オルフェリアが断言すればフレンは拗ねたような声を出した。
「べつにいいわよ。みんなとはもう十分に堪能したもの」
「ま、オルフェリアが楽しんでいるようで安心したよ。半ば強制的にルーヴェに連れてきたからね。少し心配していたんだ」
「フレンでもそんな殊勝なこと言うのね」
「きみね……」
二人は並んで歩いていた。
千秋楽から二日後。
オルフェリアとフレンはとある屋敷へと出向いている最中だ。
オルフェリアの腕のなかにはフリージアを基調とした大きな花束がある。
「心を砕いてくださっているのはオートリエ様やカルラ様、それにミネーレだもの。ルーヴェの市内観光に連れて行ってくれたり、仕立屋めぐりは……、試練だっわ」
オルフェリアは連日のように連れて行かれた「ミネーレ厳選☆ルーヴェで絶対に行くべき仕立屋」での光景を思い出した。
当分着せ替えごっこは遠慮したい。
「ルーヴェはいいところだろう」
「そうね」
フレンが誇らしそう胸を張った。
別にフレンの手柄ではないけれど、確かにルーヴェは素敵な街だと思うからオルフェリアは素直に同意した。
「今度、私ともどこかに行く?」
「いいわよ、無理しなくて。王宮も凱旋門も大聖堂も、離宮も全部連れて行ってもらったもの」
「……」
そうこう話しているうちに二人は目的地の建物の前へと到着した。
「さて、ついたよ。今日の段取りは覚えている?」
「ええ」
オルフェリアは訪問前にフレンから渡された台本を頭の中で反芻する。最初呼んだときは「なんなんですかこの役回り!」と叫んでしまった。
「さあしっかり頼むよ、婚約者殿。今日の話し合いが成功するかはきみの台詞にかかっている」
屋敷の扉を開く前フレンは口の端をゆるりと持ち上げた。
「もう、なんとでもなれってかんじよ」
オルフェリアは乾いた笑いを浮かべた。