五章 舞踏会へようこそ6
◇◇◇
あいにくと控室にミレーネはいなかった。一緒にいるであろう仕立屋の女性も不在である。一部の終了までまだ時間があるからもしかしたら食事でもしているのかもしれない。付添人用の食事も供されているはずである。
迎賓館の地上階の客間は招待客の女性のための更衣室として解放されている。あらかじめ割り振りされており、何名かずつで一室を使うことになっている。
「あら。お嬢様御戻りでしょうか」
控室に居残っていた他家の侍女がオルフェリアに気付いて声をかけてきた。
黒い髪をした侍女は目元が隠れるくらい長い前髪をしている。それでちゃんと仕事はできるのだろうか、とオルフェリアは関係ないくせに気になった。
「ええ。メンブラート家の者はどこにいるのかしら」
「実は先ほど別の令嬢のドレスに不具合がございまして。そちらの修繕に駆り出されています」
「そう」
不測の事態に人出が必要だったのだろう。
仕方ない。オルフェリアはミネーレが戻ってくるまで待つことにした。近くにあった椅子に座る。舞踏会用のドレスは一人で脱ぐことができない。せめて染みくらいはどうにかしたいな、と思って濡れた布巾を持ってきてもらおうとオルフェリアは黒髪の侍女に頼んだ。
「ああその前にお嬢様。実はこれを預かっていまして」
侍女はおずおずと白い封筒を差し出してきた。
オルフェリアは不思議に思って封筒と侍女を交互に見た。
「ちょうどメンブラート家の侍女の方がいなくなった後に、持ってこられたんです。だからわたしが」
オルフェリアは封筒を開けた。糊付けはされていなかった。
『中庭で待っています。 ダヴィルド』
オルフェリアは息をのんだ。
「ど……どうして……」
オルフェリアの顔から瞬く間に血の気が引いていく。手紙を持つ手が震える。
どうして。
「お嬢様? いかがなさいましたか?」
黒髪の侍女が訝しげに尋ねてきた。
突然顔色を失い、手紙に釘づけになったオルフェリアの態度を不審に思ったのだ。
「いいえ……なんでもないわ。あなた、これは誰から頼まれたものなのかしら?」
オルフェリアはようやくそれだけ質問をした。
「ええと。男性でした。そうそう、金髪をしていました。明るい色だったからよく覚えています」
侍女は少しだけ顔を宙に向けて記憶を探るようにゆっくりとしゃべった。最後金髪と言うとき、これだけは自身があるようではきはきした口調で断言をした。
金髪。ダヴィルドも同じ髪の色を持っていた。
「他には何か言っていなかった?」
「いいえ。とくには」
「そう。ねえ、あなた。明かりは持っている? わたし少し外に行きたいのだけれど」
オルフェリアはここで考えても仕方ないと思い、目の前の侍女に尋ねた。
いたずらか本物か。考えていても仕方ない。だったら確かめればいいことだ。
「明かりですか?」
侍女は首をかしげた。
控室から動かない侍女がそんなものを都合よく持っているわけがない。
「ええと。じゃあ少し一緒に来てくれない? 途中でミネーレと合流するまででいいわ」
さすがに一人は不用心すぎる。オルフェリアは彼女に無理を承知で頼んだ。どこかでミネーレに会えれば、そこからは彼女に付き添ってもらえばいい。
オルフェリアの口調にただならぬものを感じたのだろう。侍女はこくりと頷いた。
「お急ぎのようですね。分かりました。お付き合いします」
オルフェリアは侍女を伴って控室から飛び出した。
◇◇◇
友人や顔見知りと挨拶している間にオルフェリアのことを見失ったフレンは人の合間を縫うように歩き彼女を探していた。
フレンと最初の曲とそのあといくつかを踊った後、オートリエの夫と彼女はダンスを踊った。
そして合間に挨拶をし、世間話に付き合わされているうちにはぐれてしまった。
舞踏会は社交の一環だから、いくら連れだとはいえ始終一緒というわけにはいかないのが辛いところだ。
今日のオルフェリアはフレンの欲目を抜きにしても美しかった。
ルーヴェから呼び寄せた仕立屋は最新流行のドレスを仕立て、布地も上等なものを使っている。舞踏会でオルフェリアは視線を集めていた。
先ほどファティウスにも「先輩が本気になると恐ろしいですね」と言われたほどだ。とか言いつつ、フレンの手の内を読んでいたファティウスだってルーヴェから仕立屋を呼び婚約者のドレスを作らせた。
アルンレイヒの夜会でルーヴェの底力を見せつけてどうする、と思ったが被ってしまったものは仕方ない。
一人になったオルフェリアには絶対に変な虫が寄ってきていると思う。そして、彼女はそれに気付かずに普通に対応していそうだ。
(というか絶対に警戒心もなくついていっているに違いない)
純粋培養のお嬢様は自分がモテるという自覚もないからたちが悪い。
歓談用に開放された控えの間や回廊も順に見て行く最中、フレンはホルディと鉢合わせた。
ホルディの隣にはミリアムが体を寄せるようにぴったりと張り付いている。
「ああ、ファレンスト氏。ちょうどよかった。話したいことがあったんです」
ホルディはにこりともせずに話しかけてきた。こちらはあまり話す用事もないからまた後でと言いたかったが、彼はフレンの返事も聞かないままミリアムに断りを入れた。
ミリアムは不服そうにフレンのことを睨みつけた。オルフェリアになにかときつく当たる令嬢だということはミネーレから聞き及んでいる。確かに、美人だがきつそうな顔立ちの娘である。
ホルディは人の輪から外れた窓辺にフレンを連れて行った。
「先日ロームについてお話ししましたでしょう。最近になって妙な噂が流れてきていましてね」
「噂?」
「ええ。ファレンスト商会ロルテーム支店で行われているという取引について」
「事実無根だ」
フレンは即座に否定した。
「本当に? あなたも知っての、それこそ一族ぐるみではないのですか」
「そんなことあるわけないだろう」
フレンがフラデニアに帰っている間に流れてきた噂。それはファレンスト商会のロルテーム支店が奴隷取引を行っているというものだった。もちろん根も葉もない噂だ。
現在西大陸とアルメート大陸の主要な国では奴隷取引は禁止されている。
ファレンスト商会は奴隷商売には手を出していない。過去も現在も。もともと国内の流通から始まって次第に事業を拡大し、貿易も手掛けるようになった。人間を取引の品物に加えたことは一度もない。
「悪いけど、たちの悪い冗談に付き合っている暇はない」
フレンは一蹴した。
「ですが、彼女の今後を考えるとあなたのような方はふさわしいとは思えません」
ホルディは尚も言い募った。
フレンは不愉快になって眉根を寄せた。
「それこそ余計なお世話と言うものだろう。きみは彼女の親戚か何かか?」
「彼女は可愛い後輩の姉です。リュオンはまじめだ。彼には期待しているんですよ。変な醜聞に巻き込まれてほしくない」
フレンはホルディをまじまじと見つめた。感情の読めない、深い色の瞳をしている。
商売人とは違う、貴族の目だ。
「ご忠告ありがとう。しかし、根も葉もない噂だ。あまりまき散らしてほしくないね。中傷だと知れたら、こちらも容赦はしないよ」
「ええ。もちろん。私は噂話は好みません」
それだけ言ってお互いに別れた。
どうやら早々にもアルンレイヒから離れることになりそうだ。すでに父エグモントはロームに入っているはずである。
嫌な予感がした。
噂の域を出ない割に、情報が拡散する速度が速すぎる。誰かが故意に悪意ある情報を流している。
しかし、今はオルフェリアである。
フレンは頭を切り替えて婚約者探しを続行した。




