五章 舞踏会へようこそ4
「緊張していない?」
フレンはオルフェリアに囁いた。
「ん……、平気。フレンが隣にいるもの」
オルフェリアは小さく笑った。
フレンがミュシャレンに帰ってきてから感じていることだが、近頃オルフェリアはよく笑うようになった。フレンの視線にもよく気付く。見つめていると目が合うことが増えたような気がする。嬉しいけれど、自分の気持ちがばれてしまいそうで心臓に悪い。
「迎賓館、初めて入ったわ」
「私もだよ」
南方から運んできた淡い珊瑚色の大理石の床と薄灰色の大理石の石柱に支えられた正面大ホールに足を踏み入れると、方々から視線が突き刺さる。
皆、新しく入ってくる人物の顔を確認し、身づくろいを品定めする。ざわざわとした舞踏会独特の雰囲気だ。ミュシャレンに居住するようになって三年が経過し、フレンの顔もこちらでだいぶ知られるようになってきている。
入口ホールに掲げられた大きなシャンデリアの明かりが女性の宝石に反射する。
「メンブラート伯爵令嬢ですわ」
「ファレンスト氏も一緒ですのね」
「なんでもファティウス殿下とファレンスト氏は大学時代の先輩後輩の間柄だとか」
「ああ、なるほど……」
ちらほらと噂話が飛び込んでくる。このような噂を仕入れるのは女性の方が得意である。それにしても耳の早いことだ。
フレンはまっすぐに正面を見据え、オルフェリアとともに階段を上っていく。
舞踏会は王太子の挨拶から幕を開けた。
最初の曲に合わせて国王夫妻、王太子夫妻、そして本日の主賓であるファティアスとレーンメイナが踊る。オルフェリアはフレンと踊りながら、ちらちらと物言いたげな視線を送ってきた。
おそらく要らぬ気遣いをしているのだろう。レカルディーナが王太子と踊っていようと何も思わないのに。
「今日は足を踏んでこないの?」
代わりにフレンは軽口をたたいた。
まだ偽装婚約したての頃、オルフェリアとは喧嘩ばかりだった。何かの拍子で彼女は機嫌を損ね、踊っている最中ずっとフレンの足を踏もうと画策していた。そういう令嬢らしからぬところも面白いな、と思った。
「ふ、踏まないわよ。失礼ね」
「きみにだったらいくらでも踏まれてもかまわないのに」
「だから踏まないって言っているでしょう」
オルフェリアは頬を膨らませた。
膨らんだ頬を指でつついてみたくなったけれど、あいにくと今は踊っている最中だ。
オルフェリアはフレンのリードを優雅に受け止め、かろやかに足を滑らせる。
そう。オルフェリアは踊りの筋は悪くない。あの時は本当に腹に据えかねていたのだろう。
けれど、自分の足を踏もうと画策する彼女はそれはそれで可愛いから、今だって踏んでくれていいのにと思う。だいぶオルフェリアに毒されているな、と内心苦笑する。
何曲かオルフェリアと踊って、曲調が変わって彼女と手を離した。
婚約者同士といえど、舞踏会で同じ女性とばかり踊るのはマナー違反だ。
オルフェリアの次のパートナーはパニアグア侯爵だった。
◇◇◇
フレンと分かれて次に踊った相手はなんとパニアグア侯爵セドニオだった。
オートリエから紹介を受けて面識があったがいつも挨拶を交わすくらいでまさか今日こうして踊りの相手をしてもらえるとは思わなかった。
「こんばんは。可愛らしいお嬢さん。おじさんのお相手でさびしいだろうがしばらく付き合ってくれると嬉しいな」
すでに五十も半ばを過ぎているセドニオは白髪交じりの褐色の髪を後ろに撫でつけ、オルフェリアを優雅にリードする。
笑うとすこしレカルディーナに似ているな、と思った。
「こちらこそ。あまりご挨拶もできずに申し訳ございませんでした。いつもオートリエ様には何から何まで良くしてもらっています」
こんな席で恐縮ですが、とオルフェリアは気まじめに感謝の言葉を口にする。
「あはは。真面目だねえ。彼女、おせっかいなところがあるけど、根はおおらかで優しいんだ。いつもありがとうね。妻に付き合ってくれて」
セドニオは相好を崩した。
「いえ。こちらこそ。とても勉強になってます」
「優等生な答えだね。妻も心配していたよ。きみは真面目すぎるきらいがあるからって。色々な人と付き合っていくなかで、きっときみと気の合う友人もでていくだろう」
「はい」
きっと彼はオートリエからオルフェリアのことを聞いているのだろう。気さくな口調でオルフェリアのことを激しましてくれた。
年上の男性と踊るのは初めてだ。見守られるているような安心感があって、フレンの時のように心臓が鳴りっぱなしと言うこともなく落ち着いていられる。
父と踊るとこんな感じかなと思った。バステライドは社交は好きではないとはっきりと言いきっていたけれど、踊り自体は嫌いではないようだった。昔カリティーファと良く踊ったよ、と良く聞かされた。
やがて曲が終わり、セドニオと別れた。オートリエが彼を迎えに来て腕を絡めて、オルフェリアに挨拶をした。少しだけ顔を出してすぐに辞するとのことだった。
オルフェリアも立て続けに踊って疲弊したので壁の花に徹することにする。
決まったパートナーのいない女性は男性からの誘いを待つために壁際に寄る。オルフェリアと同じくらいの年頃の少女だと婚約者持ちのほうが少ないくらいで、両親と連れだって参加している令嬢たちも多い。
給仕の運んできた果実水で喉をうるおして何とはなしに会場を眺める。フレンは知り合いらしい男性らと話し込んでいる。
王太子夫妻は入れ替わり立ち替わり挨拶に訪れる招待客の相手で忙しそうだ。オルフェリアも一言挨拶をしたいが、なかなか入りこむ余地がない。それに、フレンのことを考えると今一歩踏み出せない。
彼はまだレカルディーナに想いを残しているのだろうか。本人は吹っ切れたと言うが、恋心がそんなにも簡単に無くなるとは思えない。
オルフェリアはフレンへこの気持ちが早々消えてしまうとは思えないからだ。
フレンとの偽装婚約が満了する八月まで、五か月を切っている。まだ五カ月、ではない。きっとあっという間だ。
来年の今頃、フレンの隣には別の誰かがいるのだろうか。オルフェリアと別れた後、フレンは別の女性と結婚する? そんな未来想像したくない。せめて、最後にオルフェリアは彼のことが好きだと伝えたい。以前フレンにレカルディーナのことが好きなら好きと伝えるべきだと言った。
だから、オルフェリアは彼に伝えないといけない。それが彼に対する誠意だと思う。
(わたし、本当に何も知らない子供だった)
今なら分かる。好きな人に好きと伝えることの恐怖が。拒絶されたらどうしよう。自分は好きなのに、相手は別の誰かを想っている。
考えただけで胸が痛くなる。
オルフェリアはフレンの顔を眺めて、泣きそうな顔になった。
わたしを選んでほしい。他の誰にも取られたくない。
どうしたらあなたの側にいられる?
「こんばんは。お嬢さん」
突然オルフェリアは影に覆われた。
見上げると目の前にホルディが佇んでいた。
「こんばんは。ルーエン卿」
「一曲踊ってくれませんか?」
ホルディは手を差し出してきた。




