五章 舞踏会へようこそ
『ごきげんようオルフェリア。元気にしているかしら。王都では舞踏会が開かれますのね。わたくしも参加したかったのだけれど、旦那様と仲良くすることが重要課題ということで、今回わたくしは欠席ですの。舞踏会には義父母が出席する予定ですわ。是非舞踏会の様子をお手紙に書いてちょうだいね。そうそう、旦那様といえば結婚生活には体力が必要ということを現在のわたくしは痛感していますの。オルフェリアもいまから体力をつけておくことをお薦めしますわね』
ひさしぶりにエルメンヒルデから届いた手紙を読んでオルフェリアは首をかしげた。結婚生活に体力が必要とは、これいかに。領地で薪割りでもしているのかしら、などと見当違いな心配をするオルフェリアである。
エルメンヒルデとの文通は楽しい。
彼女は純粋にオルフェリアに好意を抱いてくれているから。ミュシャレンでの最近のオルフェリアの社交修業も彼女にとっては王都の様子を知る格好の材料になっているらしい。誰それのお屋敷の執事は実はかつらなのよ、なんて笑い飛ばしていいのか判断がつきかねることまで手紙で教えてくれた。
手紙といえば。
ミリアムの名を騙った差出人不明の手紙はあれきり一通も届いていない。結局あれはダヴィルドからのものだったのだろうか。迎えの者とは一体誰なのか。
オルフェリアも一応周囲に警戒していて、あまり一人きりにならないようにしている。といっても貴族の女性が外を一人で出歩くなんてことは滅多にない。移動は馬車を使うし、訪れる場所だって冬の時期はほぼ室内に限られる。たまに外を散策する時もミネーレが一緒である。
あまりに身辺が平穏だからオルフェリアも周囲を気にするのが馬鹿らしくなってくる。
舞踏会を数日後に控えたとある日。
フレンがオルフェリアのためにルーヴェから呼んでくれた仕立屋は彼の地でも有名な店の人間で、あっという間にミュシャレンに噂が広まった。
ミュシャレンでも一度は聞いたことのあるほどの仕立屋なのだ。最近オルフェリアの元に直接届くようになったお茶会の誘いを無下にすることができずにいくつかに顔を出したが、そこでもやっぱり同じ話題が口上に登った。
現在、オルフェリアはフレンの邸宅でドレスを合わせている最中である。
仕上がったドレスを試着して、ドレスに合わせて作らせた靴と手袋、髪飾りも合わせていく。
「少し胸元が露出しすぎじゃないか?」
試着にはフレンも立ち会っていて、彼はオルフェリアのドレス姿を目にするなり不満点を口にした。オルフェリアは自分の胸元を見下ろした。豊かとはいえない肉付きをしているのは自覚している。
昔リシィルが言っていた。『十七とか八になれば胸だって大きくなっている』だなんて。嘘つき。オルフェリアはこの間十七になったけれど胸は十六のころと変わらない。全然成長する兆しがない。オルフェリアはリシィルの胸を脳裏に浮かべた。確実にオルフェリアよりも大きい。同じ母から生まれたのにこの差はなんだろう。納得できない。
「そうですか。これが今ルーヴェでの最先端の流行ですよ。これでもまだ押さえた方ですのに」
仕立屋は淡々とした口調でフレンをあしらう。男の狭量発言には慣れているからだ。そしてこの発言を真に受けていては仕事が進まないのも承知している。仕立屋の仕事は夫の意見に耳を傾けることではなく、依頼主の女性をいかに美しく見せるか、なのだから。
「ですよね。このお胸のカット、絶妙じゃないですか。清楚さと大胆さを融合させて、それでいてお嬢様の初々しさを見事に引き出しています。ああもう、わたしパンいくつでも入りますわっ!」
ミレーネは自身の熱い思いのたけをぶちまける。それを冷ややかに見つめるのはフレンだ。
「きみのパンはどうでもいい」
「フレン様の意見もこの場では必要ありませんわ」
ミネーレとフレンはバチバチっと視線を絡めた。火花を散らし始めた二人から興味を失った仕立屋はオルフェリアにドレスと同じ布地で作ったリボンを髪に巻いていく。光沢のある白銀色の布地は光を当てると薄い紫色にも見える不思議な色合いだ。そのスカートの裾には同じく銀糸を織り込んだ光沢のある糸で野薔薇模様が刺繍され、ところどころに真珠が縫い付けられている。後ろのすそ部分が長くレエスがふんだんに使われている。
オルフェリアは鏡をまじまじと見た。
このドレスを着てフレンと舞踏会へ出席をする。
オルフェリアがフレンへの気持ちを自覚して初めての舞踏会。今までのように仕事とは割り切れない。彼にエスコートされて、ダンスを一緒に踊る。ダンスの予定表はすでに招待客に知らされており、オルフェリアは曲目に合わせてダンスの練習を受けている。
「あの、フレンはその……やっぱりわたしには似合わないって思っている? 胸、無いものね……」
先ほどからのフレンの様子にオルフェリアは消沈した声を出す。
「いや。オルフェリアは綺麗だよ」
フレンは慌てた様子で言い繕った。
「でも……胸隠せって。わたしの胸が貧相だからでしょう」
やっぱり彼は豊満な体つきの方が好みなのだろうか。今から毎日牛乳を飲めば少しはましになるだろうか。
「いや、そういうことじゃなくって。別にきみの胸はそこまでみすぼらしくもないと思うし」
フレンは色々と言い淀む。
「本当?」
フレンの言葉にオルフェリアは振り返った。今まで鏡越しに会話をしていたのだ。
「当日は薔薇の生花をいくつかドレスと髪につけましょう。色はドレスに合わして紫系統のものがいいですわね。もしくは淡い黄色でもよいかもしれません」
二人の初々しいやりとりをあくまで事務的に受け流す仕立屋はきびきびとした口調でミネーレに指示を出した。
「さあ、お嬢様。もう一着のドレスの試着も残っております。こちらへどうぞ」
オルフェリアは促されるまま隣室へ移動する。
舞踏会は一度なのに、仕立てたドレスは三着ほどある。公の舞踏会ではドレスの色が被ったりその他突然の事故などに対応したり、一部と二部でドレスを着替えたりと、いくつかドレスを用意しておく。
一番の本命が先ほど試着をした淡い色のもので、次に着るのははっきりとした紅いドレス。最後に用意されているのは淡い新緑色のドレスだった。ピンク色の小花が縦縞に刺繍をされていて春を思わせる意匠になっている。三着のドレスに合わせてそれぞれ靴や髪飾りも変えることになる。当日は仕立屋もミネーレと一緒に舞踏会に付き添うことになり、控室でオルフェリアの着替えを手伝う手筈になっている。
「肩が出過ぎている点については色々と意見を言いたいところだけど、オルフェリアが可愛いのは間違いない」
フレンは実に分かりにくい評価を下したので、オルフェリアは自分がドレスに負けているのか、それともちゃんと着こなしているのかいまいち判断がつきかねた。
「とにかく当日は絶対に婚約指輪を身につけてみんなに見せびらかすように」
オルフェリアは最後にフレンから何度も念押しされた。
◇◇◇