とある町の7不思議 その6 目前立札
いやあ、ありがとうございます。
まさか往来のど真ん中で、義足が壊れてしまうとは……。
大事に使っていたんですが、寿命がきたんでしょうね。
いえいえ。
お陰様で本当に助かりました。
どうぞ、ここは私が支払いますので、いくらでも食べてください。
私のお勧めのお店なんですが、気に入って頂けるかどうか……。
……この右足、気になりますか?
ハハハ、いやいや。
もう70年以上前の話です、気にしませんよ。
70……何年前……だったかな?
あれは大東亜戦争の末期。
この辺りが空襲で焼け野原になった時のことです。
今でも耳に焼き付いて離れません。
飛び回るB29の爆撃音と、狂ったように鳴り響く避難サイレンの音。
ええ、そうです。
妹を助けようとして。
その時に、持っていかれました。
ハハハ、いやいや。
全然苦しい記憶ではないですよ。
もちろん数年間は恨みもしましたが。
今ではこの程度の犠牲で妹を助けられたことを誇りに思っています。
……ところで、もめんどうふ、って、ご存知ですか?
あ、食べ物の方じゃありませんよ。
『目の前の立札』と書いて、『目前立札』と、そう読むんです。
えーと、何と言いますか。
この町に伝わる、昔ながらの怪異、みたいなものですかね。
歩いていると、目の前に立札が現れるんです。
いつも通る道で、そんなものは今までなかったのに。
立札には、突拍子もないことが書かれています。
曰く。
『二町ノ間、後ロヲ向イテ進ム可シ』
曰く。
『三本ノ杖ヲ付イテ進ム可シ』
そして。
書かれた文章を無視して先に進むと、罰が下る、というものです。
え?
2町、ですか?
そうですね、もう昔の言葉になってしまいましたね。
距離の単位ですよ。
今でいうと、210mくらいですかね。
後ろ向きで210mも歩くのは難しい、ですか?
まあ、そうですよね、ちょっと無理でしょう。
途中で転んでしまう可能性が高いと思います。
それに、これ以上に無理難題が出ることもあるんですよ?
それこそ、100mを5秒で走れ、だとか。
そういう時にはですね、対処法があるんですよ。
知りたいですか?
……別の道を、行けばいいんです。
ええ、そうなんですよ。
簡単に逃げられるんです。
ハハハ、ねぇ。
馬鹿みたいでしょう?
まあ、そんな『目前立札』ですが。
私が出会ったのは、まさにその空襲の最中、でした。
当時の私は16歳。
年の離れた2歳の妹を背負って。
焼き夷し弾の嵐の中を、一目散で防空壕へ走っていました。
どこもかしこも焼け爛れた匂いが充満していましたね。
森や木、家や小屋、家畜や……人。
全部が燃えました。
防空壕まで残り200m程度の距離になった時。
それは、現れました。
あたり一面、激しい熱量を放出して消し炭になっていく中。
その立札だけが、静かに、冷たく、立っていたんです。
一目見て分かりました。
これが、あれか。
……ってね。
ええ、そうです。
それが、目前立札、でした。
先ほども言った通り、目前立札から逃げるには、別の方向へ逃げれば良いんです。
でも、そんなのは、無理でした。
どこへ逃げても、死が降り注いでいたのですから。
私は恐る恐る、立札の文章を読んだのです。
……内容は、こうでした。
『16貫二満タヌ様二進ム可シ』
……あ、そうですね。
16貫というのは、重さの単位で。
今でいうと、60㎏くらいでしょうか。
当時の私の体重は16貫に満たない程度で。
妹は2.5貫程度。
服は着の身着のままだったのでほとんど裸も同然でしたが。
どう考えても2.5貫……9㎏くらいオーバーしてしまうのです。
つまり、これは、こういうことでした。
どちらかは生きて。
そして。
……どちらかは死ね、と。
ええ。
そりゃあ、悩みましたとも。
今すぐ背中の重しを投げ捨てて、逃げてしまいたい気分でした。
汗だらけで立ち止まる私に。
背中の重し。
……2歳の妹は、何かを理解したように言いました。
おにい、おいてって……って。
……当時の彼女は、文字が読めなかったはずです。
でも、私が立ち止まって考えるのを、見て……見抜いて。
そして、そんな言葉を喋ったのでした。
私は。
嗚呼、私は。
妹を背負ったまま、走り出したのです!
轟轟と燃え盛る周囲の熱気。
でも、後ろからは。
如何ともし難い、気味の悪い、冷たい気配が、ぞろり、ぞろりと近づいてきたのです。
私は妹を、おんぶから、抱っこへ。
走りながら慌ただしく体勢を変化させました。
なんとか、妹だけでも守れるように、です。
今まで出したこともない火事場の馬鹿力での全力疾走。
もう少しで防空壕、というところまで、私たちは近づいていました。
……けれど、それは。
防空壕の数m手前で。
私を捕えたのです。
見えない何かは、私に覆いかぶさり。
そして、妹を掴んで攫って行こうとします。
私は泣きながら、彼女だけは助けてくれ、彼女だけは助けてくれ、と叫んでいました。
……気が付くと、私は防空壕で目を覚ましました。
防空壕の手前で倒れた私と妹を、中の人が助けてくれたそうです。
はい、そうです。
妹も。
無事、でした。
ええ。
2人とも、助かったんです!
……信じられないことに、ですが。
はい、本当にその通りです。
あの時、妹を置いていかなくて、本当に、良かった。
おかげで、2人とも生き残ることができたのですから!
その後も、本当にたまたま、運に恵まれて。
私たち2人は、無事戦争を生き延びることが出来ました。
妹、ですか?
……大分おばあさんになってしまいましたが、未だに私の家に掃除なんかしに来てくれたりします。
ええ、人の良い世話焼きお婆ちゃんですよ。
……さて。
なんだか、話し過ぎちゃいましたかね。
あ、お食事は、もう大丈夫ですか?
ここはデザートも、美味しいんですよ?
……そうですか、それならば良かった。
あ、すみません。
お会計を。
……さあ、それでは行きましょうか。
この度は、本当にありがとうございました。
また出会える日があれば、是非またご一緒させてくださいね……。
……え。
最後に質問?
空襲で、足を失ったんじゃないのか、ですか?
……あ。
ああ、そう言うことですか。
いいえ、違いますよ?
空襲の時に失いましたが。
空襲で失ったわけでは、ありません。
……分かりませんか?
罰、ですよ。
持っていかれたんです。
16貫から余った。
……2.5貫分を、ね。




