イチジク台へ
翌日、
聖はイチジク台にいた。
シロも一緒だ。
新興住宅街に入る道の脇に、車を停める。
途中小降りだった雨が次第に激しくなってきた。
傘が必要なくらいに。
イチジク台は、山裾に扇型に広がっている。
「俺が子供の頃は、この辺り一帯、柿畑だったんだ」
とシロに説明する。
扇型の、一番上。
頂点が給水塔だ。
浦上家は簡単に見つかった。
給水塔へ続く、メインストリートを上っていく途中、
女が、
家の前で黄色い傘を差して、狭い庭を覗いていた。
その家の表札が「浦上」だった。
敷地五十坪。建て売りとしては大きな家だ。
外壁はモノトーン。
カーテンはブルーで統一され、全て閉じられている。
室内は見えない。
「何か、あったんですか?」
近所の住民を装って、聞いてみる。
「あっ」
女は、大げさに後ずさる。
四十代後半、小柄で痩せている。
紺とシロのボーダーのTシャツに、白い半端な寸のパンツ。
手首は黒いが、顔面だけ化粧で白い。
付け睫毛なのか、濃いマスカラなのか、小さな目を囲っている睫が線香花火の先のように太い。
女は、聖の顔を長すぎる位眺めた後、シロを見て、
「まあ」
と、甲高い声を上げる。
「まっしろで、綺麗」
と。
犬嫌いでなくて助かったと、聖は思う
「ここの一家、失踪したんですよ」
女は、半歩近づいて言う。
「え? 失踪ですか」
わざとらしく驚いてみた。
「三月に息子さんがね、死んだんです。中学二年の双子の、一人。その葬式の晩から、一家三人行方不明なんですよ、」
で、始まって
問わず語りに、ぺらぺら喋り始めた。
「双子の一人は大阪の紫星中学まで通ってて、亡くなった子は、息子と同じ公立中学なんです。
実はね、不登校やったんです。突然死ということにしてるけど、自殺らしいですよ……。
浦上さんは、二年前に、此処に引っ越して来たんです。子供達が、中学入る年に。……同級生やから、息
子はもちろん、お通夜に行きました」
そこで、大きく深呼吸し、また半歩近づく。
右手は聖の白衣の袖をつまんでいる。
「死んだ空君が、紫星中学の制服着て立ってたと、青い顔して、震えてたんですよ」
このオバサンの息子は、<空>を知っていた。
一目で<入れ替わり>に気づいたのだ。
オバサンの小さな三角の目は潤み、今にも涙がこぼれそうだ。
浦上家への同情というより、
好奇心で、高揚してる感じがして、
生理的嫌悪感に、目を背けた。
一刻も早く、このオバサンから離れたいが、何らかの情報は欲しい。
聖は
ちょっと考えて聞いてみた。
「この辺、のら猫が多いんですね」
まだ一匹も見ていない。
さも見たかのように嘘をつく。
猫はキーワードだ。
唯一の手がかりだ。
オバサンは野良猫と聞いたとたんに真顔になった。
「誰かがね、餌をやってるらしい。年明けに、自治会長に頼んで、保健所に駆除して貰ったんやけどね。まだ残ってるみたいやね」
と
「おんなじ柄を二三匹見ましたよ。細い横縞の」
「ちょろちょろして、車に轢かれるのが、一番困るねん。あれは気持ち悪い。子供に見せらへん……そう言うたら、この辺りで、轢かれたんや」
悪い兆しを思い出したかのように、声を潜める。
「お兄さんが立ってる、そこや、」
浦上夫婦が語った轢死か?
「それ、いつの事ですか?」
「確か……葬式の二三日、前やった。浦上さんの奥さん、真っ青な顔で突っ立ってたわ。声かけても返事もせんと。仕方無いから、私が役所に電話掛けたんや」
浦上夫婦が語っていたのと、日付はズレているが、
事実、だった。
聖は、
給水塔まで行った。
シロの気配で、数匹の猫が四方に散った。
同じキジトラ柄の猫たちだ。
此処を住処にしているらしい。
柵の中に、
<剥製猫>を見つけた。
雑草に隠れていて、人目には触れない。
シロが見つけた。
連れてきて正解だった。
キジトラで不格好。
浦上から預かったのと、製造者が同じなのは明らかだ。
1度目は玄関からだした。
2度目は生ゴミで捨てた。
3度目は給水塔に捨てた。
4度目は河原に埋めた。
5度目は家の前で轢かれて死んでいた。
6度目は風呂場で殺して持ってきた。
「1と2は同じ猫でありうる。誰かが、おそらく双子が、父親が外に出したのを、こっそり家の中に戻した。そして生ゴミで出されたから回収不能。5は剥製では無い。6は黒い箱に入れて持ってきたアレ。残るは4か……シロ、川へ行くぞ」
聖は、
浦上がわざわざスマホで見せた河原の地図の記憶をたぐる。
どこかわからない大きな川でなく、イチジク台から近い。
それなら吉野川に、決まっている。
シロを後部座席にのせて、浦上が辿った道を考えてみる。
浦上は、イントネーションから、関西人でなかったし、引っ越してきて二年。
土地勘が余り無いと想定する。
ナビの指示に従うと。
五分程で吉野大橋。
渡り切った左の土手に、車を停めるスペースがあった。
ふと、最初は<化け猫>を川に投げ捨てようとしてたかも、思う。
その方が簡単そうだから。
でも、橋の手前に駐車できる場所はない。
交通量が多いので、橋の上で車を停められない。
「どうだ、オレの推理? 」
シロに聞く。
ワン、と返事をし、尾を振ってくれる。
「仕方なく河原へ降りて行ったんだ。川に流すつもりで」
雨のせいか、河原に人影は無かった。
ペットボトルにポテトチップスの袋。
誰かの残したゴミが点在している。
広い川は、河原もとても広い。
野球が出来そうなくらい。
「面倒になったんだ。川まで距離があるし、足下も見えにくい。砂に埋める方が簡単だったのさ……シロ、探せ」
リードを外すと、シロは迷いもせず橋脚の下に走っていく。
「橋の下か。成る程。人に見られたくないから、ソコにするんだ」
シロは、(三体目の)剥製猫を咥えて戻ってきた。
夜になっても雨は降り止まなかった。
応接セットのテーブルに、
三つの<剥製猫>を並べ、
浦上が腰掛けていたソファに座り、
目を閉じてぼんやりしていた。
……もうすぐマユの声が聞こえる。
……今夜の聖は、はっきりそれがわかった。
「三匹とも、片耳が切ってあるね。どうしてかしら?」
マユの顔が正面にあった。
小首を傾げ右手の人差し指を唇に当てている。
見慣れていない正面顔が
大人っぽくて緊張してしまう。
「俺は、わからない」
聖には全く見当もつかなかった。
「同じ猫だと思わせるため? ……そうだとしたら、コレを造った目的は、浦上夫婦を怖がらせる事、かな」
「コイツが、玄関にあって、捨てたのに、また家の中にいたら、そりゃあ、怖いよな。生きてる猫よりヤバいかも。悪質ないたずらでは済まされない。猟奇的だよ。あの双子が、親への嫌がらせに、わざわざ猫を殺したとしたらね」
「ねえ、実際、いたずらしたのは、双子のうちの、一人でしょ。
昴君が死んでから<化け猫>つまり<剥製猫>は現れたんだから」
そうだった。
昴が死んだ日の夜に、初めて<化け猫>が出たのだ。
「昴君が死んだ日の夜に<剥製猫>を玄関に置いて、気味悪がった父親が外に放り出した。……回収したのは、空君」
でも……。
浦上は確か、給水塔へ捨てに行くとき、
ミャア
と鳴いたと言っていなかったか?
「昴の魂が乗り移って……剥製を動かした、とかは、ないのかな?」
マユが教えてくれたように、スバルの幽霊が剥製猫に乗り移れるなら、動かすことも可能かと。
すると、
マユが答える前に、剥製棚で、微かに何かが動いた気配を感じた。
アリスだ。
じいーっと見ると、
いつもの位置より、わずかに前に出ているような気がする。
(セイ、そんなことも知らなかったのか?)
自慢げに言ってる気もする。
が、
動かせても、せいぜい数ミリらしいと解った。
「昴君のタマシイは、剥製猫に宿っていたかも知れない。……でも、動かすなんて無理でしょ。お父さんに子猫の鳴き声を聞いたと錯覚させるくらいの力は、あるでしょうね」
聖は
なぜだか、双子が並んで立っていた姿を思い出す。
仲良くアリスを触って……。
「双子は、仲良くしてたんだ。だから俺は……気づかなかった」
(死者だと)とマユには言えない。
「空君は側にいる昴君を感じていたのね……双子は、一人が死者になってもコミュニケーションが取れるのかな」
「親を怖がらせる目的で<剥製猫>を数体造った、としよう。で、なんで昴は自殺したんだろうか? こんな手の込んだ事しといてさ。猫殺しが人殺しへ発展するのはわかるけど」
「昴君の自殺の理由と、<剥製猫>の関係は解らないけど、無関係じゃ無いのは確かよ。
……一番の謎は両親の行動でしょう。どうして、空君が死んだと届けたのかしら。
空君は黙って昴君の制服を着たのかしら? そして葬式の夜に家を出たんでしょ? 三月二十六日、その日<化け猫>は家に現れていないよね。一体、何から逃げていったのかしら?」
剥製猫が三体になって
<化け猫>話の事実が見えてきたが、
大きな謎が解けない。
「セイ、お友達の刑事さんには連絡したの? 」
結月薫には、<剥製猫>二体、見つけたとメールは送った。
まだ返事は無い。
「こんなグロテスクなの、此処に置いときたくないからね。さっさと取りに来て欲しいんだけどさ、」
そこまで喋ったとき、シロが短く吠えた。
同時にドアが、バタンと大きく開いた。
雨と風が入ってくる。
「な、なんだ?」
風で勝手に開いた?
いや、そんな事は一度も無かったが。
とにかく、立ち上がり、ドアを閉めに行く。
すると、外に誰か居る。
背中を向けて閉じた傘を振っている。
広い背中。
シロは吠えない。
カオルだとすぐに解ったが、一瞬腰が抜けるほど驚いた。
「お前、なんで、いきなり戸を開ける?」
「すまん、ノックと、傘を畳むのをいっぺんにした、つもりだったんだ」
と、悪びれず、ずかずか入ってくる。
今夜は一人で来たようだ。
「あ、……」
マユが、と焦った。
しかし、既に姿は無い。
カオルは、マユが座っていた椅子に、どっしり腰を下ろす。
「へえーっ。さすが霊感剥製士だな。一日で二つも見つけたのか」
どれどれと、手袋をはめて<剥製猫>を手に取り眺める。
「カオル、<化け猫>話は、妄想ではなかったかも」
聖が言えば、カオルは頷く。
「……浦上昴な、成績不振で自主退学を勧められてたらしい」
だが、
両親が頑なに、拒否したという。
「確か、退学しても、公立中学に行けるんだよな。義務教育だから」
聖は、
(嫌ならやめていい。いつでも公立に行けるから)、と父に言われていたのを思い出した。
「そうなんやけど、息子が名門校に通ってるのが、メッチャ自慢やったみたいやからなあ」
「それって……本人が一番辛い状況じゃない?」
カオルは、また大きく頷く。
「とにかくな、昴に自殺する理由はあったんや。もっと言えば、死ぬ以外に逃げ道がないとこまで、追い詰められてたかも知れないんや」
通学に二時間はかかる距離だ、それだけでも、あの華奢な身体には過酷に思える。
毎日くたくたで、勉強する時間など無かったかも。
「空は不登校や。昴が希望やったのに、いわゆる、落ちこぼれと学校から言われた。おそらく、家の中はメチャクチャやったと思う」
カオルは、額を伝う汗を拭う。
やっぱり暑がりだ、と聖は思う。
「息子らも、こんなもん造るくらい、切羽詰まってたんは、間違いないんや」
カオルは、聖にポリ袋を出させて、<剥製猫>三つを入れた。
引き取ってくれるとわかり、ほっとする。
「一家心中の可能性大や。捜索の規模を広げな、あかん」
カオルの言葉は重く聖の腹に響いた。
浦上一家の悲惨な状況は解った。
同情し、痛々しいが、
一家心中は残念過ぎる。
聖は幼なじみの広い背中に頼もしさを感じた。
カオルが、きっと、あの一家を助けてくれる。
死の影を払ってくれると。
「なあ、セイ」
外に出て、傘を開いてからカオルは振り返った。
「見間違えやと、いいんやけど、俺が此処に入ってきたとき、女の人とすれ違った」
「……」
聖は胸に、鋭利な刃物で刺されたような、
冷たい、痛い感触で、数秒、呼吸も止まった。
「髪の長い、細い子や。白っぽいガウンみたいないなん、羽織ってた」
「な、なにそれ?」
やっと出た声は自分の声で無いように、みっともない程、甲高い。
「おかしいやろ。……今の何や、消えたで、幽霊かって思ってん。セイは、霊感剥製士やからな、ホンマモンの幽霊さん、おるんかと」
聖は何と答えていいか解らない。
カオルにマユが見えた、その事実が、衝撃すぎて、思考が、先に進まない。
……カオルの目付きは鋭かった。
「ただの、べっぴんさんの幽霊やったら、見逃せるんやけどな」
と言う。
(見逃せる、だと)
お前、何が言いたい?
聖は身構えた。
真っ直ぐにカオルを見る。
「どうもな、あの顔には見覚えがあるんや。俺が知ってるという事は、彼女は何らかの事件の関係者かもしれない。俺は、頭の中に植え付けられてる、リストにある顔を見てしまった。それが幽霊であっても、確認しやな、あかんのや」