マユと触れて
幼なじみカオルと、その上司が来た夜に、
ふわりと剥製棚の前に山本マユが現れた。
聖は、抱えている厄介な出来事を、一気に喋ったのだった。
「それって、予告で見たかも。母親が顔に包帯巻いてる映画?」
言ってから、それは新作、マユが見てる筈は無い、マズイと思う。
「違うよ。古い映画。タイトルは、正確に覚えてないけど、<悪を呼ぶ少年>だったような。とにかくベタなタイトル。後のホラー映画に多くの影響を与えた映画よ。<エンゼル・ハート>並にね」
「そうなんだ。多分、それは見てない。だけど、」
<エンゼル・ハート>は見た。暗く、かったるく、残酷美というような、完成度の高い映画と記憶している。
「<エンゼル・ハート>のね、らせん階段とか換気扇とか壁の血とか、不安を煽る映像は今では月並みだけど、それは<エンジェル・ハート>が初めなの。<悪を呼ぶ少年>はもっと古い映画。静かで怖いの。後々の映画に影響を与えたと思うよ」
久しぶりにあったマユは、ホラー映画の話題で、とても饒舌だった。
嬉々とした様子の、(幽霊だけど)心惹かれている、一番親しい若い女性と
一分でも長く喋りたい。
頭の中からマユが興味を示しそうな<映画>の情報を探す。
「双子が怖いのは、何だっけ、雪で閉ざされたホテルで、双子の女の子が廊下に立ってる、それだけで怖いのが、あったよな」
と、言ってみる。
「それはかなり有名ね。……そういうの、知ってるのに、中学生男子の双子が、長い時間、アリスの前から動かなかったのを不自然だと、わからなかった?」
「うん」
聖は素直に頷く。
(双子の一人が死者だと、全くわからなかった。5月なのにベージュのダウンコートを羽織っているマユを幽霊と感じないように)
事実はそうとしか言いようがないが、
マユには説明しづらい。
「三月二十四日に双子の一人が自殺。そして父親が語った<化け猫>が最初に出現したのが同じ日なのよね」
「へっ、そうなんだ」
マユに言われるまで、日付の一致を見落としていた。
「セイがメモったのが間違ってなかったら、そうじゃない? 三月二十四日……息子が首吊ってるのを、発見した。慌てて下ろし、次に救急車呼んで……それから? 一家も、そろって病院に行ったんでしょうね。最悪の一日だったのに間違いない」
「ショックで、父親か母親のどっちかが、頭ん中ぐちゃぐちゃになって、存在しない猫の幻覚をみたのかな」
それにしても、具体的で長い妄想話だ。
聖は……夫婦揃って語った、<化け猫>エピソードを思い起こして、ため息を付いた。
「妄想か幻覚と決めつけられないと思うの。三月二十四日に、最後に家に帰ったのは父親で、本当に、玄関に猫がいたのかも知れない。
……明くる日、二十五日の<化け猫>出現率が最多ね。
一回目は階段に座っていた。母親が殺して生ゴミに出した。二回目は、父親が帰ったとき玄関にいた。給水塔の近くに捨てに行く。それなのに、また家の中に現れたのが、三回目。夫婦は車で川へ行き、河原に生き埋めにした。…… 葬儀の前日ね。その日、一家は自宅にいた」
「じゃあ、本当に<化け猫>が、出た可能性があるのか?」
だが、<化け猫>が車に轢かれ、風呂場に出没したのは、工房に来た直前、五月の事だ。
浦上一家は失踪中。自宅には居なかった。
……聖は、やはり全て妄想だと思う。
捨てても殺しても戻ってくる片耳の欠けた<化け猫>など存在しないと。
「セイ、箱に入ってた猫の剥製、塩素の臭いがするって、言ってたよね」
「うん」
「確かに、家の前で車に轢かれてた話は現実じゃない。でもね、浴槽に閉じ込められたのは、その剥製かも」
「無理だろ? 実際、あの一家は、五月十日は、家に居なかった」
「家で無くても、風呂場はあるでしょ」
「………あ、」
車で家をでたから、ずっと車上暮らしとは限らないのだ。
「お風呂のあるホテルに滞在していたかも知れない。蓋をして、と聞けば、家の風呂場を連想してしまうけど、蓋は、新聞紙でもバスタオルでも代用できる。洗浄液はドラッグストアですぐ手に入る」
「つまり、彼らの話に出てきた猫は、<剥製>の猫ってこと?」
三月二十四日、自殺した息子の遺体と、病院から帰ってくると、
気味の悪い<剥製の猫>が玄関に置いてあった。
それが、実際に起こったことではないかと、マユは語る。
「剥製を、生きている猫と見間違えた、っていうの?」
「生きてる猫、って言ってた?」
最初は化け物といい、
野良猫が入り込んでると思った、と言い……。
「猫、とは言ってたけどなあ。二度と戻って来れないように、剥製にして此処に飾っておいて欲しいって、持ってきたんだよ。……あの人たちには、剥製に見えてなかった。そういう事?」
聖は猫の剥製を箱から出す。
「うわ。ほんとに気味が悪い」
マユはそう言いながらも、しげしげと眺めた。
「見かけはグロだけど、嫌な感じはしない。中身は空っぽだ。そういうの、シロとか、敏感だから」
聖は棚のアリスを指差す。
「取り憑いてるのは、分かるから。全然、気配が違う」
アリスの首が、ちょっと傾き、
黒目は横に流れ、聖と目が合う。
(嫌な感じで悪かったな)
と言いたげに。
「今は、空っぽなだけかも」
……マユは口の端に笑みを浮かべて言った。
「どういう事?」
聖は、中身を見る前から、箱に何も感じなかった。
それは断言できる。
「セイは双子を見たんでしょう。一人は死者だった。スバルくんね。彼なら猫の剥製と一体になれるかも」
「……そんな事ができるんだ」
聖は、驚いたが幽霊のマユが言うのだから、そうかもしれないと、納得する。
「剥製を、剥製にしてくれって、セイはとんでもない依頼だと思って当然。だけど、剥製に気味の悪いイメージを持っていたとしたら、<剥製の化け物>の処分を考えたとき、剥製屋が頭に浮かんだのかも」
(剥製で検索したら一番に神流工房が)と言っていた。
しかも霊感剥製士。化け物を預かってくれそうじゃないか。
「中身が剥製なんで、箱を開けないでくれと言ったのか」
息子が自殺した日に、忽然と玄関に居た、見るに堪えがたいグロテスクな剥製。
あたかも生きているように……身体を震わせ、ミヤアと鳴いた。
おぞましさに、早々に玄関から、家の中から払い出す。
ところが翌日、また現れた。
少年の死に悼んでいる最中の家に……。
「葬式の晩に、家を出たのは、<剥製の化け猫>が、また戻ってくるのが怖くて逃げたのかな」
「分からない。今はっきりしてる事実は、死んだのはスバル君で、葬式の晩に一家三人いなくなって、此処に猫の剥製を持ってきたというだけね」
「それと、スバルの霊も同行してるってことか」
「なぜ、自殺したのはソラ君だと届けたのか、一家は失踪したのか……手がかりは,この剥製だけ」
マユは剥製を手に取る。
今夜のマユは質感が濃い。
生身の人間ように、しっかりモノに触れるらしい。
「そのわりには、刑事さん達は関心が薄そうだったけどね」
「コレ、誰が造ったと思ってる?」
マユが聞く。
「双子だろ」
聖はすぐに答えたあとで、
憶測だと気づいた。
「誰が造ったにしても、死んだ猫から造ったのか、……そうで無いかはセイにも分からないのね?」
マユに、重大な事であるかのように問う。
(何でそんな事を聞く?)
聖は、
死んだ猫の皮を剥いだと、決めつけていた。
自分の仕事のように、そうしたと。
退屈をもてあましている中学生男子二人が、猫の死体を加工したに違いないと。
コレもまた憶測だと考え直し、改めてグロな剥製を丹念に見る。
皮の裏側を見るために一部メスで剥がす。
「裏が綺麗すぎるよ」
死体になる前に、皮を剥がされたのだ。
「ちゃんと見たら、微妙にパーツが重複してる。似たようなキジトラ猫の二匹……二匹以上の毛皮を、使って、る」
不覚にも聖は泣きそうになった。
生きた猫の皮を剥がすなんて、剥製屋には考えられないことだから。
「セイ、剥製の猫は、コレ一つじゃないかも知れない。捨てたのに戻ってきたのはスペアがあったからよ」
「誰かが……複数の猫を殺して不細工な剥製を複数造ったのか」
出現の様子から考えて
誰かは、浦上家の中にいるのは確かだ。
「立派な犯罪じゃない。幼なじみの刑事さんに教えてあげなきゃ」
「……だけど、コレだけが証拠じゃあ、言いにくいよ。二匹の死んで直ぐの死骸から剥ぎ取った可能性もあるんだ」
「だったら、他のを探したらどう?」
マユは(なんと)聖の肩に細い指先を触れて、微笑んだ。
瞬間、聖の体温は一気に上昇した。
理由は分からないが
今夜のマユは、とても生き生きとしている。
「探すってどこを?」
「その人たちの家は、イチジク台は、近いんでしょう? 給水塔と河原。捨てたと行ってた場所を探すの」
(何で俺がそんな真似をしなくちゃいけない?)
思ったが言えない。
マユにまた会いたいから。
「シロと一緒に探すのよ」
念を押された。
「急がないと助けられないよ」
一家に死の影が憑いていると、まだ話してないのに、
マユは言うのだった。