眠れぬ一夜
昴には、
子猫の殺戮しかする事は無い。
夜明けに子猫を捕獲に行き、部屋に鍵を掛けて閉じこもった。
空は、
踊り場を隔てた部屋で、
昴の悪魔のごとき所業の音だけを、聞いていた。
父は、毎日仕事に行った。
母も、普通に家に居て、
食事時にだけ、双子に声を掛けた。
「フツウに、家族で飯食うんだ。テレビつけて。昴はもう紫星学園に行けないのに、父さんも母さんも転校の手続きをしようとしない。学校行ってない僕が言うのも何だけど、ほったらかしは、マズいんじゃないのかって、聞いたこともあったんだけどね……」
双子の両親は、辛い現実を直視できなかった。
無かったコトのように忘れて過ごせば、
無かったコトになる、
切羽詰まった末に現実をシャットダウンしたのだ。
時を置いて再起動すれば、順調に、全てが回復すると、考えたのか?
「僕は先に死んだほうが楽な気がしてきた。色々、未来を予測してみた結果でね。……父さんは現実に対応できなくて、多分、行き着く先は、一家心中なんだろうってさ」
空の自殺は本気だった。
昴を、もう見たくない。
狂った両親にちかいうちに殺される未来にも存在したくない。
三月二十四日の朝、空は、今日死のうと、決めたという。
「一人になりたかった。死ぬ以外に、一人になる方法は、なさそうだった。家出も考えた。でも中学生だろ。家を出ても働けない。十六まで、待てない、とても」
延長コードを部屋のドアのノブにかけて、首つりを計った。
天井には、コードを引っかけられる何物もなかったから。
「そうやって死んだ、かっこいいミュージシャンを思い出したんだ。ただそれだけ。カッターナイフで手首を切るより、確実に死ねるみたいだしね」
少しの迷いも無かった。
「やる前に、咳止めのシロップを一本飲んだ、アレ、眠くなるしホワンと幸せな気分になるから」
空は、延長コードで、輪を作り、首を入れたら腰が浮く位置に、ドアのノブに結んで固定した。
あと三十秒で脳が酸欠状態になる、そのときに昴がドアを開けなければ、
間違いなく、<自殺>は成功していた。
「よく、覚えてないんだ……昴の顔が目の前にあった。新作の剥製猫持ってた。もう顔を見たくないのにさ。……ふっと、気が変わったんだ。ボクが死ぬ前に、コイツを殺そうかと。一日でも、一人になってから、死んだらいいじゃん、って」
昴は、キイキイ声で喚いてた。
うるさい。
黙らせたい。
空は、昴が振り回してるコードを奪い、その輪を昴の首に掛けていた。
それから?……。
「コードの端をしっかり握って、ベッドの上でジャンプしたんだ」
ぐえぐえ、と
昴は妙な声を出し、床で転げた。
だが、
空は、コードを離さなかった。
手首に巻き付け、ベッドの上で飛び跳ね続けた。
無意味な行為を止められない。
身体が、勝手に単調な運動を繰り返したと、
言う。
聖は、空の語る真実に、意識を集中していた。
それで、
空に向き合うように立ってる昴が、
叫びを堪えるように、両手を口元に重ねているのを見なかった。
恐怖と悲しみに大きく見開いた目が、
空の、涙で潤んだ瞳に映っているのも、知らなかった。
「それから、君はどうしたの?」
聖が空に聞いたのと同時に、
シロが急にデカイ声で吠え、
ドアが開いて……、
結月薫と、(前に見た)上司らしい男が入ってきた。
外に制服の警察官も居るのもチラリと見た。
「やっぱ、直ぐにくるんだ」
なんだか、凄い、さすが警察官。
聖は少々感動する。
しかし、山の中の一軒家なのに、ドアを開けられるまで訪問者が近づいているのが解らないのは問題有とも思う。
神流剥製工房の下の川は、流れが激しく、うるさいだけで無く、他の音を吸収してるのだった。
「僕は、昴が静かになったんで、死んだと解ったんだ。
……ゴメンナサイ。弟を殺しました」
空は、近づいてくる薫に、告げた。
そうして両手を前に差し出した。
薫は、優しげな顔を、空に向ける。
「名前と、住所と、生年月日、言えるか? 」
空が答えると、
「君は三月二十四日に死亡したと届けが出てる、浦上空君に間違いないんやな。ほんで、三月二十九日に十四才に、なったんやね」
と確認し、
「ほんなら、死んだのは、スバル君か?」
と念押しする。
空は頷く。
聖は、「きいい」
と、
小動物が威嚇してるような鳴き声を聞いた。
死んでいるのは自分だと知ってしまった昴が
ないていた。
昴は獣のような呻き声を上げ、頭を抱え込み、うずくまっていた。
今、はっきりと、自分が<死者>だと解ってしまったのだ。
痛ましくて見ていられない。
反らした目が、薫と合う。
自分と同じように動揺している。
(コイツ、見えてる。マユを見たのも本当らしい)
厄介だと、聖は片方の眉を寄せる。
それから、
浦上夫婦は、呼ばれるまでも無く、二階から降りてきた。
こうなる事がわかっていたように。
刑事をみても驚きの表情はない。
と言うか、何の表情も無い。
ぼーっと並んで、幽霊のように立ってる。
……死んでる?
聖は一瞬疑う。
……イヤ、大丈夫か
シロが臭いを嗅ぎに二人の足下を回っていた。
暫く風呂に入っていないのか、濃い体臭を感じたらしい。
薫は、
双子の両親の、のっさりした登場に困惑している。
腕時計を見ながら、上司とヒソヒソ相談を始める。
とっくに、日付が変わってた。
……深夜に(任意同行)できるケースじゃないのか?
……待てヨ、任意なら、拒否できるんだろうか?
……浦上一家が此処に居たいと言い出したら……?
……それは困る。勘弁して欲しい。
聖は、シロと<二人だけ>の平穏な日常に直ぐにでも、戻りたい。
自分のベッドで眠りたい。
「私どもは、息子の死について嘘の報告をしました」
棒読みで、浦上は言った。
息子の空と同じように、両手首を合わせて前に出す。
手錠を掛けてくださいと、申し出ている。
薫は、
浦上夫婦に免許証の提示を求め、本人確認の後、
「詳しいお話をお聞きしなくちゃいけませんね。しかしね、こんな所では何ですから」
と、連れて出て呉れた。
最後に、
「セイ、後でな」
と言い残し、ドアを閉めた。
雨が上がったのか
カラスが一斉に鳴き始めた。
「スバル君は、アスカを殺すつもりは無かったんだと思うよ。……多分、最初の犠牲者の子猫の<死>を、彼は受け入れられなかったんだと思う」
山本マユが、久しぶりに工房に現れた。
浦上一家やら薫やらが訪れた、(眠れぬ)一夜から、一月後のことだ。