表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/15

黒い箱

 吊り橋の上に、

 四人立っていた。


 神流聖は、遅い昼食後のかったるい時間に、何となく工房から外にでて、

 五月晴れの(雲一つ無いセルリアンブルーの)空を

 眺めていた。


 ふと視線を下ろしたら、忽然と現れたように、四人居たのだ。

 一番前で仁王立ちの、

 五十前後の黒縁めがねの男と目が合う。

 たとえば、自身の庭に侵入する不審者を見つけたかのように、

 鋭い、警告するような目つきだ。


 うちを訪ねてきたのではないらしい、と

 愛犬シロと、工房の中に戻ろうとした。

 すると背中に女の声が。


「神流剥製工房は、ここで、よろしいんでしょうか?」

 と、聞こえた気がした。

 振り向けば

 四人の立っている位置がさっきより近い。

 四十代後半くらいの女は、胸の前に黒い箱を両手でしっかり抱いている。

 紳士靴の箱のようだ。

 となれば、中身に見当はつく。

 犬、猫、鳥と遺骸を納めるのに、靴の空き箱はよく利用される。

 でも、ペットの剥製依頼にアポもなく一家で来たの?

 一家と見なしたのは、

 後ろに少年が二人、居たからだ。


「そうです。剥製にされるのですか?」

 と、聞いてみる。

 川の音がうるさいので、大声になる。


 剥製依頼の客だとは分かったが、

 電話やメールで事前に問い合わせはなく、いきなりやってきたのは何故かと考える。

 男の強ばった表情から、ペットを剥製にする事に迷いがあるのかもしれないと、想像した。

 男は、あごをしゃくる。

 イエス、という動作らしい。

 一見、横柄な態度だが、聖には、剥製屋を軽んじている、というより、

 男自身が、ごく普通の挨拶さえ出来ない、なんか緊張した状態だと感じた。


「はい。そうなんですけどね、ちょっと、事情があるんです」

 妻らしき女の声も、今度は大きい。

 客なら、こっちへくればいいのに、

 中年夫婦はまだ吊り橋の上に突っ立っている。

 橋を渡りきるのを躊躇してるかのように。

 中学生らしき男子二人は、

 しゃがんで川を見下ろしているのだった。

 一人はグレーのズボンに胸にエンブレムの付いた開襟シャツ。

 黒の革靴を履いている。

 見覚えのある大阪市内の私立中学の制服だった。

 もう一人はオレンジ色のジャージの上下にスニーカー。

 服装は違っているが、背格好が同じで、横顔も重なるように同じ。

 双子、らしかった。


「スバル、立ちなさい。ちゃんとした橋とちがうやろ。隙間から川へ落ちるかも、知れないやんかあ」

 女が関西弁で言っている。

 双子の一人はスバルという名らしい。

 

 ワン、と隣でシロが一吠えする。

 思いがけない来客に、尾を振り喜んでる。

「よしよし」

 と頭を撫でてやりながら、犬嫌いなら、放し飼いの大きな犬は嫌かも知れない、と気がついた。


「ちょっと待ってください。すぐ、中に入れるようにしますから」

 シロを作業室に入れ、広い部屋の片隅にあるソファとテーブルの上を片付けた。


 夫婦は並んで腰掛けた。

 男は体格がよく顎の張った、四角い輪郭で、きまじめそうに見える顔立ちだった。ブランドロゴの入ったグリーンのポロシャツを着て、高級そうな時計をしている。

 女は、小柄で、すこしふっくらした体格で色が白い。丸顔で小動物のような黒目がちの瞳が印象的だ。茶色に染めたショートヘアは艶があり、綺麗に化粧している。白地に紺の花柄のワンピースに白いカーディガンを羽織っていた。

 双子は仲よさげにくっついて、黙って、興味深げに棚の剥製を立って眺めている。

 息子たちは母親に似て色が白く童顔だった。


「小型犬ですか?」

 聖は、夫婦の向かいに腰を下ろして、テーブルの上の黒い箱に手をかけようとした。


「あ、開けんといてください」

 妻が悲壮な声で止める。

 夫も、うむ、と一声うなり、両手を箱に乗せた。

 聖が開けるのを阻止するリアクションだ。


 ……この人たちは、中身を見たくないんだ。

 ……何でか?

 ……ありそうな理由は、グロな状態だからかな。

 聖は、交通事故にあったのかもしれないと想像した。

 そのままの姿で土に埋められない程ぐちゃぐちゃで、剥製屋に綺麗にしてもらう事を思いついた客は前にもあった。

 ペットの無惨な姿を見たくない心情は分かる。

 とはいえ、料金が関係する事なので、確認しない訳にはいかない、と伝える。

 だが、二人は黙って首を横に振った。


「どうか、私どもが立ち去ってから、ご覧になってください。ペットじゃないんです……こいつは、とても気味が悪い、化け物なんです」

 語り出したのは男の方だった。

 イントネーションから、関西人ではないと解る。

 肩幅の広いがっしりした体格からは、予想もつかない、か細い声だった。

 全身が緊張していて、声を出すのも苦しげに見受けられた。

 男を縛り付けているのは、恐怖なのか不安なのか、両方なのか、分からないが、原因は黒い箱の中にあるのは間違いなさそうだ。


「化け物、ねえ」

 聖は、<化け物>という言葉に多少は驚いた。

 しかし、箱から特別な気配を感じない。

 シロも吠えていないし、剥製たちも警戒していない。

 今、工房の中に邪悪なモノは存在しない。

 それだけは確信が持てた。


「どういう化け物なのか、教えてくれませんか?」

 聞いてみた。

 客の夫婦は、すぐに答えない。

 顔を見合わせている。

 どっちが剥製屋と話すかアイコンタクトを始めたようだ。

 

 聖は化け物の正体を推測してみる。

 ペットじゃないなら、蛇、コウモリ、カラス……嫌われそうな生き物で、尚かつ、異形なのかも知れない。大きすぎるとか、ちょっとした奇形も、人によっては不気味で恐ろしく感じるかも。

 でも、なんで、見たくないモノを剥製にするのか、その理由は見当もつかない。


「今、ちょっと見るのも無理なんですよね。それを、なんで剥製にするんですか?」

 聞いてみた。

 この質問には男が直ぐに、

「それも、事情があるんです。剥製はここで保管して欲しいんです」

 と、答える。

「へっ?」

 聖は驚きすぎて腰を浮かした。

「剥製にして、俺が、保管するんですか」

 処分なら理解できる、と考える。

 剥製依頼を口実に、実は処分の依頼なら、ずっと分かりやすい。


「普通の殺し方では、コイツは、始末できないんです。……殺して土に埋めても、コイツは…戻ってきたんだ」

 男が物騒な事を言い出した。

「川に流したのに、帰ってきたんですよ。嘘じゃないんです。焼いてもアカン。蘇ってきたんです。こんな話、きっと誰にも信じてもらえません」

 妻も早口で怖い言葉を重ねる。


 聖は、客二人の手を、改めて眺めた。

 左右の手に不自然さはない。

 お揃いのプラチナのリングが左手の薬指にある、綺麗な手だ。

 <人殺しの印>は無い。


 チラリと双子を見遣れば、並んで立って、棚のアリスを触っている。(客を噛むなよ)と目配せするが、アリスは友好的な目つきで撫でられていた。

 彼らの、白い華奢な手にも<人殺しの印>は無かった。

 彼らが焼いたり埋めたりした<化け物>は、少なくとも人間では無さそうだ。


「あの、何があったのか、最初から話してくれませんか?」


「……三月二十四日の、水曜日です。私が最後に帰宅しました。その晩、玄関に、アイツがいたんです」

 建て売り住宅の、そう広くない玄関だと男は説明する。

 アイツは、ドアの方を向いていたから、目があった。

「びっくりしました。しかし、その晩は、野良猫が、入り込んでると思ったんです」


「野良猫、」

 と聖は繰り返してしまう。

 化け物の正体は猫か。奇異な話だと身構えていたが、若干力が抜けてしまう。


 猫の方は少しも驚かず、目をそらそうともせずじっと座ったままだった。

 男は妻を呼び、同時にドアを開いたまま、手に持っていた鞄で猫を追い立てた。

 だが、猫は動く気配がない。

「仕方ないから、足で軽く蹴りました。すると、少しだけ、動くんです。後から思えば、変な動きでした。座ったままの格好で、すっと、横に滑る感じでね」

「怪我してて、歩けないんちゃうかと、私は主人に言ったんです」

 

 歩けない猫を、誰かがこっそり玄関に入れていったに違いない。

 この夫婦はそう思った。

 猫好きなら、可哀想に思う状況だ。

 しかし、彼らは、一見して小汚い野良猫に、触るのも嫌だった。

 で、箒で少しずつ、ドアの外へ押しだした。


「追い出したのに、あくる朝に、また居たんですよ」

 男は憎々しげに箱を睨む。

「ちょっと待ってください。歩けなかったんでしょう? だったら、ドアの外にじっとしてるしかないじゃないですか」

 聖は猫に、箱の中身に同情した。

 まさか、何の罪もない可哀想な猫をこいつら、殺したのかと、腹が立ってきた。


「外じゃ、ないんです。階段にいたんです。上から三番目に座ってました。主人を送り出して、息子を起こしに二階へ上がろうとして気づいたんです。驚いて心臓が止まりそうでした。いつから階段にいたのかはわかりません。私たちの寝室は一階なので、その時間まで二階にはいかなかったから」

 それが事実なら、猫が移動したのは……。

 聖の視線は双子の背中に流れる。


「息子かと、私も最初は疑ったんです。それで、大きな声で、スバルを呼びましたけど、起きてきません。それでね、また箒で、突っついてみたんです」

 双子を起こさなくていいのか?

 と聖は突っ込みたくなったが、春休み中だと、すぐに気がついた。


「箒で? 猫は歩けないんだから、じっとしてたんでしょう?」

 可哀想な猫に何があったか、聞かずにはいられない。

「それがね、座ったままの格好で転がり落ちたんです」

 ……アンタが、突き落としたんだろう?

 と、言いたくなるのを我慢して、

「猫は大丈夫でしたか?」

 と聞く。


「耳から血、流してました」

「死んでたんですか?」

 わからない、と女は言う。

 妙な事に、猫は人形のように、座ったままの姿を崩さず、横向けに転がっていたと。

 聖は、その姿を想像していた。

 たとえ、足が動かない猫でも、あり得ない、と判断する。

 女の見間違いか、もしくは、

 猫は針金か糸で全身縛られ、ダルマ状態、だったかだ。


「気持ち悪いから、ちらっと見ただけなんです。目を閉じて、耳から黒い汁が垂れてました。……その時に、片方の耳が半分かけてるのを見てしまって、ぞっとして……ゴミ袋かぶせて、捨てたんです」

 丁度生ゴミの収集日だった。

 新聞紙を詰め込んで死骸を隠し、ゴミ置き場に持って行った。


「昼休みに電話で、その話を聞きました。あんまり気味が悪いんで、信じられなくて女房の頭が変になったんじゃないかと疑ったんですよ。……ところがね、その晩家に帰ったら、また玄関にアイツが座ってたんです」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ