真夏のドライブ・イン
これが、人生最後のドライブだ。会社をクビになり、息子と妻は、実家に帰ってしまった。そんな俺に残ったのは、車と、空っぽになった家と、雀の涙ほどの現金だけだった。もう何も俺には残っていない。思い残すことも、ない。
だから、これは最後のドライブ。綺麗な海を見に行こうと思ったのだ。まだ仲も良かった頃、妻と息子と行った海を見て、死のう。そう思っていた。
俺はろくでもない男だった。仕事のストレスを家庭内に持ち込み、酒でその苛立ちを煽って、家族をそれらの捌け口にした。暴力、暴言、「DV」に当てはまるであろう俺の行動は、確実に、俺自身をも蝕んでいった。神が、俺に罰を与えたのかもしれない。仕事をクビになったことをきっかけに、ぐらぐら不安定だったジェンガが崩れたときのように、俺の人生は狂っていった。いや、もとからおかしかったのかもしれない。
やがて全てを失った俺は、最後に残された、自分の命をも捨て去ろうとしている。もし天国と地獄があるなら、俺は間違いなく地獄行きだ。
車から見える景色は、夏がはじまったばかりの、少し暑いような、だがどこか楽しげな雰囲気を漂わせている。今日は休日で、海水浴に向かう客で、車の渋滞を起こしていた。じりじりと、俺の心も削がれていく。
周りが明るい分、俺の孤独でできた影は、俺の二倍以上の背丈になっていそうな気がした。海まで、あともう少し。子供達の楽しげな笑い声が聞こえてきた気分にもなって、俺の心はどんどん消耗されていく。もうすぐ、俺は死ぬのだ。なのになぜこんな時に、家族の笑顔が浮かんでくるのだろう。2人は俺に笑いかけ続ける。しかし、それが純粋なものか、俺をあざ笑っているのかは、わからなかった。
やがて、海が見えてくる。俺は近くのコンビニに車を停めると、中でお茶を買って、一気に飲み干した。
海へ向かって歩いていく。
すると、影も俺を追いかけてくる。
俺は、自分の影を振り切ろうと、走り始める。
だが影は、俺と全く同じスピードで、ぴったりとついてくる。
怖くなった俺は、気付くと全力で走っていた。
だけど、影は俺をマークしたまま、ずうっと俺の後をついてくる。俺は泣きそうになって、疲れ切った顔で、下を向いた。
ぽつり、と、汗だか涙だかわからない何かが地面へ零れ落ちる。俺は、寂しかったのだ。だんだん自分から、色々なものが離れていく感覚がして、寂しかったのだ。それに気づいて、俺の陰に、水滴が滴り落ちる。ぽつりぽつり、と、晴れた雨が、俺の頬を濡らす。死んでしまいたい。心からそう思って、砂浜から少し離れたところにある、崖に向かおうとした、その時だった。
「あなた・・・。」聞き慣れていた声が、俺の背中を撫でる。とっさに振り返ると、そこには、妻と息子の姿があった。幻覚かと思うほど驚いて、俺は次の瞬間、彼女たちに土下座をしていた。
「すまなかった。」
家族に謝ったのは、初めてのことだった。今までのことも、そして、今日死のうとしていたことについても、それらすべての俺の全身全霊をかけた謝罪だった。許してもらわなくてもいい。自分の自己満足で終わってしまってもいい。だけど、本当に伝えたいことだった。俺は、すっかり濡れてしまったアスファルトに、額をこすりつけた。
「うん。もういいの。それが聞きたかったから。」
妻はそう言うと、俺の背中をぽんと叩いた。俺はぐしゃぐしゃになった顔を上げると、妻を抱きしめた。なくなったと思っていたものは、ちゃんと俺の目の前にあったのだ。俺が見ようとしていなかっただけだった。大切なものは、どこにあっても、くっきりと見える太陽なのだ。俺は、抱きついてきた息子と一緒に、妻を両の手でしっかりと抱いた。
今日は、人生で最後のドライブのはずだった。だが、今三人で見ている景色は、まだまだ俺を生かしてくれそうだった。これから償う罪を照らして、いつでもわかるようにしておいてくれる。大事なものだ。
夏の太陽が照らすこの砂浜は、昔と何一つ変わっていなかった。