9 浴衣姿の君と
夕方、自転車を押して、ひかりを迎えに行った僕の前には、浴衣姿のひなたがいた。
「ごめんっ! あたし風邪ひいちゃったみたいでさ。代わりにひなたを連れてってあげて」
呆然と突っ立っている僕に、ひかりが家の中から声をかける。
「風邪って……それ、どういうこと……」
「それじゃあ、よろしくっ!」
ひかりは僕から顔をそむけるようにして、窓をぴしゃっと閉めた。
夕暮れの中に立ち尽くす、僕とひなた。やがて申し訳なさそうな、ひなたの声が聞こえてくる。
「……なんか、ごめんね? あたしで」
僕はあわてて首を振って、目の前に立つひなたを見る。
「謝ることなんかないよ。えっと……ひなたちゃんは元気そうだね?」
「うん。今日はとっても調子がいいの。お母さんも行ってきなさいって、浴衣まで着せてくれて」
ひなたが夕陽に照らされた頬を、さらに少し赤らめて、自分の姿を見下ろす。
「……似合わない、かな?」
「いやっ、似合ってるよ。すっごく」
そう言ったあと、自分で照れた。やっぱりひなたは可愛いということに、あらためて気づく。浴衣なんか着ているから、なおさらなんだ。
「チャリで来ちゃったけど……乗れる?」
「うん。大丈夫だよ」
ひなたが荷台にちょこんと横座りする。
「座布団でも持ってこようか?」
「大丈夫だってばぁ。この前はひかりちゃんを乗せたんでしょう? 同じでいいよ」
なんとなくその言葉の意味を考えながら、僕はゆっくりと自転車をこぐ。
なるべく平らな道を選んで、ひなたのお尻が痛くないように……あれ、そういえば、ひかりの時は、そんなこと考えなかったな。あいつの体は頑丈そうだし。
そしてひなたの体は、薄くて脆くて壊れやすい、透き通ったガラスのように思えた。
薄暗くなってきた道を、ひなたを後ろに乗せて走る。
近所の子どもたちを追い抜いていくと、遠くから太鼓の音と、盆踊りの曲が流れてきた。
「歩くんは……」
その音と一緒に、ひなたのか細い声が聞こえてくる。
「こういうこと、東京でもしていたの?」
「え? こういうことって?」
「女の子を自転車に乗せて走ること」
思わず後ろを振り向きそうになり、僕はあわてて前を向いた。「ちゃんと前見て、運転しなよっ」という、ひかりの声が聞こえてきそうだったから。
「そんなこと、してないよ」
「でも、東京に彼女いたんでしょ? ひかりちゃんが言ってた」
あいつ……どうしてそんなふうに話を大きくするかなぁ……。
「彼女なんて、いないって」
「そうなの?」
「……いないよ」
理紗は……理紗は『彼女』じゃないから。
盆踊りの音が大きくなって、いつもでは考えられないくらいの人が、神社に向かって歩いていく。この集落に、こんなに人が住んでいたなんて、知らなかった。
鳥居の横に自転車を止めて、薄暗い石段をゆっくりと上る。
浴衣の裾を気にしながら歩くひなたを見て、僕はおずおずと手を差し出した。
「転ぶと、危ないから」
ひなたの手をとって、階段を上る。ひなたは恥ずかしそうにうつむいている。そして僕も、女の子と手をつないだのなんて、これが初めてだった。