表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の果て  作者: 水瀬さら
5/20

5 ひなたのために

「あーゆーむー!」

 名前を呼ばれて足を止める。振り返るとひかりが、店らしき建物の前で手を振っている。

「ここだよー! スーパー!」

 確かにぼうっとしていたけれど、その店はスーパーというより、古びた小さな雑貨屋で、僕が通り過ぎてしまったのも無理はない。

 のろのろとUターンをして、店の前に自転車を止める。するとひかりが僕を見て、ぺこっと頭を下げた。

「ごめん。からかったりして」

「……別に、もういいよ」

「まさか歩が、泣いちゃうとは思わなかったからさ」

 とっさに頬に手を当てた。汗だか涙だかわからない液体を、あわてて腕で拭う。

 ひかりはそんな僕の手に、タオル地のハンカチを握らせる。そして、ほんの少しだけ僕に笑いかけ、店の中へ入っていった。

「こんにちはー! 今日も暑いですねー」

 ひかりの明るい声が耳に響く。店の中にいたおばあさんと、楽しそうに話し出すひかり。

 ここに越してきて、まだ三か月だと言っていたのに、その姿は、ずっと前から住んでいる人みたいな雰囲気だ。

 あきれたような、うらやましいような気持ちを胸に、僕はハンカチで汗を拭って、ひかりのもとへ駆け寄った。


 ママチャリに雑貨屋で買った荷物を載せて、砂利道を走る。僕の前には、来た時と同じ、鼻歌を歌うひかりの背中。

 真上に昇った太陽を睨みつつ、腹が減ったことに気がつく。もうお昼か……。ハンドルを握る手にも、汗がじんわりとにじむ。

「妹は?」

 あんまり暑くて、何か気をそらすことはないかと思い、前を走るひかりに何気なく尋ねる。

「妹は……家にいるの?」

 ふふっと笑ってひかりが振り向く。

「なに? ひなたのこと、そんなに気になる?」

「そんなんじゃないって! あんたら、いつも一緒なんだろ? 妹はついてこないのかって、聞いてんの!」

「ひなたは……」

 ひかりが前を向き、少しだけスピードを緩める。

「病気なんだ。だから、毎日家にいる」

「……病気?」

 なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、思わず黙り込んだ僕に、ひかりが言う。

「あたしがさー、お母さんのお腹にいる時、全部いいとこ取っちゃったみたいなんだよねぇ」

 僕は黙って、空を見上げるひかりの背中を見つめていた。

「だから……あたしのせいなんだ。あたしのせいで、ひなたは病気になっちゃって……ほとんど学校にも行ってない」

 そんなの……あんたのせいじゃないだろう? 口を開こうとした僕を遮るように、ひかりが自転車をキュッと止める。

「ここは空気がいいでしょ? のんびりしてて、景色もいいし。だからあたしたち、ここに引っ越してきたんだ」

「ひなたのために?」

 ブレーキをかけながらつぶやいた。何でそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。

「病気のひなたのために、東京からこんな田舎に引っ越してきたわけ?」

 ひかりが僕の顔を見ていた。その真っすぐな視線に、なぜか胸がざわざわする。

「そうだよ。あたしも、あたしの家族も、ひなたのためなら、なんでもできる」

 ひかりがそう言って笑った。いつものように、何の悩みもないみたいにあっけらかんと。

 そしてひかりはまた自転車を走らせる。蝉の鳴き声に交じって、ひかりのちょっと音程はずれな歌声が聞こえてくる。

 僕は――僕はひかりみたいに笑えない。僕は、本当は恨んでいるから。

 僕をこんな田舎に追いやった、父さんと母さんのことを。

 僕のことをきっと忘れてしまう、中学の友達や理紗のことを。

 そして、流されるままにそれを受け入れてしまった、自分のことを。

「ひかりっ!」

 ペダルをぐんっと踏み込んでスピードを上げる。前を見つめたまま走っている、ひかりの隣に並んで、その顔をのぞきこむ。

「うわぁ、なんなの?」

 ひかりが僕を見て、甲高い声で笑う。

「いや……別に」

「へんなの。やらしーなー、もう」

「どこがやらしいんだよっ!」

 ひかりが逃げるようにスピードを上げた。僕はそんなひかりの後を追いかける。

 もしかしたら、ひかりが泣いているのかもなんて思ったのは、どうしてだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ