3 赤いトマトと青い空
「あーゆーむっ、授業終わったよぉ?」
ぼんやりと目を開けたら、僕は懐かしい教室にいた。
「また英語、寝てたなぁ? けっこう勇気あるんだね? キミ」
机から顔を上げる僕を見下ろすようにして、理紗が笑っている。これは……きっと夢だ。夢に違いない。
「歩さ、南高受けるんだって?」
夢の中の理紗が言う。同じクラスで、同じテニス部だった理紗は、いつものようにポニーテールを揺らして、くりくりした大きな目で僕の顔を見ている。
「あたしも受けるんだ。南高」
女子テニス部のキャプテンなんてやっていて、誰よりしっかり者だと言われていた理紗の頬が、ほんのりピンク色に見えたのは気のせいか。
「だってあそこの制服、超可愛いでしょ? 南高行って絶対テニスやるの。歩、一緒に頑張ろうね?」
「……僕、南高受けないから」
理紗がぽかんとした顔で僕を見る。
「引っ越しするんだ。だから南高には行けない」
その声を聞いたあとの、怒り出しそうな、泣き出しそうな、微妙な理紗の表情を、僕は覚えている。これは夢じゃなくて回想なんだ。
「……そう」
それだけ言って、理紗が背中を向けた。僕は黙って、理紗の後ろ姿を見送る。
どうして……どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。
誰が悪いのか、何を間違えたのか……。
見慣れた理紗の白いブラウスが、僕の視界から消えていく。
「あーゆーむっ! 起きろっ」
もう一度目を開けたら、今度は見知らぬ場所にいた。いや、確か、ここは……ばあちゃんちだ。
「もうっ! いつまで寝てるんだっ」
体に巻きついていたタオルケットを、無理やりはがされる。
「な……なにすんだよっ」
思わずそれを引っ張り返すと、僕を見下ろして笑う、ひかりの顔が見えた。
「ばあちゃんに頼まれたのっ。あゆちゃんを起こして来てって」
昨日と同じような服装で、腰に手を当て、偉そうに仁王立ちしているひかり。その姿を見ながら、僕は頭の中を整理する。
「……あのさ、なんで、あんたがここにいるの?」
「おかしい? あたしここで、おばあちゃんのお手伝いとか、いろいろやってんの」
「……暇な人だな」
ひかりはおかしそうにまた笑ったあと、縁側に置いてあった籠から、何かを取って差し出した。
「はい。ばあちゃんの作ったトマト。採れたてだよ?」
寝起きにトマト……。田舎の風習なのかよくわからないけど、喉が渇いていたから、とりあえずかじる。
「……うまい」
「でしょ? あたしの元気の素!」
そう言ってひかりも、僕の隣にぺたんと座りこんで、トマトをかじる。
「今日も、いい天気だねぇ……」
甘酸っぱいトマトをかじりながら、ひかりの視線の先を追いかける。
開けっ放しの窓の外に、青く広がる空。綿菓子みたいな雲が、のんびり行くあてもなく漂っている。
そういえば、こんなふうに空を見上げたのなんて、久しぶりかもしれないな……。
「さっ、食べたら買い物行くよ! 早く支度しなっ」
まるで自分の家のように、僕の寝ていた布団を、てきぱきとたたみ始めるひかり。
太陽はもうかなり高く上がっていて、蝉の鳴き声だけが、寝起きの頭にうるさいほど響いていた。