20 いつか、きっと
「……大丈夫?」
目を開けたら女の子が、草むらに倒れた僕の顔をのぞきこんでいた。長い髪に花柄のワンピース……その向こうに星空が広がっている。
「ひなた……?」
いや、そうじゃない。
「ひかり」
「歩、あたしたちのこと、覚えていてくれたんだ」
すっかり女の子らしくなったひかりが、僕ににっこり微笑みかける。
違う……違うんだよ、ひかり。
僕はひかりのことを忘れようとしていた。ひかりのことも、ひなたのことも、あの夏のことも全部……忘れてしまいたかった。
「ひかり、ごめん……」
「何で謝るの?」
あの年の冬、ひなたが天国に逝ってしまったことを、次の年、ばあちゃんから聞いた。そしてひかりたち家族が、また東京へ引っ越してしまったことも教えてもらった。
だけど――あの頃の僕には、どうすることもできなくて……。
新しい家族も、新しい学校も、僕が思っていたよりもずっと、居心地がよかった。
受験も受かって、高校生活が始まって、気の合う仲間もできた。夏休み前には、同じクラスの女の子に「付き合って」と言われた。
僕が歩き始めたのは、ひかりとは全く別の道。
僕はもう、あの金魚の池はのぞかなかった。あの神社の石段は上らなかった。なるべくばあちゃんの家には行かないようにした。
思い出すと、胸が苦しかったから。
僕の前で泣いたひかりに、何もしてあげられなかった自分。また来年も盆踊りに行こうなんて、できもしない約束をひなたとした。
そして僕は、あの夏を忘れようとすることで、人が死ぬという現実から逃げていたのだ。
「それでも歩は、あたしのこと覚えてくれていた」
ひかりの懐かしい声が、虫の鳴き声と重なって聞こえる。
「それだけで、あたしは嬉しいよ」
「ひかりは……」
僕は草むらに仰向けになったままつぶやく。
「ひかりは今、幸せにしてる?」
僕の声にひかりが笑った。その笑顔に触れようと、僕は右手を伸ばす。
「ひかり……」
僕の手のひらが空を切った。目の前にひかりの姿はなく、かすかに触れたのは蛍の光……。
風が僕の頬に当たる。夜空を飛び交いながら、光を放つ蛍たち。
僕はゆっくりと体を起こした。小川に突っ込んでいる自転車を引っ張りあげて、土手を上る。
転んだ拍子に頭を打って、一瞬だけ夢を見たのか……ひかりの夢を……。
「……カルピス、買いに行くんだった」
泥のついた自転車にまたがり、ペダルを踏み込む。一匹の蛍が、僕の脇をすうっと飛んでゆく。
暗闇の中を真っすぐ進んだ。二十歳になったひかりに会いたいと、心の中で思う。
もしも今の僕が、二十歳のひかりに出会えたら……僕はあの時よりももっと強く、もっと優しく、ひかりのことを包み込んであげられるかもしれない……。
自動販売機の灯りが、暗闇の中にぼんやりと浮かんだ。
カルピスを買って戻ったら、陸と一緒に金魚を見よう。それから庭で花火をやろう。
僕があの夏を忘れないでいれば、いつかきっとひかりに会える。
別々に進んで行った二つの道は、きっとどこかでつながっている。
なんとなくだけど、そう思う。
夜風が夏草の匂いを運んでくる。頭の上に広がるのは満天の星空。
僕はペダルを踏む足に力をこめた。