19 五年後
夏が終わり、僕は新しい家から新しい学校へ通った。
一緒に暮らし始めた『庄司さん』はいい人で、やがて生まれた僕の『弟』は、小さすぎて扱うのが怖い。
そして僕は、目まぐるしく動き出した毎日の中で、時々ふと、あの夏のことを思った。
うだるような暑さの中の蝉しぐれ。
盆踊りの帰りに見た小さな蛍。
パチパチと跳ねて地面に落ちた線香花火。
池の中で泳ぎ回っていた三匹の金魚。
それから――お互いをかばい合うように寄り添っていた、ひかりとひなたの笑顔。
ひかりはまだ、ひなたのそばで、彼女を照らし続けているのだろうか……。
だけど僕の前には受験という現実が待っていて、その先には想像もつかない、新しい世界が広がっていたのだ。
そして時は流れ、僕は二十歳の大学生になっていた。
「おばあちゃーん!」
「あらあら、陸ちゃん。よく来たねぇ」
陽の落ちかけた夏の夕暮れ。母の車から降りると、もうすぐ五歳になる弟の陸は、祖母の胸に飛び込んだ。
「陸ー? 気持ち悪いのは治ったの?」
母が荷物を降ろしながら陸に声をかける。
「もう治ったよー。おばあちゃん、カルピス飲みたいー」
「カルピスかい? オレンジジュースなら買ってあるよ?」
「やだぁ、カルピス飲みたーい」
「こら、陸! わがまま言うんじゃありません!」
母が怒って陸が泣き出す。これは我が家のお決まりのパターン。
祖母は困ったように二人を見ていたが、僕の姿に気がつくと、しわくちゃな笑顔でこう言った。
「あゆちゃん、お帰り」
祖母の家に来たのは一年ぶり。祖母は僕が遊びに来るたび、こう言ってくれる。
「ただいま、ばあちゃん。元気だった?」
「元気だよぉ。あゆちゃんはまた大きくなって」
祖母が僕を見上げて目を細める。そんな祖母の足もとで、陸が「カルピス、カルピス」と叫んでいる。
「わかったよ、陸。兄ちゃんがカルピス買ってきてやる」
「え? ほんとー?」
泣きべその陸が、みるみるうちに笑顔になる。
「ばあちゃん、あの自転車、まだある?」
「ああ、物置にあるけど」
「ちょっと借りるよ」
陸の頭をくしゃっとなでて、僕は裏庭に回り自転車を引っ張り出す。
「ちょっとー、歩。こんな時間に、どこ行くのー?」
「すぐ帰って来る」
母の声を背中に聞きながら、僕は自転車を走らせる。
お盆の大渋滞の中、ずっと陸の相手をさせられ、実は一人になりたかったなんて、面倒くさいから言わないでおこう。
あたりは薄暗くなっていた。あの古びた商店はもう閉まっているかもしれないが、確か自販機にカルピスが売っていたはず。僕はその場所を目指して自転車をこぐ。
道はどこまでも真っすぐな一本道。何年経っても変わっていない。どんなに暗くなったって、道を間違えるはずなんてない。
その時ふと、目の前に女の子の姿が見えた気がして、僕は自転車のハンドルを右に切った。
「あっ……」
車輪が草むらを滑り落ち、僕は自転車ごと、道の脇を流れる小川に突っ込んだ。